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何か書きたい。  作者: 冬の老人
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アドバイスについて

今回、「他人の作品へ感想やコメントを残す」という事については読者さんからのアドバイスによるものだ。

実際にやってみた結果として

・今の自分には優先順位が低い

・自分は普通のクリエイターと違い、「忘れていたもの、封じ込めていた物」 を出力している事を再確認できた。

・世界を「敵」 として見ているから出力できる事がある

ととりあえず3つ得るものがあった。

エッセイのネタが増えた、というのもいれれば4つか。


感想についてはアドバイスを受けた際に思い出した事がある。

自分がエッセイを書き始めた頃、

「こんなエッセイストは駄目だ」というような話のエッセイがランキング上位にあってその中に「他人の作品に感想しない奴」かあった筈だ。

もうそのエッセイのタイトルも細かい内容も忘れてしまったがそれについては覚えていた、というか思い出した。

読者側の時は何度か感想とかは書いていたりしたが書く側に立って改めて意識して感想とか書いてみよう、と思いながら気づけば仕事は忙しくなるし、他所で漫画の考察を書き始めたりして気づけば時間が無くなっていた。

ただ「いつかエッセイを書く側の立場として感想を書く」という気持ちはあったからアドバイスのコメントを受けてやってみたわけだが正直なところ最初は無視するつもりだった。

単純に次投稿する話を書いている途中だったから。

「時間の使い方」というようなタイトルで投稿するつもりだった。

ただ、たまたま書いている内容とリンクする思いがあったし、「そのうちやろう」 とも思ってもいた。

また感想を書く気になったエッセイもあった。

ここまでお膳立てされたら書いてもいいか、と思ったわけである。


基本的にアドバイスをする人は「良かれ」と思ってやっているだろう。

そしてそれを実行する人に対しては「アドバイスを受けて自分で意思を決めてやるのだろう」と考えていると思う。

だが実際には先述の自分の通り

・自分がやるつもりがあった

・自分に余裕がある

その上で

・アドバイスをくれたから

やるのである。

今回はたまたまそれが揃っただけである。

そして結果も満足のいくものだったからこうしてエッセイに書いている。


以前のイラストレーターのvtuberの話でベテラン漫画家が

「先生と信頼関係が無ければ心を疲弊するだけになる事もある」

かといって正直なところ、アドバイスをくれた読者と自分の関係はそこまでの関係はない。

あくまで自分にもその意思やネタとなるエッセイがこれみよがしにあったから「アドバイスもされたし、じゃあやるか」となっただけである。

さて、その上で前話で少し触れたが自分が書いた感想はごく僅かな文章だかその文章を送るのにはそのエッセイを見てから丸一日かけて添削してかなり「穏便」に書いた。

だがそれは自分に「攻撃的ではないか」と我に返る余裕があったからだ。

恐らくそのまま書いていれば面倒臭い事になっただろう。

別に実力行使で消されるとかではないが「失敗」したことにまたアレコレと思いを巡らせる事になる。


自分のエッセイは「封じ込めてきた過去の思い」である。

そして自分の感覚は過剰に敏感だ。

「我慢」する事になる。

我慢は悲しみになり、悲しみは怒りへ変わる。

その時向かうのはアドバイスをくれた者に向かう事になる。

直近では「教訓なき勧誘」でも語ったし、過去に何度か語ってもいる。

教訓とは「弱音」が元になる。

成果物が「格闘技してみなよ、びっくりする」と曖昧では誰がやるのか。

それと同様にアドバイスについても「○○してみたらどうか」という提案は曖昧すぎる。

今回、結果が思った以上のものを得る事ができたし、自分の意思もあったからアドバイスをくれた事に感謝はしている。

しかしながら行動するということは「愛」や「情け」をかける事になる。

アドバイスは思っている以上に「危うい」ものだ。

対象を見定め、どういう意図があり、そしてそれを勧めたか。


人には向き不向きがある。個人差がある。価値観が異なる。

それを「普通」の一言、一つの価値観で無視してアドバイスや助言をして失敗すれば責任は失敗した者自身の「自己責任」としてしまう。

失敗した者の中に生まれる思いは「アイツがあんな事を言わなければこんな事にならずにすんだ」という清々しいくらいの逆恨みだ。

しかしながらそうして助言してしまった以上、責任の一端はある。

逆恨みを帳消しにするのは簡単で「すまない、見極めが甘かった」と謝罪をして失敗と責任を一緒に背負う事だ。

まるでスポ根的な漫画などで普段は厳しい師匠と弟子の信頼関係が増す使い古された王道の一コマだ。

しかしそれは裏返せば上位の者が失敗や責任を背負ってこそ信頼関係が生まれるというのは万人が納得する意識なのだ。


クリエイター、物書きという者を語るには端くれも端くれ。

切れ端のさらにほつれた糸の先みたいな物書きの自分だが一応それなりにエッセイを書き続けていられるのは出来る理由に「普通」を使わないように心がけているからだ。

まぁ自分が未熟で「普通」ではないと考えているから使えないだけではあるが。

逆に言えば自分が「普通」を理由にしているときは大抵ヘラって余裕がない。分かりやすい。

助言の先にある理由には「普通は出来る」はあってはならない。

「君なら出来る」

そして可能なら何故出来るのか、理由や理屈、教訓を伝えて迷いを消してやる。

「アドバイス」

たった5文字の概念。

その中身もシンプルだ。

だがそれで人は動く。

もし、意図的に「人を動かそう」とするのなら尚の事この「アドバイス」というものはしっかりとその危険性を見定める必要がある。

それが今回アドバイスを無視するか、やってみようか、と迷った時に考えた事である。


忠告、警告じみた話になったわけあるが今回の話のきっかけになったのでアドバイスをくれた人に感謝はすれど責めたりする意図は無いことは明言しておく。

一応、次は自分が感想を書いたエッセイを含めた最近のエッセイのジャンルのトレンド「外部からの評価ポイント操作によるランキング入り」 関連から見る現在の「小説家になろう」を自分なりに考えてみて書いてみる。

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