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何か書きたい。  作者: 冬の老人
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田舎

最近とある弁護士事務所が投稿した動画で「弁護士目線からおかしな法律はないのか」という質問に対してNHKに絡む法律の事を挙げていたのを見た。

「70年程前に作られた時代にそぐわない法律」としていたが果たして本当にそうなのか?と思った。


日本を「東京」などの都会を基準に考えた場合、確かに時代遅れの法律だ。

しかしながら自分は数年前に地元のテレビ番組で地元のテレビ局のある県庁所在地の50年前の風景を上空から記録したものが放送されたのを覚えている。

数年前の記憶ではあるが映された風景を見たときハッキリと「何も変わらない」という感想を持ったことを覚えている。


細かいところでは違いはあるのだろうがむしろ人がいる分、活気があるのは昔の方、とまで思った。

田舎でも比較的栄えている県庁所在地周辺の風景ですら50年前と大差がない。

勿論技術的な進歩の恩恵はあるからネットも繋がる。

様々なチェーン店、施設、そうした物の出店もある。

だがそれでも人材の流出は止まらない。

そこに住む人間の感覚は昔のままだから。


確かに今を生きる人間からすれば70年前なんて昔、それどころか10年前と比較しても生活スタイルは大分変わっている。

だが地域によって、あるいは世代によってはどこかで時代が止まっている。

だからもし本当にそうした時代に削ぐわない法律、その他ルールを変えたければ目を向けるべきはそうした方向。

ただ誰も変えないし、目を向けない。

面倒だからだ。。


50年前と大差ない風景の田舎だがローカルとはいえ放送局がある所などはそこそこ栄えている。

しかしラジオを聞いていると正直恥ずかしい事がある。

女子アナへのセクハラ紛いのメッセージだ。

20代の若手から30代、40代の中堅、ベテランアナウンサーだろうが関係ない。

今時「萌え」とかネットでも中々見ない言葉、それを恥ずかしげもなくメッセージに送る。

たまにSNSなどのトレンドでおじさん構文などといった痛々しいものを見かけるが田舎じゃそれが「流行り」のように平然と使われている。

ネット配信者、特に女性配信者がセクハラの線引きとして「面と向かってそれを現実の女に言えるかどうか」などを基準にして配信者がコメント欄に忠告していたりする。

田舎で中堅、ベテランの女性のアナウンサーに「萌え」だとか送ってるのは女経験が乏しい拗らせた男、というわけじゃない。

いい歳の大人、それも中年から上が平然とやってのける。


勿論、男だけじゃない。性的役割を押し付けるなど、そうした意味のセクハラなら田舎の女は平然と行う。

「男らしさ」「女らしさ」、そうしたものを押し付け、アナウンサーやパーソナリティなどがフォローしたりするのを聴いている。

性的な物だけではなく、基本的に話し言葉である訛りや方言を文章に起こして読みづらいメッセージを送ったり。

ましてや全国のラジオ番組を聴けるアプリもあるおかげで県外からのメッセージも送られてくる。

ネットで嫌われる「自分語り」「身内ノリ」「ライン越え」全てアウト、そのアウトローな環境が田舎。


何が問題か、といえば「郷に入っては郷に従え」の諺があるがその郷が既に地方、地域、と言った枠から日本全体、に変化している事。

ふるさと納税、なども本来の理念など消え去り田舎が「自分さえ良ければいい」とやりたい放題だ。

そうした制度を自分は使用していないし、使用している人をとやかくいうつもりもないが果たして「住所は違うが遠い地域に応援したい」という思い、本来の制度の理念にそう形で制度を利用している人果たしてどのくらいいるのか。

「自分達の所さえ得をすれば良い」という制度を利用する田舎など結局損得勘定でしか判断されない。

返礼品を豪華にすればするほど、価値がある物を用意すればするほど誰も田舎そのものには見向きもしなくなる。


田舎の人間は自分自身で首を絞めている事に気づかない。

我慢して生きているから。

我慢している人間は他人を気遣う余裕がない。

だから無意識に人を傷つけるし、それに対して謝る事が出来ない。

謝るというのは責任を持つという事。余裕がないのに新たにそんな責任は持てない。

過去から伝えられた「文化」を継承するため、維持するのに限界。

自分の欲、夢、愛が消える。

そうしたら今度はもう継承された物に力を注ぐしか自分を保てない。

我慢するから傲慢になり、傲慢になれば鈍感になり、鈍感になれば曖昧になり、そして自分と他人を曖昧にしてしまえば感謝も応援も思いやる事も出来なくなる。


我慢しているのは田舎だけではない、今や都会もだ。

逆に考えると都会が田舎になっているとも言える。

世界の枠として考えた時の田舎である。

先進国、と言われているし、物も溢れかえっているが精神的に田舎化が進む。

技術があっても、物があっても、それは人じゃない。

人が生み出した文化の一つ。

それを誇示して「こんなに凄いんだから」と自慢しながら都会だ、先進国だ、言えば言うだけ惨めになる。

弱いから技術が発展し、弱いから物を揃えるしかない。

弱いから拘る。

弱いから文化が生まれる。


文化とは教訓の集大成だが教訓は弱音から始まる。

つまり文化とは弱音を起点としている。一皮剥けば文化を作り上げる原因となった問題が出てくる。

文化を誇示してはいけない。文化が人を救わなければ価値がない。

人を救うのは教訓だ。

だから文化は時代に合わせて変化しなければならない。

文化を維持するため、文化を成り立たせるために人が我慢しなければならないのなら教訓の集大成である文化ではない。


弱音を克服するために人は考え、教訓を得る。

弱音を受け止めて応援をする。

弱音を解消して感謝ができる。


「自分さえ我慢すれば」は他人を我慢させるときの口実となる。

弱音を我満させても強くはならない。

問題を隠してもいずれバレる。しかもそのバレる時は殆どの場合、もっとも致命的な時だ。

現界を迎える前に拘りを捨て、「価値ある物」を選ぶのではなく、

「新たな価値」を見出さなければ田舎は、そして日本は辛くなるだけ。


書き始めたのは数日前だが果たしてオチはこんな感じにするつもりだったか?書き始めの自分に当初のオチを問いたい。



日を跨いだり別の物書いたりしながら書くおかけでとんでももない誤字脱字があったりするわけだ。

テレビ局のある土地の風景の「50年前」というワードを入れ忘れたのを訂正したがとんでももないミスだなコレ。なんで投稿の最後の確認で気づかんのだろ。

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