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何か書きたい。  作者: 冬の老人
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飴と鞭と黒い箱、その2

疲れと暑さと眠さ。

毎日1つくらいのペースで上手いこと投稿したいが結局時間作って一気に、となってしまって長くなる。

たまに体罰を肯定する人がいる。

それに耐えて今の自分があると自負する人がいるが自分はそれを「我慢強い」とは思わない。

「痛みに鈍感」なだけだと考えている。

そして痛み鈍感であればあるほど他人の感じる痛みにも鈍感であり、他人の立場に立って考える事も出来なくなる。

まさに今回のSNSの呟きをした人も我慢をした結果「痛みに鈍感」状態になっての発言だと思う。


慣れ、とは良くも悪くも恐ろしいものでそれが当然になると感覚が薄まる。

ましてこれだけ情報に溢れた社会だ。

上を見上げれば上はいて、下を見下ろせば下はいる。

そして不幸を感じた時に不幸だ、と口にすれば決まって周りから「そんな事で泣き言をいうな、向こうのアイツはお前よりもっと辛い環境でも努力してるんだぞ!」

そんな風に口を塞がれる。

だから我慢してどんどん気持ちに蓋をする。


自分もエッセイで言葉にする事で「自分って不幸だったかも」という話が出てくる。

今回取り上げたSNSの呟きは「子供」に対して我慢をさせる事を正当化する事に繋がりかねない事だから非難するようなエッセイを書く事になったが「不幸を嘆く」という事自体については自分は責めるつもりはない。


結局、どこまでいっても人間は比較で生きる。

不幸を嘆くと「発展途上国では今日生きられるかどうか分からない状態で日本に生まれただけで幸福だ」というような話に持っていく人がいる。

それは不幸を嘆く被害者ではなく、その被害者に不幸をもたらした加害者に説く話であって「強者」のつもりなら被害者にはまず話を聞くべきである。

ある意味で不幸を受けた被害者の視野を強引に拡張させて当人よりも不幸な人間を見つけさせて我慢させるのは所謂性被害でいうところのセカンドレイプに近い。


「愚痴を言うな」

「悩むな」

「泣くな」


果たしてこうした日本の昔からある「大人」の形を子供に当てはめて「理想的な大人」となった例はどれほどあるのか。


「愚痴を言わない」の前には誰かが「話を聞いてあげる」と言う段階があり、スッキリして前を向いた後に「後はもう愚痴らない」と本人が判断する。

「悩まない」の前には選択肢に悩んでメリット、デメリットを考えて悩んだ末に誰かが「背中を押してくれる」とあとはもう「悩まず進む」事ができる。

「泣かない」の前には悲しみ、怒りを誰かが「共有」「共感」する事で悲しみと怒りを振り払う事で「泣くのを止める」事ができる。


飴と鞭の間には「見る、聴く、支える」が入ったブラックボックスが存在しなければならない。

無価値を価値に変えるのはそのブラックボックスが機能する。

日本人を称賛する時に「気遣い」のようなものが挙げられるが本来それが今回でいうところのブラックボックスだ。

しかし可視化されたブラックボックスならもうブラックボックスではない。

気遣いは飴と鞭のように目に映ることはない。

だがそこにある以上、飴と鞭を「与える」ようにそのブラックボックスも「与える」のが必要だ。

しかしそれを飴と同じように「報酬」と勘違いしている親や上司のような上の立場の人間が日本には「思っている以上」に多くいる。

だから代わりに下の人間が「失敗してはいないから罰は与えられないが期待以上の成果に満たない」から「ブラックボックス」を差し出す事を望む。

点数にすれば60点以下が鞭を与えられるなら80点以下、あるいは99点以下、100点以外は期待値以下としているようなもの。


そうして「下」で過ごした人間が「上」に立った時、あれだけやられて嫌だった事を今度は自分の分を取り返すためにかつての「やられてきた事」を押し付ける。

そしてそれが正当化されていた、問題なく回っていたのが過去の日本、そして現代の田舎。

しかしそれではいけない、となってきた。

正当化されなくなってきた。

かつて奪われた「ブラックボックス」を上に向かっても取り戻せなくなった。

ならそのブラックボックスに価値はない、とするしかない。

相手を気遣う事には意味がない。

そうしなければ自分が死ぬ。

そんな考えをしなければいけなくなる。

サイコパスへ繋がる。


公式以外の考察は全て悪、というアンチ考察厨の話。

オチのついた完成度の高い完結作品を生み出すのが小説家の姿という思想。

飴と鞭にも通じるが読者として目に見える物以外の「ブラックボックス」がある事を理解しなければやがて自分の首を絞めるサイコパスしか周りにはいなくなる。


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