80点。その5(ルッキズム)
久々過ぎて「その○」の番号忘れちゃったよ。多分合ってると思う。
先日、「ルッキズム」かトレンド入りしていたのだが最近ではポリコレなど、行き過ぎた表現の規制に対しての力に辟易しているせいか、
「ルッキズムは悪なのか」
という話が出てきた。
見た目について「努力の証」の一つとして認めるべきだ、という主張。
海外のポリコレで規制されたおかげで「コレじゃない」感じの映画やドラマの配役、さらにはミスコンなど、見た目で選出されるコンテストなどの廃止。
正直な所「冬の老人」個人からすればこの手の主張はどうでもいい。
以前「エロとは2である」とか語ってはみたが正直なところYou Tubeの動画のバズり具合をサムネで「2」というワードが頭に浮かんで好きか勝手に考察し語っただけである。
自分が「好きなもの」「好きな人」「好きな属性」 が「好き」なだけだ。
「世間で好かれているもの」がきっかけにはなれどどこまでいっても自分自身の「好き」は自分が選ぶ。
まぁ、その拘りの高さから弱者男性なんてポジションにいるのかしれないが。
話はそれたが個人的に言わせれば「ルッキズム」は悪だよ。
だけどコンテストなどは別。
コンテストは明確な基準があってそのルールに沿うように選手が努力してきたんだから。
だけどルッキズムはそのルールを無視して見た目で決めるってこと。
スポーツ選手が実力ではなく見た目で選ばれたら嫌だろう。
ましてやその見た目が分からない審査員の価値観で選ばれたものであったなら尚更だ。
よくワイドショーなんかのコメンテーターの要る、要らない論争も結局のところそのコメンテーターが公共の電波で意見するに足る知識を持った人間ではなく、芸能人とか専門外の人間を知識人のように扱うからそんな論争がでるわけだ。
勿論、スポーツ選手にしてもコメンテーターにしてもある程度の見た目や名前の有名さ、などはメディアに乗る以上は必要だろう。
だがそれはあくまで「ある程度」、60点〜80点で良い筈。
けれどルッキズムは「実力も100点、見た目も100点」を、あるいは「実力は後回し、見た目を何より優先」という事。
しかもそのルッキズムは一定の基準があって成り立つわけだからその基準次第、基準を定める人次第になる。
数年前、丁度コロナ禍の初期、zoom飲み会、みたいなのが流行った辺りだろうか。
そこで某女優、女タレント?が「筋トレしてつけた筋肉は嘘っぱちでみっともない」と当時の筋トレ界隈には衝撃が走った、とされている。
その上でその女性芸能人のSNSのアカウントなどに批判が相次いだ。
一方で筋トレ系のインフルエンサーなどはアンチ行為とも思われる過度な批難は止めよう、と面白おかしく「ギャグ」や「ネタ」に昇華した動画やツイートを発信した。
それはその女性芸能人のファンなどから筋トレ界隈への攻撃、そしてその他の第三者、筋トレにも関心がなく、女性芸能人のファンでもない層への「筋トレ界隈」のイメージダウンの抑制が主な目的ではある。
結局のところ、それまで「飛ぶ鳥を落とす」勢いのその女性芸能人は筋トレとは別の事、いわゆる不倫、スキャンダルで世間から反感を買ってまるで名前を聞かなくなってしまった。
コレについて何が言いたいか、といえば「筋トレ批難」と「スキャンダル」での好感度の失墜は無関係ではないという事。
「筋トレ趣味を理解できない」と言っただけで筋トレマニア達が叩いてアンチ行為を働いたように思えるがそこは「ネット飲み会」でその女性芸能人とは別に相手が居た、という事。
そしてその相手は芸能人だかインフルエンサーだか忘れたが同じ女性であり、その相手の女性は「自分も筋トレが好きで筋トレ趣味の男性については理解する」というスタンスだった。
その相手を目の前にして、いくら酒が入っているとはいえ言い過ぎだ。
筋トレが好き、という相手に「自分は筋トレは嫌い、趣味でやってる連中も理解できない」と語り、あまつさえ万単位のリスナーが見ているその飲み会でヒートアップした「筋トレ批難」のフォローを「筋トレが好き」と語る相手にさせる。
酒が入ったから、と言い訳するにはあまりにも御粗末。
そして「酒が人を変えるわけではない。その人の本性を曝け出す」というような話もある。
結局、不倫スキャンダルや筋トレ批難を筋トレ好きな人にぶつけ、あまつさえリスナーへのフォローも他人任せ。
以前からその女性芸能人にそうした噂はあったようだがそうした行為の共通点を探れば「サイコパス」的な本性が露わになっただけである。
ルッキズムに話を戻すがは「美」を客観視したプロが必ずしも裁定者として判断するわけではない。
むしろ殆どのルッキズムを批難している人間が言っている状況とは裁定者の「好み」で判断されかねない事が問題だ。
そして件の女性芸能人のように「自分の好み」が絶対である、とするような人間が裁定者側に居たらどうだろうか。
ボディメイクの大会といっても複数の団体がある。
そしてその団体によって明らかに入賞者の顔の系統が分かれているとされており、人間が判断する以上、ボディメイクをメインの基準に据えなくてはならないとはいえ、やはりそこはある程度好みが出る。
「美」の一つの基準であるボディメイクのコンテストですらそこに人間の「好み」のムラは出る。仕方がないといえば仕方がないかもしれない。
しかし、だからといって「ルッキズム」を正当化するのはやはり「見た目」以外の努力に本当に目を向けているのか、と思わざるを得ない。
そしてそれは目を向けられる対象が若ければ若い程「ルッキズム」に晒されればコンプレックスになる。
「不細工」と言われればやる気を無くすし、意見出来なくなる。
かといって「綺麗」と言われれば「綺麗だから」という根拠で傲慢になり、老いるほどにソレにしがみつく。
ルッキズムは人の考え方に影響を与える。それは慎重にならざるを得ない。
結論としては「美を客観視できる裁定者による判定」と「自分の好みでしか判断できない素人判断」が混沌としているから悪。
では「反ルッキズム」は?と言われれば「まともな裁定者」と「素人判断」を一緒くたにしている上での反発、つまりはルッキズム肯定についてと同じ理由で悪。
自分は美について素人の自分で自分の感じた「美しい物」しか「美しい」としか感じられない貧相な感覚の持ち主だが、だからこそ「裁定者側」が「まともか」「ただの素人か」そこを線引しないといけないと思う。
結局、立場が強い奴が「選定する側」に立つ場合が殆どだからルッキズム肯定するならその責任は取らなきゃいけない。
今の社会を見て、「責任なら取ってる」と言い切れる人間が何人いるかは知らんし、そもそも自己申告では無意味だし。
責任をとっていない、あるいは責任転嫁している。
そんなふうに見られているから反発されるんじゃねぇかな。