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何か書きたい。  作者: 冬の老人
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二つの教育、その2

前話でグダグダ語ったが自分の結論としてはこの2つの教育という話、日本と西洋の教育の向かう方向の違いを考えた時にでた結論が

・日本の教育は「早く大人にする」教育

・西洋の教育は「強い人間にする」教育。

という同じ「子供の教育」であっても異なる目的に思える。

何故そんな違いが出るのか、と原因を考えたときに一番近いものなら日本は「戦後」という時代。

皆で助け合わなければ生きていくのが困難な時代に足手まといの子供達に対して「早く戦後から復興するために少しでも早く大人にしなければ」という思いがあったと思う。

それ以前、となると明治維新だとか、色々あるが共通点としては「外から」加えられた変化に対して順応するために多少の問題を棚上げして「早さ」を求めたものだと思う。

ただその国レベル、文化レベルで「多少」とされる問題だが個人レベルでは大き過ぎる問題であり、そこをサイコパスがシレッと踏み台にして問題を押し付けていく、と考えるとそこに日本の悪しき「大人」と「子供」の関係と共通する部分がある。


では現代においては日本の中で「強い人」と「弱い人」が混じっているのは何故か。

戦後などの「早く大人に」と子供に求めた当時の日本人の大人はあくまで戦争の爪痕を「人のせい」としていた。

勿論、戦争についてただの一般人にそんな責任を負わせる事などできない。

それどころかその当時の大人は「お国のために」と子供を捧げていたのがいい例だが弱者であった。

一般人、つまり国民全体が弱者だったと言えるし、捧げさせてきた国が強者だった。

しかしそれは弱者は強者に奪われる役割であったが代わりに弱者としている事で守られていたし、強者側も弱者を守るという御題目とその責任が前提としてあっての奪う事の正当性があった。


そして戦後からの復興、バブル期、バブル崩壊を経て尚、「早く」と急かされて問題を解消しないまま時代が進む。

もはや「お国のために」なんて言葉など通用しない。

貴族も居なければ、侍もいない。

職業による差別は別として、「国民」に上下はない。

強弱があるとすれば「親」と「子供」。

強者になる事で「権利」と共に「責任」も当然ある。


戦後復興の頃までは大人でも一般人は総じて「社会的弱者」だから成り立っていた日本の「多少の問題は無視して早く大人に」という教育と文化。

国の中で「力を持つ者」、「強者」の定義が変わったにも関わらず

戦後の頃までの「弱者」として国に守られる事は当然、それでいて強者、親としての「権利」は手にした。

結果、「弱者」だった頃の「最低限の責任」でありながら現代の強者として「最大限の恩恵」を受けてきた。

自分の事は100点満点が欲しい。けれど責任は最低限。まさしくサイコパスの大枠だと自分は思う。


ただ戦後の混乱時、法の支配が行き届かない状態はまさしく「人間社会」というより弱肉強食に近い世の中だったのは認めざるを得ない。

だから早く大人に、「早熟」が求められた。

だがそれは大人としてのスタートが皆横並びに近い環境だったからだ。

では今はどうか。

産まれた土地でハンデが付き、親の知能、財力でハンデがつき、自分の能力でもハンデがつく。

極めつけはそれらのハンデにレッテルを貼られたりする事も。

ソレは努力ではどうにもならない。

読者によって「負け惜しみ」と捉えるのも自由といえば自由だが少なからず昔は高卒でもよかったし、中卒、小卒でも許された。

最近流行り言葉のように聞く「発達障害」や「グレーゾーン」、あるいはただの馬鹿でも体力さえあれば結婚し、子供を作れた時代。

最近SNSなどでたまに耳にするが「普通のハードルが高くなりすぎている」という言葉。

それは否定しようもない事実。

ではどうするか。

今でさえ不満の募る社会なのに今の社会を維持しつつさらに以前の不便さを肯定すればますますつらくなる。

ではハードルに満たない平均以下の力のない人間を消せば良い、というような前の話の間引きを肯定する事は他人の不幸を自分の糧とするサイコパスしか幸福にならない。


「どうすれば早く大人にできるのか」

そんなもの不可能。

人間が人間として自然の生物として生きる限り、不可能。

SF映画のように培養液に満たされた容れ物の中で人間の肉体や知識などを操作して生み出すような所まで科学が発展すれば可能なのかもしれないが少なくとも現段階でそれは無理。

どれほど何をどうしようとこの日本において18までは未成年、子供。

「早熟」を求めたところでスタートは18。

フライングさせて「手伝い」と称してネグレクト行為をしたりすればするだけハンデとなる。


「身体が大きいからもう大人」が許される時代じゃない、国でもない。

早熟の実は硬く、甘みがない。

残念ながら現代の日本の農家でも「見ため」を熟したように見せかけて売る者は今でもいる。

それは他の農家に先んじて「利益」を求めた結果。

商売だから「期」を見る能力に長けている、のかもしれないが結果としてそれがその土地の、その県、現代なら輸出を考えると日本全体の評価を下げる。

「自分さえ良ければ」商人としては優秀な才能かもしれないがそれはつまりサイコパスと変わらない。

そうしたサイコパスを排除するために適正な時期を設けたり、あるいは品種改良などの正当な努力や拘りを仕事に向ける事ができる。

その拘りを子供に向ければ良いだけの話。

そのためにまず「早熟」を求めている事に気づく必要があるし、早熟の果てにある「自分の代わりに大人をしてくれる者」を求めている事に気づく必要がある。

敗者は早熟を求められて失敗した被害者であり少数派。

賢者はそれに気づいて改善した少数派。

勝者は早熟を求められ環境などが味方してなんだかんだ成功した多数派。

その多数派が早熟を否定しない限り、「自分の代わり」を日本の大人は子供に求める事を肯定していく事になる。


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