筋トレを日本人がするべきである、という「理由」その1
前話で脳筋的な「一つの事をすれば万物に通用する」事に嫌悪感、という事も言った手前、あくまで趣味の筋トレを押し付ける事はしたくない。
とはいえ筋トレを通して何故日本人が筋トレをするべきなのかを語りたい。
最近では色んな人がSNSや配信、あるいは本を出版して筋トレの良さを語っている。
パワーが強くなる、見た目が良くなる、ゆとりが生まれて精神的に強くなる、など。
それから個人的に一番面白いと感じるのは「努力が反映される」という点だろう。
筋トレは基本的に他人と競う事がなく、不確定要素が少ない。
その時の本人の調子次第であり、一定のレベルまではやればやるほど結果に反映される。
一定のレベルまで来ると個人の資質に合わせて色々工夫が必要になるとはいえ、そこに行くまでにかけたコストが高いほど愛着が湧く。
かけたコストが高い、裏を返せば素の能力が低かった、とも言える。
筋トレを趣味にする者で一定のラインを越える者にはスタートにおいて3種類のタイプがいる。
1.運動が得意で他の競技で怪我などをして引退して筋トレをする者。
2.運動能力は苦手でも得意でもないが真面目にコツコツする事を苦に思わない者。
3.運動が苦手でまともにスポーツをやった事がなく、コンプレックスだったが筋トレによってそれが改善してのめり込む者。
自分は2と3の中間、あるいはその両方といった所。
はっきりいえば運動神経は障害や認知機能に問題があるレベル、とは言わないものの、決していいとは言えない。
子供の頃はソレがコンプレックスでもあった。
ただコンプレックスを抱えた弱者だからこそ筋トレを通して、そして「信仰」ではなくあくまでも「趣味」のレベルで抑えているからこそ見えてくる物もある。
日本人のスポーツ選手は外国人選手と比べてメンタル的な問題に加えて骨格、筋力、心肺機能、そうした身体の不利を指摘される。
だからって「筋トレが絶対正義」なんて馬鹿な事を言うつもりはない。
普通の日本人が外国人とスポーツで争うなんてそうそうないから。
だが逆に言えば同じ日本人でも外国人と競い合える者もいる。
勿論プロなどのレベルになれば相応の骨格、筋力などの才能を持った者が殆どではあるがそれでも素の能力ではやはり見劣りする。
そこには不利であるからこそ技術や努力が必要ではある。
そしてそうしたプロのレベルではなく小さな子供の時代において運動を好き嫌いを分けるのは子供自身が出来るか出来ないか。
そしてそれを親が応援したり褒めてくれるかどうか。
少し脱線しかけたが、つまりは子供の段階で既に基礎中の基礎、「身体の使い方」について無意識に出来る子供、意識すれば出来る子供、そしてどうすればいいのか分からない子供がいる。
その基礎を放置したまま、野球だのサッカー、テニスなどといった競技をやらせても上手くなるわけがない。
それでも時間をかければある程度は上手くなるだろうがそよ「競技」の技術は上手くなるだけで運動能力は鈍臭いまま。
基礎を教えず応用なんて無理な話なのだ。
たまにSNSで昔の根性論の体育教師ではなく、「走る」という基本的な動作ですら理屈を1から教えてくれる体育教師などが「称賛」されたりするのがバズったりする。
つまりはそんな単純な動作ですら効率的な動作を出来ない者も居て、それを子供の頃に放置し、自己責任として努力が足りないとしてきた、されてきた。
子供は成長すれば様々な事に興味が湧くし、勉強や新たな交友関係などすることが増え、次第に運動に費やす時間が少なくなる。
ますますできる者とできない者に格差が生まれる。
そして運動神経の格差は年を取るほど広がる一方となる。
筋トレは確かに先述した良さがある。それは趣味として面白いと思う今の自分の経験として語ったわけだ。
ただ仮に今の身体の操作方法をある程度知り得た状態で過去に戻ったら自分は筋トレをやっていただろうか、とも思う。
筋力は今ほど無いにしても今の身体の感覚を知っていればもっと走るのも楽しめただろうし、他の競技も楽しめたかもしれない。
この感覚は自分の子供だった頃の当時の日本ではまだまだ言語化できる人間が少ないから仕方ない事かもしれない。
しかし最早様々なデータが存在し、実際に教える教師も存在している。そしてこの基礎的な身体の教育は本来なら学校の体育教師ではなく、親がやるべき基礎の教育である。
運動神経が悪い人間だった自分が筋トレを趣味にして、身体の使い方を学び、ようやく多数派の普通の人間が幼少期の頃に運動を楽しめる「スタートライン」にようやく立てたのではないのか、とも思う。
筋トレは筋トレでしかない。
しかし筋トレを通して多く身体の使い方の基礎と運動が出来る楽しさを学んだ。
子供の頃に基準に満たないままスタートラインに立たされて強引にスタートさせられた。楽しめるわけがない。
それを紆余曲折して効率的ではない身体の使い方のまま、コンプレックスを抱き、太ったり、痩せたり、怪我をしたり、長い年月をかけてようやく「身体を動かして楽しむ」というスタートラインに立つに至る。
プロスポーツ選手になるから筋トレをするのではない。
身体を効率的に動かす術を学ぶための筋トレ。
筋トレを通して手に入る筋力も筋肉も精神力、そして自分が感じているような楽しさ、面白さも全ては副産物。
80点以降の結果。
運動が苦手なのには理由がある。理由があるというのはそこに問題を抱えているからだ。
そしてその問題を抱えていても日常生活をこなせるのは若さ故。
ゲーム的にいえば状態異常を治さず、放置したままバフ効果
でそのまま活動している。
そしてその若さというバフは時間が立つほどに効果が弱まる。
縛りプレイも楽しめれば良いのだろうが腰や膝、肩や首を痛め、ソレを庇って動き回るのを楽しめるほど大多数の人間はマゾヒストではない。
次回ではその最低限の基準などを語りたい。