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何か書きたい。  作者: 冬の老人
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価値その2

その1を書いていた日、5月1日は「語彙」の日だったらしく本来ならこれを「価値」として書くつもりだったわけだが先に手をつけてしまった物も今回書く「価値」に全くの無関係ではない、とその1として先に投稿した。

だから「価値」として書きたかったのは本来は今回の話となる。


もしかしたら自分のエッセイを長く続けて見てる人がいるかもしれない。

通知だとかもつけてくれてるのかもしれない。

ただ「なんでこの作者、検索用のキーワード設定していないのだろう」とか「ぶっちゃけなんでこの評価ポイントで頻繁に投稿してるんだろう」とか思ってる人もいるかもしれない。

まぁ、一時期は日に2回投稿とかやってたが最近じゃ2日に1回とかペース下がったのだけど。

根本的に自分のエッセイはエッセイとも呼べない「頭に溜まったカス」を吐き出してるだけの排泄行為、自慰行為でしかない、というのが書いていける理由であり、本当はもっと書きたいわけよ。

熱意を向けられない仕事をこなしながら頭の中でネタを考えたり、他の場所で投稿してる漫画考察を考えてみたり。

何処までいっても自分のコレは自己満足。

極端な話、自分にとって投稿したエッセイだとか考察だとかはもうそれがなされた時点で価値がない。

まぁ、「前にこのネタ投稿してなかったか?」とか見返してみたりする事自体はあるけども。


「何か書きたい」

半年以上書いてきてるエッセイのタイトルだが究極的にはコレが目的。

確かに書いた内容でいいねを貰ったり感想貰ったりするのはありがたいし、嬉しいが正直なところそれは副次的な恩恵だ。

自分にとっては排泄物として投稿した、自分の身体から離れた時点で自分にとって「無価値」に近い文章。

それを読者が見てくれるだけ。

読者が自分が吐き出した「無価値」な文章に「価値」を与えている。

だからどっちかというと自分のエッセイに限れば自分より読者のほうが凄いよ。

「ありがとうございます!」というより「あ…どうも」という感じに(なんでこんな拙い文章見てくれるんだ?)という困惑の感情な強めの感謝の気持ちを持っている。

恐らく、というか本来ならこうした文章を通して作者と読者との関係、考えた言葉を受け止めてそれに価値を与える行為というのは親の役割なんだろう、と今回の話を書きながら思っている。


まぁ、こんな風に書いてると突然読者に媚び始めたと捉えかねないのだけど実際、自分の語彙力は貧相であり、非常にわかりにくいだろう。

日本の性質やサイコパスを例える時に使う「女の性質の上に男の性質」だとか、筋トレ関連の話や男女の性質、80点とか。

可能であれば自分が読者に伝わるようにもっと上手い表現ができればいいが、結局はそうやって伝わりやすいように「加工」すればするほど自分が表現したい「思い」は見えなくなる。

化粧され、着飾り、お行儀よくした言葉は受け止めるのは楽だろうが「1/3も伝わらない」ってやつだ。

悪いけどすっぴん姿の自分の「思い」を受け止めて貰っているのだが、そのためには読者の側に受け止めるための強さを求める。

「わかりにくい表現」を理解して貰うための労力を求める。

「わかりにくい意図」を反芻してもらうための時間を求める。

早い話が読者に「受け身」になってもらい「労力」「時間」をかけてもらっている。

つまりは「情け」を求めている、それが自分のエッセイだ。

そしてその上でそんなエッセイに対して何らかの「価値」を見出している。

自分のエッセイに「情け」を与えて「価値」へ変換する。

エッセイを読み解く、つまり読んだ読者自身の血肉へ変える事はつまり「愛」へと変わると言う事になる。

情けをかけて愛にする。

読者はそうやって「愛情」を与えている。


その「愛情」はあくまでエッセイ、もっと正確にはエッセイから読み取った「考え方」だとか「知識」という物に対してなのだがつまり読者と作者の間、エッセイに向けられる。

だから小説やエッセイの作者は「愛情」を与えられたくて、「価値」のある物を生み出そうと頑張るわけだが自分にはその辺がうまくいかない。

結局のところ自分が書きたいものを優先させる。

皆に見てほしいならもうちょい頑張って見てもらうための努力、それこそキーワード設定もそうだし、何か見てもらうような工夫をするべきだ。


PV的には去年の11月が一番、次いで1月。

思い当たる節は「自殺未遂」と「エロ」だ。

強い言葉と性的なテーマ。安直だがやはり語ればそれは稼げる。

読者に見てほしいという欲を優先させれば多分そちらを主軸にしてノクターンとかに小説投稿すれば良いのかもしれないがやる気はない。

自分はやりたいと思わない事に努力は出来ない、する気もない。

だからあくまで「自分」のためのエッセイの投稿というスタンスから動けない。その「スタンス」への拘りとも言い換える事もできる。

だから自分にとってのエッセイの価値は自分とエッセイの間、出力のために「考えた」という事実にある。

一方、読者にとっては読んだエッセイと読者の間、理解するために「考えた」 という行為にある。

人とエッセイの間、そこに向けられる「考えた」「考える」「考えたい」

その「思考」の過去現在未来こそが物の「価値」なんじゃないかな、と思う。

ここまで読んでるアナタ、マジでスゲーよ。

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