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何か書きたい。  作者: 冬の老人
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5万年前の過去に思いを馳せる。

SNSを覗くとフェミニズムがまたトレンドに乗っていた。

今回は海外の映画の感想が叩かれてそこから派生してトレンドにのったらしい。


映画も見てないし、見るつもりもない。

感想に同意もしないし擁護もしないし、それを叩いてるフェミニストについても何時ものパターンで特別何か思うところはない。

「いつも通り」だ。

ただ、今回そうしたいくつかの「フェミニスト」達の言葉の中で

「男を必要としない自立した女」

というワードが目に入り、それが気になった。


基本的に自分の考え方は変わっていない。

「男は集める性質」「女は捨てる性質」

男の性質は選択肢を増やす。様々な物に溢れかえり、制御無しでは集めたものを持て余し、自滅する。

女の性質は選択の決断。物事をシンプルにしていくがそうやって削っていって度が過ぎればこれもまた身を滅ぼす。


男は物を集め、人を集め、オタクとなる。オタクとなれば「キモい」。

ソレは単に見た目や清潔感といった物ではなく、「多数派」の考える「普通」という性質から外れるからだ。

そして、だからこそそこに新たな価値を生む。

「普通」から外れる様として時間の軸で考える。

「過去」に外れた思考は「ダサい」と言われる。

「現在」に外れた思考は「流行り」と言われる。

「未来」に外れた思考は「異常」だと言われる。

ファッションなど、当にコレが当てはまる。

そしてこの時間軸のなかのオタクの中で「女」が生きるために選んだものが「今」であり、「流行り」である。

だから直ぐに廃れる。


「過去」の経験に学ぶわけではない。

「未来」への展望でもない。

「現在」を生きるためにそれらに縛られていたら何も選べなくなる。

「ノリ」と「今、自分が価値を得るための最低限」、それに重きが置かれている。

勿論、個人差はあるわけだが。


さて、話は戻って「男を必要としない自立した女」というワードだが、果たして「自立」とは何を指すのか。

経済的自立、精神的自立、肉体的な自立。

色々な自立があるわけだが自立はなんの為にするのか。

それは「大人」となるためである。

なら「大人」とは何なのか。

金を稼げたら大人?様々な経験をしていたら大人?あるいは肉体のソレを指すのか?

ソレら全てをひっくるめて「大人」と言い、そこを目指すのが自立。

なら何のために大人となるのか。

答えはシンプルで「子どもを守る為」である。


「母は強し」

なんて言葉を聞くが自分はそうは思わない。

まぁ、「自分の母親が強いとは思えない」と言う経験論である。

それに以前のエッセイで「農家に嫁いで時間なんてないのに宗教みたいな集団にも入って友達を増やしていた」と語ったわけである。

「母親」が「子ども第一」で動ける女性を指すのであればウチの母親は肉体的、血の繋がりとしての母親ではあっても本質的には「女」のまま。

姑、小姑のイビリに震え、それに無関心な夫に落胆しながらも「嫁」であり続けた。

「農家の嫁」、「妻」、そうした役割をこなすのが精一杯であり、「母親」ではなかったとも言える。

そして今回の「男を必要としない自立した女」とは結局のところ「母親」になるつもりがない、「自分の今の価値」を求めるオタクなのではないか、と思う。


「自立した女」が「母親、あるいは母親になる覚悟と能力を備えた女性」と定義できる。

しかし母親となるには男が必要である。

肉体的な意味で精子がそもそも必要である。

覚悟とはその性質的に女の得意とする分野ではある。

しかし「母親の能力」とは真逆。

「子ども」という「弱い他者」に価値を認める事、その他者を自分が守る能力。

「男」に「女」としてそれを今までされてきた。

最初から強い人間なんていない。

その「男」がパートナーなのか、「教師」「上司」「先輩」、あるいは「父親」「兄」、あるいは「弟」。

あるいはフェミニストが嫌悪感を抱く日本の「家父長制」的な社会。

何らかの「男」からの影響を良くも悪くも受けている。

それらの「男」を悪として排除したのが「男を必要としない自立した女」であり、それは母親となる「自立した女」とは別種の物である。


5万年前、アフリカで発生した人間達が世界各地に移動し始めたと言われる。

そこから1万2000年が経過して日本に人間が現れた。

何故移動したのか。

そこにある道は獣道しかなく、舗装どころか砂利道ですらない。

食料の問題、獣の被害、様々な問題があった筈だ。

「挑戦」「旅」なんて綺麗な言葉、価値観があるわけもない。

純粋にアフリカにおいて「弱者」だから去るしかなかったわけだ。

旅をしなければ「死ぬ」しかない。

「過酷な旅」か「死」か。

現代の体格などを見ても分かるが技術ではなく純粋な身体的な力では現代においても差は大きい。

しかしその差を「技術」と「精神力」が埋め、あるいは凌駕している。

そしてその技術や精神性は「過去」に思いを馳せるオタクが経験を元に一発逆転の「未来」のために「今」の自分達へ技術を最適化し続けたオタクの、「男」の力であり、そしてそれを支えた「女」の力でもある。


「男を必要としない自立した女」、それは社会が「今」のまま続く事が大前提となっている話だ。

この手の話になると別に珍しくもないが農業や漁業、といった食に関する事から建築などの女性率の低さ。

「能力が低い男にやらせればいい」「海外から輸入すればいい」何て話もフェミニストを名乗る連中が語ったりするわけだがそれもまた「今」が続く前提である。

そもそもとして「男を必要としない」と言いながら「能力の低い男にやらせる」という男が前提という矛盾がある。


「弱者男性」について自分は「過去の傷にとらわれた子ども」と考えている。

だから「弱者男性専門」の支援組織など作り出せない。タイムマシンなどがない以上、「過去」を自分で克服するしか抜け出すしかない。

「男を必要としない自立した女」を良しとする者達は弱者男性と同様である。

「今の自分」にしか目を向けず、「過去」と「未来」、そして「他者」や「未だ発生していない価値」「自分が作り出す価値」に目を開く必要がある。

それはつまり「男を肯定」する事、「男を必要とする事」に繋がる。

男と女の両方の性質。

「色々なものを集めて不必要な物を捨てる決断をする」


「捨てるなんてせっかく集めたのに勿体無い」は男の性質が強すぎる。

「どうせ捨てるのだから集めるのは無意味」は女の性質が強すぎる。

捨てる為に集め、そして集めるために捨てる。

5万年前から「動物の成体」ではなく「大人」となるため、こなしてきたもっとも基礎的な「技術」である。

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