考察厨側からの考察厨の姿。考察厨側から見たアンチ考察厨の姿。その1
自分は他の所で漫画の考察をしている。
考察厨側の人間だが別に言い訳はしない。
「考察厨は気持ち悪い」
コレに尽きると思う。
何故なら「考察」というのは「オタク」の根っこにあるものだから。
もうゲームもアニメも大人も女も見る時代だ。
20年、30年前、あるいはそれ以上前の「オタク」とはわけが違う。
とはいえ同じゲームをプレイしても、同じアニメを見ても個人によって楽しみ方が異なる。
以前FPSは何故廃れないか、を書いた時の話がそれで
「作品から空想や考察をして楽しむ者」と「作品を他人と繋がるツールとして楽しむ者」の人間がいる。
例え同じゲームを楽しんでいたとしても楽しみ方には違いがあるのだ。
そして考察する人間、ましてや漫画の考察などは個人の知識、価値観で構成される。
どれほど深く、広い知識、高い意識と公平性を保とうとしてもそこにはやはり個人の考えゆえの好みや性癖が浮き出てくる。
ゲームやアニメ、漫画といったものが一般的になり「オタク」がもはや大衆化した事で昔居た「オタク」だから、という理由だけで馬鹿にしていた者は大分減った。
勿論それでも未だにいる事はいるが今はそれを「チー牛」など見た目を馬鹿にする方向だったり、「V豚」「アニオタ」「鉄オタ」という風に限定した分野へのオタクになっており大雑把に「オタク」で一括りにするのは昔に比べれば減った。
しかし、上記の通り特定の分野に絞って馬鹿にするのは増加傾向にあるように思える。それはある意味ボヤけていたオタクの中身の細分化された状態が可視化されたともいえる。
そして「考察厨」というのはそうした分野を限定した罵りである。
とはいえ、結局のところそれは昔の「オタク」の扱いと変わらない以上、オタクを毛嫌いする者達も昔と対して変わらない。
そして同時にそれは今の時代、かつてはオタクのジャンルとされたゲームやアニメ、そもそもインターネットなんかも一般的になり、誰しもが毎日のように触れているのを見れば分かる通り、オタクを毛嫌いする者達の「悪あがき」であり、いずれ否が応でも「考察」を肯定しなければならなくなる。
「考察を考察しなければならなくなる」というのは実際にもう明らかでネットで「考察厨が嫌いな理由」という「考察」をしている人間を何人か見た。
・作中で明言されていない描写を自分勝手な妄想でこじつけるのが気持ち悪い。
・ソレに共感して群れて力を持って正当化しようとするのもキモい。
・それが視界に入るのがそもそもキモい。
・仮にその考察が原作の中で明かされて正解だったとして、それはそれでイラつく。
自分が見た「アンチ考察厨」の言い分というのはこんなところだ。
本人は「漫画やアニメの考察」と「自分の感情の言語化」を区別しているようだが下らない拘りだ。
どちらも「考察」には変わらない。
むしろ、考察だけを考えると「無意識の差別」「他者への攻撃性」がある分、アンチ考察厨のほうが厄介とと言える。
そしてこれらのアンチ考察厨の意見はまるっきりツイフェミからオタク的文化への非難で炎上する際に見かけるツイフェミ側の意見、価値観である。
その1、というか長くなったので途中でぶつ切りにしただけ。次は今日の夜か明日。