真の…
3月3日、ひな祭り。
まぁ、自分にはほぼ関係ない話なのだがこのエッセイでは「3」を一つ強くテーマ、というかキーワードにしてるので少し3分割を語りたい。
最近、というかもう10年くらい前から「陰キャ」「陽キャ」という区分が流行っている。
自分はこれまでのエッセイを見てわかる通り超ド級の陰キャだ。
まぁそれはどうでもいいがこの陰キャ、陽キャの2分割からさらに「真の陽キャ」なる者がいるらしい。
にも関わらず「真の陰キャ」はいない。
以前の話で一つの事柄に対して「未経験」と「経験者」、そして「高レベルの経験者」という区分けをしたことがあるがそれは謂わばスポーツで言うなら未経験、アマチュア、プロ、といった風にレベルが高くなるに従いそのスポーツへの理解度であったり技術、実力が深まる。
しかし今回の陰キャ、陽キャ、真の陽キャにおいては陰キャを陽キャの下に置きながらも真の陽キャのほうが陰キャへの理解度が高い。
明るい、暗いで分けるのであれば真の陽キャとは陽キャよりさらに陰キャとは遠い存在である必要がある。
まずそもそもタイプとして陰キャ、陽キャで分けるのであれば陽キャと陰キャは対になるものであり、そこに格差というのは存在しないはずだ。
にも関わらずそこに格差が生まれ、あまつさえ「真の陽キャ」なんて上位存在が生まれている。
だが実際はその「真の陽キャ」は上位存在ではあるかもしれないがそれは陰キャから見ても同様。
そして理解や接する姿勢などが陰キャと陽キャ、両方に対して平等にである。
陽キャよりさらに遠い存在であるなら平等、とはいかない筈だ。
にも関わらず「上位存在」をあたかも「陽キャからしかたどり着けない進化先」のように定義していてシンプルにいえばコレって卑怯なんだよな、陽キャって。
過去にやった男女の性質を兼ね備えた男女混合神アルダナーリーシュヴァラ。
それと同様であり、陰と陽の性質を兼ね備えた陰陽道的に言えば「太極」、あるいは理。
陰と陽の性質を持ち合わせ、そして両方に偏らず、偏らないからどちらでもない。
陰キャは陽キャに対して苦手な意識を持つが自分もそうだった。
何故か、それは陽キャが卑怯だからだ。
何故卑怯か。
それは陰と陽で分け目を作り、対等である風を装いながらいつも「陽」のフィールドで戦う。
つまりは1対1と見せかけつつも実際は陰キャ(フィールド効果でデバフ)対陽キャ(フィールド効果でバフ)という状況なわけである。
陰キャが勝てないのも無理はない。陰キャのフィールドではないどころか対等ですらない。
加えて場合によっては陽キャは仲間を呼ぶ可能性をチラつかせながら対して陰キャには逆に卑怯者と煽り、被害者ぶりながらそれを許さない。
この辺、陽キャは上手いよな、とは思う。
陰キャは陽キャが提示した陽の場で戦うのはどの道不利だし、勝てない戦はしなくていいと思う。
陽キャが「真の陽キャ」などと上位存在をあたかも自分達の陣営にいるように振る舞うが上位存在は低次元な争いに介入しない。介入するとすれば喧嘩両成敗。
陽キャは「陽」そのものではない。陰キャも「陰」そのものではない。
所詮は光に群れる虫と闇で蠢く虫。虫に大差はない。
では「真の陽キャ」とは?
80点であり、男女混合であり、太極である。
最低限でもなく、最大値でもない。
拘りへの理解を示しつつ、決断力を備え、人を応援する事が出来、光への執着を持たず、闇を極度に恐れる事はない。
自分はそれを「真なる陽キャ」や「上位存在」などではなく、シンプルに「大人」と呼びたい。
陽キャ、陰キャってどこの誰が言い始めたんだろ。