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何か書きたい。  作者: 冬の老人
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感謝その1

3月9日の語呂合わせでサンキューの日らしい。

ラジオなどでもそれにちなんで「感謝を伝えよう」みたいなテーマでメッセージを募集していたり。


感謝を伝える、という事でメッセージでは家族だとか職場の人間だとか、友人だとか、そうした人たちに向けた感謝の言葉をこぞってリスナー達はラジオに投稿していた。

まぁ、それ自体はそれで良いわけだけどその中で「若い時は親に感謝の言葉なんて伝えて来なかった」という後悔の言葉もあった。

大人になり、色々な経験を経て感謝する事が出来るようになった、というわけだ。

果たして感謝って大人にならなきゃ出来ないもんなのか?

そもそも感謝とは?


自分は過去のエッセイで「ありがとう」が言えない人間だと語った事があった気がする。

一番大きい理由は小学校に上がった辺りにオアシス運動を実践していた時に父親から「男が簡単にありがとう、なんて言うんじゃない」と怒鳴られた事だ。

そのショックはその言葉を言おうとする度に口が渇くような変な感覚に陥る。トラウマって奴だ。

それでも「どうも」だとか「感謝します」「有難い」といった別の感謝を伝える言葉は普通に言えたから自分のトラウマに引っかからないように騙し騙しやってきた。


そんな人間からすると「ありがとう」が普通に言えるのに何で大人にならなきゃ、経験を積まなきゃ感謝出来ないのか疑問でならない、と言うよりも甘えじゃないのか?としか思えない。


Q.何故大人に成らなければ、経験を積まなければ感謝できないのか。

A.毒親に育てられたから。


親という存在は3種類、と過去に語ったが

賢い親、毒親、親モドキ。

親モドキは論外だが人間の種類が賢者、勝者、敗者の3分割であり、その中でも勝者が多数派である以上、その勝者のならの果てである毒親も多数派だ。

さて一度「感謝とは何?」を脇に置き、そもそも毒親とはなんなのか。

それは子供を親の物だと考えている親だ。

人格を認めない、親の肉体の一部。

親モドキはそれに加えて人権を認めない。

教育ママだとか、子供を着せ替え人形扱いだとかそうした親。


何故それが「感謝できない」に繋がってくるのか、といえば自分の身体の一部に感謝する人間は稀にだから。

スポーツ漫画とか、あるいはバトル漫画とかで「持ってくれよ、俺の身体!」と自分の意識と身体を別の存在のように場面、台詞が割とある。

あるいはロボットアニメなどでは物言わぬロボットに搭乗パイロットが友人のように話しかけたりする場面がある。

こうした描写は一見頭がおかしな独り言のように思えるが自分の思考とは別の存在、配慮するべき他人であるという区別が出来ている事の描写だ。

だから無理をさせた身体のためにご褒美として美味しいものを食べたり、休息を取ったり。

意志を持たないロボットのメンテナンスをしたり。

そうした心に対して身体、パイロットに対してロボット、と言ったようにそれぞれ別の存在であるが故に「愛着」の描写も魅力的に映るわけだ。


話がズレたがつまり「子供を1人の人間として認めない」ということはつまり親からすれば先に挙げた漫画やアニメの描写の例のように子供が手伝いだとか何か親を助ける行動をしても褒美を与える必要がない。

褒美を与える必要がない、つまりは親子という「契約」の範囲内で行われた「やって当然」の中で行われた行動。


「子供は他人でなく親の手足同然だから親を助けて当然」だから「子供を尊重する事が出来ない親」。

当然ながら尊重できない相手に感謝の念など向けるわけもなく、それが「感謝できない親」となる。

そんな親に育てられたから「感謝」という言葉自体は覚えてもその言葉の意味するところを理解しないまま育つ。

そんな風に育っても学校、そして社会に出る事で自分の考えとは異なる「他人」との交流が増えていく。

そこでようやく「感謝」出来るようになるのが成長した大人の姿であるわけだが、結局のところ多くが「多数派」の価値観に染まる。

だから「大人になれば分かる」「解決すれば分かる」「親になれば分かる」という経験主義から脱する事から出来ない。

そしてそれ故に「感謝とは何か?」とか「何故感謝しなければならないのか」など子どもなら当たり前に出てくる疑問を無視してとりあえず「助けられたらお礼を言う」という行動のみを教える。

それを躾、と呼びたいようだが周りから攻撃されない、反感を買わないようにするための単なる処世術を教えただけでしかない。


「ありがとう」という言葉がトラウマで口に出す事が困難だった自分だが子供のころ、イジメを受けて逃げ込んだ先で受け入れてくれた友人達に対しての感謝の言葉が当時の日記ノートに書いてあった。

音楽に興味のなかった自分が涙を流したネットで初めて聴いた曲、それを作ったアーティストに感謝した。

ゲームを通じて、筋トレを通じて…。

確かにそれらは「経験」してきた事ではあるが感謝する事自体は「大人」になる必要などなく理解できる。

大人になったら「感謝とは何なのか」それを自分なりにまとめ、言語化し、次の世代の子供に伝える必要がある。

そしてそれが教訓である。




目が痛くて画面が見てられず書き切る前に休んでいたら寝てしまった。

本当は「サンキューの日」って事で簡単にまとめて3月9日のうちに投稿する筈だったのだけど。

どっちにしても思いの外、長くなって分割してしまう事になったわけだが。

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