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何か書きたい。  作者: 冬の老人
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学ぶという事。

長い。

唐突だが母親はとある「学会」に入っていた。

「勉強している」と母親は言っていたが自分からすると悪い意味での「宗教」である。

敢えてそこについて名前は出さない。

ネットで調べても必ずしもカルト教団のような扱いではなく、「普通の勉強会」と評価している者達もいる。

だがその集団は昔から地方、特に田舎において「結婚」「引っ越し」などで知り合いや友人のいない環境においてそうした「繋がり」を餌に勧誘している。

まぁ、それについては宗教に限らず色んなジャンルで一つのとっかかりなので「餌」というのはあくまで個人的な被害者意識によるものだ。


その勉強会は毎朝4時、ぐらいから行われるらしい。

これだけ言えば「あの団体か」と予想がつく人もいるかもしれないが別に自分はそこの団体を攻撃したいわけじゃない。

あくまで母親が弱かった一因として考えているだけだ。

さて、毎朝4時から行われるとしたらそこへ向かうには身支度を済ませる必要がある。

加えて「予習」だか「復習」だか知らないがそうしたものをしている。

結局、朝というより深夜2時、遅くとも3時前に起きないと行けない。

それを毎日。

うちは農家だ。定期的な休みはない。

毎日寝不足、毎日イライラ。

「 勉強会」とやらで日本の社会や文化などを勉強しているらしいがそれが日常を富ませる、充足させるように生かされた事はないと言って良い。


もしもその2時、3時に起きて農家の仕事や家事の他にアルバイトなどをしていた、というのなら自分は今頃この情けない自分を恥じてとてもじゃないがエッセイなど書いていないだろう。

しかし実際はこの母親のルーティンに家庭は振り回された。

父親は我関せず。

妹は父親に可愛がられたが長男の自分は「母親はため」に我慢をしてきた。

外出、食事、そうしたものが家庭において家事の権限を握る母親のために「普通」よりもかなり狭い環境だったと思う。

我関せずのスタイルとはいえど父親も家事が楽になるように、とか考えて食洗機など与えてきた。

しかし結局「使い方を学ぶ」という事を嫌がって結局昔ながらの手洗いに落ち着く。

ケータイ、そしてスマホもそうだ。車なんかも。

母親は家の中、そして近所ではただの農家の嫁であった。

どこにでもいるただの女。

しかし「勉強会」とやらでは近隣の地区ではそこそこの地位にあり、熱心に勉強しているようだ。

しかしその集団の中での「友達」との繋がりが楽しくてやっているだけにしか見えない。

なぜなら「勉強会」で学んだ事で母親、そしてそれに振り回された家族の生活が豊かになる事はなかったからだ。

「多様性」には理解がなく、「性役割」に固執し、自分の見ている価値観、世界を「普通」と語る。


その母親も嫁いだ先の姑、つまり自分にとっては祖母が死に、そして最近母親自身の実母も死に、ようやく世界と自分の価値観が異なる事を理解し始めた。

「自分の時代」と「現代」に大きな差がある事を認識し始めた。


「人は老いる」

「人は死ぬ」


極々当たり前だが死を意識して生きる人間は自分のような自殺を試みて失敗し、常に「自殺」の選択肢が近くにある人間。

あるいは周囲を顧みずに何かに「没頭」している人間だと思う。

もしかしたら母親自身も勉強会へ没頭していた、死から逃れようとしてタイプの人間だったのかもしれない。

しかし、どちらにしろ母親は自分からするとその様は農家へ嫁いできた「嫁」であっても「母親」ではなかったと思う。


結局、自分は母親から物質的な物以外で何かを与えられたのだろうか、と疑問に思う。

我慢した記憶しかない。

「我慢すること」

それだけである。


好きな食べ物、好きな色、好きなテレビ番組、好きな曲、色んな事を勝手に決められた。

それは確かに「過去」にもしかしたら自分が好きだと言ったものかもしれない。

だが3歳の時に好きな物、小学生で好きな物は異なるし、中学、高校、そして大人。

どれも違うわけだ。

子供の成長による変化を無視して一方的に押し付ける。

自分の意見、そして親子の時代的な力関係を無視して「農家の長男」としての将来を押し付け、縛りつけた。

それが「母親」ではなくて「嫁」であると自分が語る理由。

「女」であろうとしている。


結局、自分がどれだけ不幸を嘆こうが最終的には自分の人生だ。

だがそれは自分だけではなく、母親にも言える。

本来なら息子に尻拭いをしてもらって当然、では困るのだ。

だがそれを行った。

結果として自分も不幸だし、母親自身も不幸だ。

子供なのに「母親を助けないと」と無理をして我慢するように仕向けられて結果、我慢しかできず何もしてこなかった自分。

そして自分に都合のいい「白馬の王子様」を作り上げようとしながら手抜き工事で我慢させつづけた結果、「力も金もなく無気力なアダルトチルドレン」を作り上げた母親。


母親は60点、最低限の人だった。

しかしそれは自分から見た時だ。

近所の人やあるいは「勉強会」の人間から見ると80点相当だったのだろう。

そして自分に対して100点を与えていた。

アンチ考察厨の話だとか、あるいはこの間の「オチをつけて完結して当然」みたいな人と同じ。

価値とは「与えられる物」という認識で自分から価値を「与える」物ではないのだ。


姑、つまり自分の祖母と喧嘩して追い出す形になった。

祖母も大概母親と似たようなタイプで家から祖母が消えた後、探そうともしなかった。

しかし追い出した母親が何年も世話をしていた。

周囲から「姑を追い出した嫁」のレッテルを払拭するため、何年も一人暮らししていた祖母に世話をしていた。

子供の自分、そして妹を家に置いたまま。

「勉強会」「農家の仕事」「家事」「近所付き合い」「実母の世話」

自分のために動き回り、常に忙しく、常に余裕がなく、常に社会とはズレた「普通」の生き方、考え方をしていた。


「こんなに頑張っているのだから自分には価値がある。与えられて当然」


昨今、世代の分断を煽るような事に加えて「男女」の分断を煽るような事も増えてきた。

色んな事が複雑になる。

勉強も経験も必要だ。

だからそれを頑張れば価値を「与えられて当然」か?

結婚して、子供が生まれて、いつまで「男」、あるいは「女」なのか。

「親」になるつもりは?

「時間がない」

「金が無い」

「体力がない」

「余裕がない」

つまりは「愛がない」、そして「情けがない」

あわせて「愛情がない」


勉強、仕事、経験。

未熟な自分よりずっと凄い筈の「普通」の人達。

何を求めて何を学んで何を「普通」としてきたのか。

「普通」の価値を与えられてきたなら子供達には「普通」の価値を与えれば良いのに。


学ぶ、というのは60点から80点を目指す、つまり「20点」を手に入れる道筋だ。

逆に言えばその20点を分け与えるのが教えるということ。

学んで得た能力など結局は自分のため。他人には価値はない。

分け与える20点があり、それを与えてくれる愛情がある事。

そんな人に価値が与えられる。


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