価値その3
GW終わった…?始まってもないのに。
最近、とある配信者の切り抜きを見た。
「何故FPSって廃れないのか」という考察だ。
切り抜きを見た、というより切り抜きのタイトルを見て自分も過去に考えた事があったというのを思い出した、というのが正確なのだけど。
まず、結論から。
FPS、あるいはTPS?あの手のゲームが廃れないのは非常に「女」らしいゲームだからだ。
暴力的だとか、そういう話ではない。
「シンプル」なのだ。
やる事、考える事、画面の見方。
ゲームのタイトルによってシステムや名称は変わってもやる事は基本的には同じ。
勿論、それは他のジャンルのゲームも同じではあるのだがFPSのようなそれは一つのゲームをやり込んで身につけた技術の「潰しがきく」。
そういう意味では「モンスター○ンター」だとかあの手のアクションゲームも中々歴史のあるタイトルだが操作自体シンプルな訳で廃れないのは同じ理由である。
一方、格闘ゲームなどは最盛期だった頃と比べるとハード性能が大幅に向上した結果、様々な要素が盛り込まれているわけだがそれが好きな人間、「玄人向け」にはなったとしても新規プレイヤーにはドンドンとっつきにくくなっていく。
その証拠に操作がシンプルな「スマッシュ○ラザーズ」は人気のタイトルであるが「ストリー○ファイター」などは正直なところ最盛期に比べると中々難しい状況ではある。
細かい事を言えば果たしてこの2つのタイトルは同じジャンル、格闘ゲームか?となるが「初心者」「ライトユーザー」からすれば変わらないわけだ。
一方でRPG、特にJ-RPGのようなストーリー重視のゲームは操作自体は困難な事は少ない。
しかし結局のところストーリー重視という事は話を理解して考える必要がある。
「考察」してゲーム上で描かれない所を「妄想」したり、あるいは次回作を「予想」したり。
そうした「空想」の世界を楽しむゲームと画面に映る物が全ての「物質」的なゲームとでは同じゲームでもまるで違う。
例えるならRPGなどは漫画や映画、小説。
FPSはトランプなどのパーティゲーム。
RPGが芸術ならFPSはギャンブル。
「考える」事を楽しむか。
「競う」事を楽しむか。
自分は根本的にFPSなどは苦手で正直「推し」の配信者がやっているのを見ても楽しめない。
しかしそこに考察の余地があれば楽しめる。
ストーリーがある、武器のコレクションや特殊な作戦の展開であったり。
もっともそれでは楽しむべき「撃ち合い」が単なる「実験」、というより思考実験の「証明」にしかならない。
自分にとってプレイヤー同士の対戦よりもそこに至るまでの過程のほうが魅力的だ。
先に挙げた通り、FPSのようなゲームはトランプゲームのようなもの、と自分は考えているので恐らくはもう廃れないのだろう、と思う。
勿論、ゲームタイトル自体は流行り廃りの早い昨今、いくらアップデートしようとも所詮は出来た時点で「過去」になる。
新たなタイトルが出ればプレイヤーはそちらに流れ、そうして淘汰されていく。
「考察」の余地のない「物質」的なゲームである以上、そのゲームの本質である「他人との競い合い」ができなくなってしまったタイトルには価値はない。
ジャンルは廃れずともジャンルの中のタイトルはドンドン流行り廃れていく。
本格的に数年前に爆発的に流行ったVRMMOのようなライトノベルなどで登場した「未来の技術」が確立すればジャンルも画面を見て操作するFPS、というかそうした今のスタイルのゲームそのものが廃れる可能性はあるが、いくら技術の進歩が早いとはいえ流石にライトノベルの架空の技術の現実化、完全な再現とそれを民間人へ普及させるのはまだまだ無理だろう。
だが逆にいえばここから先もない。
いずれはショーとなり、ギャンブルの対象になる。もしくはもうなっているかもしれない。
FPSなどに疎い自分はその辺はよく把握していないが、そうした自分のようなFPSに興味のない人間に参加を促すためには結局、「金」を絡ませる他ない。
単に興味のない者ならそれで参加するかもしれないが「考察」に価値を見いだす者には大抵考察するネタはその辺に転がっている。
自分が見出した自分のための「愛」を向けるに値する物がある以上、他人から押し付けられた物は「障害」でしかない。
障害によって道を狭まれた事で更に愛は勢いを増して行く。
まるで好きな物に愛を捧げるオタクと価値観を押し付けるツイフェミの構図だがオタクには圧倒的に男が多いし、ツイフェミは女が多い。
自由も度がすぎれば「無法」になる。
かといって規制も行き過ぎれば「支配」になる。
だから互いに異なる価値観を持っている、歩み寄るのが最も価値のある事なのだと思う。