大人養成その2
「大人養成」
適確な知識、適正な環境、適度な余裕。
そして「プロ」の大人を作る。
全て責任を持ってプロのトレーナーが子供を時代に求められるプロの大人に養成していく。
そして、そうしたものは求めれられる基準に達しない能力の親、つまり時代錯誤な大人から子供を取り上げる口実を与える。
何故なら「自己責任」だから。
能力が足りない以上、まともな子供など育てられないと判断する。
それはレッテル貼りにも近いのだがデータはもう充分に取れただろう。
高卒より大卒のほうが能力が高い。
田舎より都会のほうが新しい技術や文化への対応が柔軟で強い。
そうやってデータを出せば出すほど親の能力は子供の生育に影響する事が可視化される。
あくまで自分の考える「大人養成」は日本の大人の能力の平均を上げる事、つまり「下限」を上げる事。
その下限を上げるためにはあくまでざっくりだけど親の「年収」で下位のおよそ3割程度。
3分割で言うところの「敗者」に相当する親。
実際はさらに親の年齢とか色々な物を考えるわけだが、とにかく何らかの「基準」を作り上げ、それに満たない親から子供を引き取る。
「子供に充分な教育を受けさせられない」「ネグレクトを受ける可能性が高い」と判断された親がそれとなる。
「現状の弱者」とは能力の低さから結婚できず、子供を作れない者達が対象。
一方、「現状の強者」は仕事も順風満帆、結婚もし、子供もいる者達。
所謂「普通」と言われる者が強者。
そして現状の弱者の助けを求める声を「自己責任」で切って捨ててきたのが現状の強者。
弱いのは自己責任、そして我慢の限界を迎えた弱者が暴れてテロや人殺しなどの犯罪をしても弱者だからという理由で全て自己責任で深掘りされる。
当然その理屈からいけば多数派から「弱者」が生まれる事があってはならない。
弱者を生み出すことを防ぐために基準に満たない親から取り上げて何が悪いのか。
大人養成の対象になる、つまり親自身が子供を奪われたくなければ助けを求めず自身の能力を上げるしかない。
親の自己責任である。
奪われた下位の者は「子供」という負担が減った以上、ゆとりができる。
もっともそのゆとりとは教育のための「時間」と「労力」であり子供の「大人養成」のためのお金は徴収される。
何故なら本来なら「愛情」を向けるのが親だから。
「愛」の中で「時間」と「労力」を肩代わりするのだから「金」という最低限の責任は親として取らなければならない。
そして子供にかかる「時間」と「労力」が肩代わりされたのだから「情け」の中で「柔軟性」は発揮して貰わなければ困る。
スキルアップ、あるいは副業。そのための勉強。
それらを「親」の基準に満たなかった「元親」の大人達に強制する。
しかもスキルアップについてはともかく、副業についてはそうした「大人養成」が行われれば多数の子供を一ヶ所で増えるために施設管理や保育などが「大人養成」によって雇用が増えざるを得ない。
まぁ雑な予想ではある。
とはいえ結婚や子育てで仕事を犠牲にする場合はあるというのは裏を返せば「子供」が居なくなれば言い訳出来ないという事だ。
一方、夫婦の教育能力で下位の者から子供を奪う、となれば次は残された上位と中間層のなかで競争になる。
得に中間層は転がり落ちる可能性は高い。
だから子供を奪われたくない、下層に落ちたくない、と競争は激化する。
しかしそれによって「金」は稼ぐが肝心の「教育」がおざなりではやはり「基準」が必要になる。
あくまで将来の弱者を生み出さないための「大人養成」であり、そのための親の基準。
金しか与えない親では本末転倒。
時間、労力を子供に向ける為、それがしっかりこなせる職業なのかどうか。
つまり、「大人養成」のためには親側の「労働法」の遵守が大前提となり長時間労働やパワハラ、セクハラなどと繋がってくる。「大人養成」を行うにはそうしたブラック企業の排除なども関わってくる。
改めて考えてみれば別に普通の事を普通にするだけの事。
だからディストピア的な妄想をエッセイとして垂れ流し、語っているとは自覚している。
しかし最近の事件を見ればいかにも「やらかしそう」な奴よりも「真面目でまさかこんな事をするとは思わなかった」という以外な人間が大きく取り上げられ、それを「弱者」と括られる。
「まさか」「あり得ない」「信じられない」
まだ起こってもない事に言う分には「常識』や「普通」かもしれない。
しかし既に起こった事に言えば「現実」を直視しないだけになる。
「大人養成」なんて今の感覚でいえば無機質で人権侵害にもなり得る事だがその大人養成が成立すれば救われる弱者もいる。
しかし極端な話、今の日本の出生率の低さの原因であるゆとりの無さを解決する一つの要因になってしまう。
何故なら過去に「地域で子供を育てる」なんてのは当たり前だったから。
その「大人養成」とはいうがつまるところはその「地域で子供を育てる」という過去の良い点、そしてその過去が抱えていた「プライバシーのなさ」「時代遅れ」などの問題をある程度克服した現代の良い点を合わせたもの。
過去の良い所だけを抽出し、現代の悪い所を克服。
「温故知新」たった4文字で表現できる。
「そんな都合の良いシステム、絶対に不可能だ。大きな歪み、問題が生まれる」
確かにそうもしれないがそれはそんなシステムが生まれた場合の未来の課題。
そしてそうした「過度な懸念」が自分を含めた弱者に我慢させ、挑戦する事に対して躊躇させた大きな要因である。
その辺を多数派は理解しなければ弱者に更に我慢を強いて10年先、20年先、近くはないが「逃げ切る」には遠過ぎもしない未来にそんな制度が生まれても自分は不思議には思わないというだけである。