応援その3
「甘えさせる」「手助けする」最後は「報酬を受け取る」という事。
報酬を受け取る、というのは正直なところ表現、言い回しに自分で書いておきながらあまり納得がいっていない。
自分に語彙がないからそんな風になっているのだがもっと詳しく表せば
「報酬に満足する」
「報酬を釣り上げるような交渉をしない」
「報酬を拒否しない」
という事。
基本的に応援に限らず現代社会でも問題になっているのが報酬のトラブルだ。
サービス残業やら報酬の未払いなど。
それらについては応援とは異なり本来なら対等な立場である筈だ。
強者同士の取引、あるいは弱者同士の助け合い。
お互いに対等でなければそれらの契約は成立しない。
逆に応援とは挑戦する弱者と応援する強者、という立場の異なる強弱の関係である。
弱音を吐く事に対して甘えさせる。
煮詰まっているところに助言を与える。
コレらが弱者と強者の関係で成り立つ。
さて、報酬にすれば最低限を成功させるのにやっとの弱者が返せる報酬など強者からすればたかが知れている。
弱者が手助けをしてもらい貸してもらった10点を返す。
実際の所は甘えさせたのも合わせて20点を貸したわけだが強者ならそれで満足すれば良い。
甘えさせた10点分は弱者が挑戦に成功しても失敗しても強くなった、挑戦したという時点で返してもらっている。
応援とは最初の工程が受動的な甘えさせるという工程から始まる。
しかしそもそもとして応援自体が能動的な行動であり、甘えさせる行動に対価を求めるのは強者としてあまりに卑しい。
応援するのは強者側の都合。
極論、応援したいから応援するという身勝手な行為。
誰だって頼んでもいない事に報酬を払えというのは恩着せがましいと感じる筈だ。
だから甘えさせた10点分の報酬は期待してはいけない。
10点分の僅かな報酬で満足する必要が強者、応援する側には求められる。
そして報酬を釣り上げる行為だがこれは60点を目指し、手助けをして成功した際の成果が運などが絡んでたまたま60点以上、70点などになる場合がある。
同じ成功でもより高いレベルの成功が出たとしても強者は自分の与えた10点以上の報酬を求めてはならない。
仮に挑戦者が舞い上がって過剰な報酬を提示した場合でも強者ならそれを注意して最低限の報酬だけ受け取る。
運が味方したのは挑戦した弱者であり、応援した強者にではない。
だから運の分は受け取る権利はない。
どのみち、助力込みで成功した以上、最低限でも上振れでも何度も繰り返し挑戦から作業として安定するために修練をこなす必要がある。
助力込みのクリアから今度は助力無しでのクリアを安定させる。ゲームなどでもオンラインでそうしたレベルアップ方を見聞き、あるいは体験した人もそれなりにいるだろう。
応援の目的は弱者から提示された報酬を受け取る事ではない。
弱者が強くなること自体が報酬なのだから報酬は最低限で良い筈だ。そして貰わなかった分の力を弱者自身の成長に与えればwin-win、万々歳だ。
そして最後に報酬を拒否しない。
釣り上げる事より弱者の成長を優先した方が結果的に自分の応援の目的が達成されるから。
ではそもそも全ての報酬を受け取らなければいいのではないか、となるがそれでは弱者は区切りをつけられない。
弱者が単独で成功させたならクリアした時点でそれが報酬だ。
しかしそこに応援という助力があったならその時点で挑戦をクリアの次、助力分を返すまでが弱者の中でセットになる。
いつまでも助力分を返せないという事はいつまでも応援してくれた相手の下に居続ける事になる。
「貸し一つ」
ビジネス的にはそうした駆け引きなどがあるかもしれないがそうした引け目を持ち続けるのは辛い。
何か達成しても常に応援された過去にコンプレックスを抱える事になる。
一方で全然その事に引け目を感じない人間もいるが、そうした人間は助力される事が当たり前になる。
助力込みの60点が自分の力だと勘違いする。
だとしてもそこからさらき80点を目指すならいい。
助力込みの力で80点で満足したつもり。
しかし実態は70点、とはいえそれは最低限を超えているし、問題はない。
だが60点でいい、と考えて仕舞えば後は何もしなくなる。
ドンドンその力は劣化していき、いざその力が必要となった時に助力込みのたった一度の疑似的な成功の再現に向けて退化した40点、30点の力で今度は一人で挑む事になる。
だから報酬を受け取る事で区切りを明確にしてあくまで助力があっての成功である事を自覚させる。
強者と弱者、立場の異なる分かりやすい立場の差でそれぞれの線引きを明確にしない事、つまりは応援がまともに出来ないという事。
応援は強者と弱者の立場であり、親子というそれぞれの立場の関係の教育に通じる物がある。
応援がまともに出来ず曖昧な人間に教育など出来るはずもなく、そうしたまともでない教育で大人になった者達に対等なビジネス契約など出来る道理がない。
だから自分優先で他人から力を奪う事を苦にしないサイコパス、ソシオパスが生まれ、そして優遇されてしまう。
だから他人からの助力無しでは生きられないメンヘラ、我慢し過ぎで自分を見失うアダルトチルドレンなどが育ち苦しむ。
弱肉強食、確かにこの世界はそうかもしれない。
だが弱肉強食が自然の摂理なら盛者必衰もまた同様。
自己責任や正論で殴り続ければいつか時代を越えて場所を超えて自己責任と正論が来る。
それに怯えて他人から奪い、強く有り続けるために備え続けるのも自然の生き方かもしれないが、それじゃあ人間の社会は何のためにある?
精神的にも肉体的にも下り坂。自分にはキツいわ。
それでも奪わなければならないなら弱者じゃなく強者から。
自分の事は嫌いだ。
弱者から奪うような人間はもっと嫌いだ。
「これ以上自分の事は嫌いにはなりたくない」
まぁ、そんな漫画のヒーローみたいな台詞を言った所で中々自分より下がそうそういるわけでもないんだが。
見上げるばかりは辛い。首が痛くなる。足元がお留守。
だから正目を見なくちゃならなくなる。
足元を注意しなくちゃならなくなる。
そしてまた見上げる。
大体そんな感じ。