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何か書きたい。  作者: 冬の老人
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陽の問題

前回投稿からもう5日も経ってる。


前回では自殺を「やり遂げた」タレントの話をしたが、少し前に歌舞伎役者が一家心中を図り、両親は「やり遂げ」、当の役者は失敗している。


この2つについては全国区の知名度の有名人で紛れもなく「陽」の人間だ。

とはいえ、である。

かたや「性の多様性」や「夫婦の在り方の多様性」を示そうとした人間。

かたや「偉大な俳優」 で「伝統の歌舞伎」をさらに発展させた人間。

画面の向こう側の一般人にとっては遠い世界の人間である。


さて、この「自殺」であるが自分は過去にやろうとして失敗している。

今もなお、その選択肢は頭の中に常にある。

何故やらないのか、といえば「面倒くさい」

何が面倒か、といえば「自分の人生の否定すること」。

電灯のスイッチをオン・オフするように自殺できるものならとうの昔にやっている。


「自殺したい」という強い感情は自律神経の乱れやすい季節の変わり目に現れやすい。

また現れてもおよそ30分で消えるとされる。

その30分という限られた時間の中で

・次々と湧いてくる生きるための理由となる「後悔」、「心残り」「罪悪感」などそうしたものを否定

・手段の行使による痛みや苦しみを受け入れる

そこまでやっても生きている事もある。

人間というのは一人で生きていくには脆すぎて、一人で死ぬにはタフ過ぎる。


まぁ、脱線したものの本格的に自殺を考える以前から「自殺の正当化」するために自分の「不幸」を「他人の所為」、「環境の所為」にするためにまず行ったのは「農家」という仕事の在り方について考えた。

今の自分の仕事であり、そして親の仕事、環境としても農家は多い田舎で育った。


その農家であるが自分が以前調べた時、自殺率では3位の仕事である。

2位は遠洋漁業を行う漁師。

1位は小学生の教師となっている。

ちなみに「無職」を仕事に入れるのであればぶっちぎりで1位になる。

コロナ流行以前のデータなので少し古いし、コロナ禍でまた変動した可能性はある。

とはいえそもそもコロナ禍はかなり特異な時期だったのではあるが。


このデータを見た時、自分は正直ホッとした、と言うか「自分だけじゃない」と言うような感覚だったのを覚えている。

だから自分が死んでもいいや、と思えた。

俺のせいじゃない、農家が、田舎が悪いんだ、と。

そうしないと今までしてきた「我慢」に押しつぶされそうだった。まぁ、押しつぶされたのだけど。


そうして逃避しながらも同時に農家、そして漁師を抑えて「小学校の教師」が1位というのは不思議に思えた。

また、ただ単純に「教師」という枠ではなく「小学校の教師」と区分けされているのも気になった。

そこで気になって調べてみるとあるデータと考察を見かけた。


まずこの自殺率トップ3の共通点は仕事自体は「仕事内容を覚えて仕舞えば大きな変化はなくそれを繰り返すルーティンになる仕事」という事。

この3つの仕事のうち、自分は農家しかなった事がないので他二つについては偏見になってしまうが、確かにそうかもしれない。


単純に農家、そして漁師は人間が相手ではなく「自然」が相手だ。

そして一位の小学校の教師は子供が相手ではあるが同じ教師ではあっても中学、高校と比べると「教師」として子供達を相手に教える内容のレベルは低くなる。


ではそうした単純な仕事だから自殺率は高くなるのか、というとそういう話ではない。

むしろそうした主たる仕事「以外」に問題があるのがこの3つの仕事。

ようは「人間関係」である。


農家は自然を相手に仕事するため自然災害が起これば収入に直結する。

しかし、それでもそう簡単に自殺はしない。

果樹などの品種を一新したタイミングで災害が起こったとしても、少なくとも日本ではすぐに自殺、とはならない。

「助け合い」の精神、組合や制度などの「補助」がある。

また出稼ぎなどもある。

農業自体に問題が出てもどうにかなるし、どうにかしてしまう。

しかし、そんな災害にもそうそう負けない農家だが自殺率が増えるのが「同世代の農家」が近隣から消えると自殺する傾向が高まるという。

早い話が「仲間」が消えると自殺する。

これは「農家」として就農年数が長ければ長いほどそうであるとのこと。


漁師にしても船の中で長期間同じ人間と顔を合わせなければならない以上、人間関係で自殺率が高まる。

農家、漁師を抑えて一位の小学校教員は「教師」の仕事で自殺するのではなく、同じ教員同士の上下関係や生徒の保護者とのトラブルなどが原因で。


「人間関係が一番問題」というのはどの仕事でも言える事かもしれないが何故この3つが自殺率トップ3として君臨しているのか。

ここで自分が思うのはコレらの仕事で自殺率を高めているのは「陽キャ」的な精神の持ち主達であると言う事。

「陽キャ」故に「自分に価値を感じている」「価値のある事を求めている」人間達だ。

自分のような「自分に価値を感じていない」あるいは「まだ誰も知らない価値を探したい、創りたい」と思う「陰キャ」とは異なる。


単純に自分は能力も気力も無いし、もう疲れたから消えさりたい、と思ったわけでそこには陰も陽も関係ない話ではある。

しかし今回話に挙げた農家、漁師、そして小学校教員の自殺率の高さは仕事に対しての能力も気力もある人間が起こしている。

仕事への能力の高さと気力も高い、それ故にそれを「外」と比較したり、あるいは「外」から否定される事を恐れる。


実際のところは農家も漁師も小学校の教員も全て必要な仕事である事は間違いない。

間違いないからこそ仕事として成立しているのであるが当事者達は「それ以上」の価値を自らの仕事に見出している。

「誇り」を持って仕事をしているのならいい。

しかし自殺率が高い以上は「驕り」「慢心」を持っている事に他ならない。

「外側」に対して自分に対しての価値を与えることを望む。

そして望んだ価値が与えられない事に苛立つ。

望んだ価値を与えられるようにそれをバネに「没頭」するが近くの弱者にストレスの吐口として向ける可能性が高まる。

女性、子供。

あるいは身体的、精神的な弱者。経済的な弱者。

けどそれについては弱者が弱いのが悪いと自己責任として一方的に突っぱねる。

何故なら「陽キャ」だから。


光が、スポットライトが自分達に向いている。

またそれがあるべき姿、そうであるべき、というものが土台にある。

それで被害を被るのが嫌で若者はどんどん流出していくのに改善しようともしない。

光の外へ向かう者の心情を理解しようと思わない。

それは60点の最低限の世界で自分を満たす女の性質と似ている。

他人の心情を理解しないという事は他人の心を理解する「情け」を切り捨てるという事。

光が強くなればそれだけ陰は強くなる。

その陰が自殺率として高まっているだとしても不思議ではあるまい。


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