AIイラストのグラビア写真集について思ったこと。
何日か前に某出版社がAIイラストによって生成されたグラビア写真集的な物を出すとか出さないとかで話題になっていた。
そのパッケージに出力されたものがグラビアを辞めた人間に似ているだとか、出版社がそうしたものを使って商売するなら自分だってその出版社の漫画を学習させたAIイラストで漫画を売って商売する、といったもの。
そもそも権利問題があやふやなまま進んでいるから色々言われるのだが、逆に言えばそれさえクリアすれば良いのだろうな、とは思う。
入力元のデータがどこから拾ってきたものか分からないから問題でそれをクリアしてしまえば出版社側は自由にイラストで写真集とかを売り出せるし、その一方で漫画を学習させてイラストとして出力、再翻訳みたいな漫画で稼ごうとする者も著作権侵害で罰する事ができる。
そこには生きている人間の感情は挟まれない。
仮に「もう自分の身体が性的消費の道具に使われるのが嫌」と言ってもそこに明確な権利問題をクリアしたデータから出力したAIイラストなら、文句をつけようがない。
ソレに文句をつけだすとその人に似ているファッション、見た目の人物全てに矛先が向かう。
ファッションを自分の権利として拡大するわけにもいかない。
また、AIイラストから技術がさらに発展して個人で簡単にAIアニメが作れるようになれば今度はソチラも同じ事になるだろう。
実際、映像配信会社がAIアニメを制作したという記事もあった。
その記事ではAIによるアニメの限界が指摘されていたがそれはストーリー中心の映像作品に限っての事。
AIグラビア映像作品だとか、AIによるアダルト映像作品といった話の「内容」よりも「見た目」「行為」「性癖」の方向に特化したものなら多分相性がいい。
外野から見ている分には「権利問題」を争点にしてAIイラストによる作品の規制を訴えたりしているように見える。
けれど権利問題をクリアした時は「イラストレーターを護るため」と結局譲らない気がする。
この辺は考察厨とアンチ考察厨の話と同様に色んな立場がある。
「権利問題さえクリアしたならグラビア風イラストでも問題ない」とする側と「イラストレーター当事者」とではまた考え方が違ってくるだろう。
以前のイラスト投稿サイトのそれは明確に
「イラストレーターの権利保護のため」
であった。
そして以前は規制だとか規約に抵触したのは個人のAIイラスト製作者だったのに、今回は大きな出版社だ。
権利が明確になりその問題がクリアされる方向に向かう可能性は高い。
勿論今は違う。
しかしそれがクリアされた時にAIイラストを否定するための理由、「イラストレーターを護るため」という事が単なる「名目」となった時、それは「訴え」ではなく「情け」を求めるだけになるんじゃないか、と思う。