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何か書きたい。  作者: 冬の老人
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疲れ依存

前回の投稿から1週間ほど経った。

前回のエッセイではSNSの呟きに対して自分の意見をぶつけ、「子供と大人を同じステージに上げるな」としつつもそれを「疲れているから休め」として締めた。

一方で自分も前書きで「疲れ」を書いており、実際疲れていた。


最近の暑さと仕事の疲れがある状態であった。

目眩が日常的にあった。

視界は右側が高く、左側が低く、かと思えばそれが反転したりとまるて船の上で揺れている感覚があった。

足下も心もとない感覚が数秒あったり。

とはいえその辺も鈍く感じていた。

一時的なもので回復するからだ。

しかし筋トレで明確に「重さ」と「回数」が上がる事が出来なくなっていた。

休憩時間を長めにしたり、しても上がらない。


前回の前書きに書いていたように「疲れ」は半ばエッセイの投稿スピードが低下している事への言い訳のようにしていた節があるのを今は自覚できる。

誰かのためにエッセイで伝えたいという気持ちが強いわけではないし、「俺のエッセイが求められている」とそこまで自意識過剰でもない。

単純に面白いから本来なら毎日投稿したいわけである。

だからこそ急いでいた。

何故なら書きたいネタを忘れるからだ。


自分の世界は小さい世界だがそれでもネット、テレビ、日常、それらから影響を受けて自分の中でエッセイとして書きたいものが蓄積されていく。

だが身体がついていかない。「疲れている」から。

忘れていく恐怖、というのは少し大袈裟かもしれないが「さっきまで書きたい事があった」「さっきまで考えていた事がある」そんな事がこれまでもたくさんあった。

以前はその度にメモを取っていたもののネットをひらけばドンドン情報が入ってきてメモに書いたものを消化するより前に現在進行形のものを処理していく。

正確に測ったわけではないが考えながらスマホで打ち込んで、消して、また書いて、と繰り返しておよそ1000文字あたり1時間程度か。

シンプルに疲れる。


疲れは前回のエッセイで自分が取り上げたSNSの投稿のように、そして現状の自分のように頭の回転を鈍化させる。

当たり前の事ではある、しかしそれを現代社会では「我慢」によって鈍化させる。

長時間労働、長時間の勉強、運動。

高強度、劣悪な環境での作業。

それらを「金」、あるいは誰かに受け止めて貰うという刹那的な「柔軟性」、言い換えれば快楽に置き換えて身体に鞭打つ。

鞭で撃たれた身体は更に痛みに鈍くなる。


「疲れ」を言い訳に使った、と書いたが結局突き詰めれば「疲れているから」というのが言い訳として成り立たなくなって来た。何故なら皆「疲れているから」

皆が「疲れ」に依存し、皆が「疲れ」を言い訳にしてきたからもうその言い訳が使えない。だから鈍くなって疲れや痛みに耐えるしかない。


だが子供はどうか、というと「疲れ知らず」だ。

「疲れ」ていないわけではない。「知らない」「認識していない」だけで運動や遊びなどで疲労の限界に来たら寝る。

よくスイッチのオンオフのようだ、と表現されるが単に自覚出来ないだけなのだ。

そして現代の大人は「疲れ知らず」で働こうとしている。

「子供」になろうとしているのである。


たまにテレビで田舎の方にいくと老人が80、90になっても畑仕事をして働きっぱなしだったりしてそれを「勤労」である「真面目」であると賞賛されたりするが結局それは精神的に「子供」だからである。

腰が曲がり、膝も真っ直ぐにできず、肩も上がらない。

身体の数値も問題がある、持病があったり。

けれど肉体に反して精神的な感覚はまた「子供」だからそのまま働く。



先日、二刀流で活躍する某メジャーリーガーについての動画を見たが「投げた球がデッドボールしたらいちいち打者に謝るな」という他のメジャーリーガーからの苦言があると言う動画を見た。

コメント欄には「礼儀正しいのはコッチ、真っ当に勝負しているのだから文句言うな」「実力で勝てないからってしょうもない文句をぶつけている」と言うようなコメントが多かった。

確かに日本に生まれ育ってきた感覚としては悪い事はしていない。

けどこの「理不尽なイチャモンを叩きつけられる環境」を悪、とするなら日本の田舎もまた同様であり、その環境を作り上げている「疲れ知らず」達もまた悪。

「勤勉」「真面目」なら何をしても良い。

それは使い古された「疲れている」からの代わりの言い訳であり、その言い訳を成り立たせるには更に強い「実力」を示す必要があり、それはより「疲れ」を加速させ、「没頭」と「他者への意識の鈍化」「無関心」を突き進む。


今もまだ自分は疲れが残っている。

一応仕事の区切りと天気のおかげて休みが取れたからゆっくりしながらなんとか書いている。

「疲れた」といえば「情けない」と思う人がいるだろうがこの状態ではまともに頭が働かない。

結論も出ないまま今回書き始めたが今思うのは

「疲れ、と言う感覚をちゃんと知ろう」

と言う事。

「疲れ知らず」では子供のまま。

かといって勿論エネルギーを無駄に余らせるのも妙な気持ちになる。

肉体と精神の「疲れ」のバランスを感じ取る。


「明日やろうは馬鹿野郎」なんて話もある。

しかし今日の分が終わったなら明日の分は明日で良い。

勿論、今日の分を明日やろうは馬鹿野郎ではあるが。

身体の疲労を誤魔化して精神力で乗り切ろう、なんてのは結局無茶だ。

だが仕事や作業について「明日の分も今日やる」をやって、身体や精神のケアを「明日やろうは馬鹿野郎」を続けてきて今その馬鹿野郎のツケで自分は苦しんでいる。


子供のように「疲れ知らず」ではいけない。

かと言って「疲れに過敏」でも何も出来なくなる。

「疲れを知る」。

そのために自分は筋トレを通して自分が疲れている事を知った。

別に筋トレでなくても何か疲れを知る目安となる趣味や日課を取り入れて「疲れ」の依存度を把握したらいいんじゃないか。そんな感じで今回終わり。


2400字。実際2時間半くらいかかってる。

ただスマホに向かって入力してるだけとはいえ、やっぱり姿勢や目が疲れてはいる。

この一週間、極力ネットを見ないようにしてきたがそれでも書きたいネタはアレコレあった筈だが忘れた。

疲れを溜めないように、そして書きたい話を覚えているうちに。

当面そのバランスをとるのが目標か。

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