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何か書きたい。  作者: 冬の老人
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考察厨側からの考察厨の姿。考察厨側から見たアンチ考察厨の姿。その4

アンチ考察厨の言う考察厨がキモい理由のその最後に上げた「例え考察厨の考察が当たっていたからと言ってそれはそれでキモい」という事。


単純な話でオタクへの風当たりと同じで「考察厨」を見下しているから。

色々と考えて書いては書き直し、書いては書き直し、となったがいつも通りの結論になる。

アンチ考察厨には作品への「愛」はあっても「情け」がない。


作品を購入し、読破するための金、時間、労力は捧げる事はできる。

しかしさらにそこに作品に対して時間を掛けて柔軟に頭を働かせて考察する労力をかける事が出来ない。

アンチ考察厨とは「女性」的だ。

最低限の「愛」は与える事は出来るがそれによって「情け」をかけてもらう。

ようはコストを払ってサービスを受けるという「お客様」なのだ。


一方で考察とは「愛」と「情け」、つまり「愛情」を与える。

言い換えればコストを払った上でサービスまでするわけだ。

そうした「プレイ」のようだがそれが趣味で楽しいのだから仕方ない。

金を払ってでもやりたいのだ。

考察を別の物に変えても当てはまる。

筋トレ、格闘技、スポーツといったもの。

さらには絵を書いたり、曲を作ったり。

勿論ゲームなどもそうだ。

全て自分達の「愛」だけではなく「情け」も捧げている。

見返りは求めていない。それが楽しいのだ。


愛、あるいは情けのどちらか一方を見返りを求めず与えるのは「応援」である。

応援なら強者であるなら誰に対してでも出来る。

しかし「愛情」を見返りを求めず与えるのはそれは最早「自分自身」、あるいは「自分にとって大切な存在」にのみに限定される。

男の場合、愛情を向ける対象として「自分」以外に「大切な存在」を見つけるのは割と簡単だ。

だから「オタク」になりやすい。

しかし女の場合、「自分」以上に「大切な存在」というのは中々見つけられない。


話を考察厨の話に戻す。

自分は敢えて今回のテーマで「考察厨」と「アンチ考察厨」の2分割にした。

しかし実際はどう大雑把に分けても5パターンには最低限分けられる。


1.考察を押し付ける考察厨。

2.考察を見るのも考えるのも好きな人

3.考察は特にしないが他人がするのを否定もしない人。

4.強引に押し付けてくる考察厨は嫌いだが無害なら否定しない人。

5.考察そのものが嫌いで無害だろうがなんだろうが他人の行動すら否定する人。


本来なら2、3、4が殆どだろう。

しかし実際に目立つのは1と5の極端な立場だ。

そしてその極端な人間の行動のおかけで2のようなタイプも「考察厨」で括られる。

4のようなタイプは「アンチ考察厨」で括られる。

3のようなタイプは両方から目の敵にされる


この1と5は正反対のようで実際のところは「愛情」の方向自体は自分自身である。

1の考察厨は考察を通して「自分の正しさ」を周りに知らしめて注目と肯定を他人に要求する。

正しい考察をした自分に「価値」があると認めて欲しい。

一方、5のアンチ考察厨は「作品、作者」に絶対の正しさを求める。

そうする事で自分が「情けがない」事を悟られたくない。

「考察」を否定する事で自分が「他人や物に興味のない人間」「自分自身にしか興味のない人間」であることを知られたくない。


1と2が「考察厨」で括られるのは「考察」という行為としては同じ事をするからだ。

一方、4と5がまとめて「アンチ考察厨」として括られるのは4のような人間の「考察を押し付けてくる考察厨の強引さが嫌い」という真っ当な意見を5の人間が「建前」にして「考察そのものを否定」するから。


自分が今回のテーマを書くに当たってネットから拾ってきたアンチ考察厨の4つの考えのうち、前回までに書いた3つの考えは4の人間、「考察厨の強引さが嫌い」というある意味真っ当なものだ。

だが今回の「例え正解でも何となく気に食わない」は完全に感情論だ。

しかし先の3つの考えを建前にして「考察厨は悪である」と前提とすることで「何となく気に食わない」という感情がボヤけて正当化される。

仮に5以外の立場の人間がその正当化された感情論を見抜いて指摘しても今度は「数の力」で孤立化させる。

孤立化するのが嫌なら選択肢は3つ。

・軍門に下る。

・考察厨の側に立って味方を得て対立する。

・界隈から去る。

だから余計にそれぞれの極端な勢力が大きくなり、そこにある個人の考えが曖昧になる。

そしてやがて疲れた人間が脱落、そこから立ち去り、やがて人が消えて「オワコン化」する。


「自分自身」にしか興味のない人間が他人、物に対して「愛情」を向けられない。

他人に興味のない人間が今回の5つに分けたようにそれぞれの違う考え方がある、と考えられると思わない。

結局、漫画にしても他人の考え方にしても「情け」をもって考察しなければ表面しか見えない。

「言葉」「表情」「行動」、そして世間一般的な「常識」やその対象の所属しているコミュニティ、環境などの「背景」等。


1の人間、考察厨は他人に考察の対象を向ける必要がある。

5の人間、考察を否定する者は考察という他人へ「情け」をかける必要がある。

2、3、4はある意味で巻き込まれただけの被害者とも言える。

だからこそ「孤立化」するのを嫌って安易に1や5といった極端な立場へ入りこんだりしてはいけない。

界隈から去るにしても「満足して終わる」のと「嫌気が差して逃げる」ではまったく異なる。


結局のところ、他者への「情けの無さ」を隠す為がスタートとなる。

最後に残る、オワコン化してもそこに居られる者は「愛情」をかけた者達だけ。

「孤立」など意に介さない「本物」がいる。


今回で終わらせるつもりで長くなってしまった。

そのうえで書ききれなかった感じがある。


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