筋トレを日本人がするべきである、という「理由」その6
今回、背骨については特に掘り下げて語ってないので
…。
メンタル的な話をさせてもらえば筋トレをする事でゆとり、余裕がうまれるかどうかはその人次第。
同時にその余裕が行き過ぎて傲慢に変わるかどうかも結局はその人次第。
だから最近の筋トレをすれば万事解決だとか、メンタル向上だとかは正直わからん。
ハマれば面白いし、ハマらなければただの苦痛だ。
疲れるし。
実際、筋トレが趣味とはいえ苦手な種目は苦痛だしな。それで怪我でもした日にはそりゃあもう。
それでも勧めたいのは最近テレビだったか、ネットの広告だったか忘れたけどコルセットみたいな商品を見たから。
それを腹回りにそれを巻けば身体の姿勢が良くなる、みたいな物。
商品が悪いわけじゃないが「それ無し」で生きていけなくなる懸念があるから。
基本的に筋トレではバーベルなどのトレーニング器具の他に身体の保護を目的としたトレーニングギアと呼ばれる物がある。
膝サポーターのような関節の保護、主に手首だとか膝、肘。
また背骨の保護のために腹回りに巻く幅広で分厚いベルトがある。
筋トレには昔からある論争があり「筋肥大か筋力アップか」
「マシントレーニングかフリーウェイトか」など、昔からそうした派閥がある。
その中に「トレーニングギアを使うべきかどうか」というのがある。
究極的な結論としては「バランスよく使うべき」に落ち着くわけだ。
筋トレは危険性が少なからずある。
特に関節は消耗品、と言われているため、関節の保護のためにギアは最初から全部使うべきという過激派がいた。
一方でそんなギアに頼っていては本当の力はつかないという主張もある。
日常生活、あるいは他のスポーツなどでそんなトレーニングギアは使わないいし、使えない。
だからそんなギアに頼らない真の力を身につけるべきだ、という主張。
実際、ギアに頼り切りでは自分で行うべき身体の制御が身につかない場合もある。
とはいえ、ギアを使わず怪我をしたら台無しだ。
だから基本的には自分は高重量の時だとか不安を感じる時に使用する程度に留める。
だがそれでもギアを使用するレベルの重量はセットに組み込む。
何故ならギアを使ってやった限界に迫った重量でやったほうが成長が早いからだ。
勉強やスポーツでも指導者がいる、教科書やマニュアルといった過去の人間の知識なある。
それとギアは同じようなもの、という認識である。
しかし、これが日常の生活のレベルで使われる、となると少し考える部分がある。
その姿勢矯正ベルトのようなものが高齢者向けとして介護の現場で使われるなら仕方ない気はするがその商品は中年の男性から若い女性、所謂「現役」 の世代に向けられた商品である。
人間、楽に出来れば楽をしたがるものだ。
そしてその弊害の一例として和式トイレを使わなくなった事でしゃがみ込む事すら上手く出来なくなった話も以前説明した通りだ。
その上で身体をどう使えば姿勢が良くなるのか分からない人間に対して姿勢を矯正する商品を一般的に与えてそれが日常化すればどうなるか。
かつてドレスなどを着る際、ウエストの見栄えをよくするためのコルセットではコルセットを外せば動けなくなるほどだったなどの健康被害もあったと聞く。
勿論過去のコルセットと現在の商品とでは別物ではあるし、
胸の大きな女性がその重量のせいで骨が歪み、日常生活でも苦しんでいる、というように体格の個人差は確かにある。
儲からないと研究も進まない、だから一般にも、というのも理解は出来る。
難しい話ではあるが個人的には社会全体がああした姿勢矯正の商品に頼る社会になるより基本的な身体の使い方の水準の教育レベルの下限を上げるべき、と思うのでこうしてグダグダと筋トレの話を続けたわけである。