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何か書きたい。  作者: 冬の老人
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自慢と我慢その2

我慢が「我満」から来るのであれば自慢もまた自分を満たす、「自満」なのではないか。

自慢する時というのは何かの問題を解決した、クリアした、達成した時に行う行為。

しかし実際の所、得意な事、好きな事、目的のために努力した時、というのは誰かに自慢したい欲求はあまり湧かない。

何故なら達成した事自体が報酬であるからだ。

本を読み終えた時、ゲームをクリアした時、自分の場合なら筋トレで扱える重量のMAXを更新した時。

仕事は…個人的には熱量がないから淡々とこなしているだけであるが仕事に対して拘りやエネルギーを注いでいる人間なら同じように仕事の達成で金額などの報酬以外にも精神的な満足感、精神的な報酬も得ていると思う。


自分の目的のため、自分の選んだ行動でそれが達成出来た時、それをクリアした事実だけで自分を満足させられる。

勿論、それを友人、同じ拘りを持つ仲間、あるいは家族などと喜びを共有したい、という感覚はある。

だからこの場合は自慢ではなく、達成した報告。

ただこの報告を受けた側に弱者、サイコパス、余裕がない者がいたらそれらの人間はその報告を「自慢」として批難する。

60点の人間は嫉妬して受け止められない自分ではなく、報告してきた人間を悪者にする事で自分を保つ。

サイコパスは他人の持つ物や知識、力や技術といった物には掠め取るために関心を向けるがその人個人には興味がない。勿論他人の感情にも興味がない。

余裕がない、つまり自分も今煮詰まっている人間からすると他人の報告を受け止める力がない。応援する余裕がない。

とはいえ余裕がないならそれが解消されて余裕が生まれたら自己嫌悪に陥り、改心する事が出来るが。


問題解決の結果そのものが目的であるなら、労力に対して報酬が見合う物でありわざわざ自慢する必要がない。

つまり自慢する時というのはあくまで目的が問題解決ではないからその結果だけでは労力に対して報酬として不十分であるということ。

目的が問題解決と一致しない、という事はつまりその問題解決は本来自分には無関係。

ということは誰かの問題を肩代わりしている。


本人の目的と望む報酬と実際に行う行動、我慢の結果が異なる。

他人の問題である以上、当たり前で不満が出る。

満たされないなら自分で満たすしかない。

自虐風自慢、何ていう言葉もあったりするがつまりは

「自分はこれだけ凄い事をしたんだ、頑張ったんだ」

周りの人間からすれば面倒臭いだろう。

また我慢の末の成果である以上、最低限の点数であるかもしれない。

褒められた成果ではないのかもしれないがそこで褒めなければそれ以降はやらないだろう。

仮に脅して我慢させ続ければやるかもしれないが今度はその人は他人に対して厳しくなる。


いつの頃からか「自己満足」という言葉が流行りだした。

趣味というものが認められ始めてきた平成の中頃辺りだろうか。

自慢の目的というものが「自満」ならつまり自己満足、自慢とは自己満足になる。

楽しい思いをして自己満足ならそれも良い。

しかし他人の問題を肩代わりさせられて自己満足で片付けられたのでは道理が通らない。

我慢を強いた者は責任を取って金銭などの実物の報酬とは別に褒めなきゃならん。

無関係の人間も応援してやる方がいい。とはいえ応援は強い者が行う行動、無関係の他人無理する必要はない。


人から「褒められる」「応援される」。

しょうもない理由、安っぽい動機。

最初はそれが目的で何が悪い。

自分も筋トレの最初の目的は「モテたい」とかその辺の理由だった。

筋トレに限らず、最初は楽しさを知るだとか、技術を継承するとかクソどうでも良い。

目的に合った行動と労力に見合った報酬。

自慢を鬱陶しいと感じるなら立場にあった対応をしなくちゃならない。

そして当人も自慢したならそこで自分を満たして終わらせる必要がある。


自慢するのはあくまで我慢をさせられた事への対処法。

自己を満足させるための行動。

しかしそれに味をしめて褒められたくて自発的に我慢しようとするのはそれはもうマゾヒズム的なもので自分の満足に対して誰も責任は取る必要がない。

満足で踏み留まるためには我慢をする早期の段階で我慢させた相手の反応を探る事が必要となる。

ちゃんと満足できる報酬をくれる相手なのか、それともさらに我慢を要求する相手なのか。

切り捨てる決断をしなければ我慢を続ける事になり、やがて我慢する事を正当化し、何ができるかよりもどれだけ我慢出来るかを自慢するようになる。

出来ない事を我慢で誤魔化し、慢心する。

まるで自己紹介だが自分が我慢しているのは何のために我慢しているのか、誰に我慢をさせられているのか。

しっかりと見定めなければ我慢は努力になり得ないし、いつまでも報酬は貰えず、満足出来ないのである。




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