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何か書きたい。  作者: 冬の老人
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責任を負うべき者が責任を負わないならそれはもう強者じゃないよ。

どこぞの高校生が回転寿司店で馬鹿な事をやって世間を騒がせている。

世間は未成年という事もあって責任の所在を巡って犯人探しをしている。


高校生自身は既に晒し上げられている。

責任の所在、例によって3分割だ。

責任の3分割のうち、当人の枠は埋まっているが残りの2/3の責任の所在。

そこで矛先が向かっているのは「親」か「学校」、中には「企業の方の不備」なんてのも矛先を向けている奴もいるとか。


まともに考えれば学校や被害者である企業なんて選択肢が出てくるわけがない。

もしコレが修学旅行などの学校の行事で向かった先での食事、となれば別だがあくまでプライベートで未成年のやらかし、となれば責任をとるべき者のうち、1/3の枠は親しかいない。

「高校生は口も聞けない赤ちゃんとは異なる、大人と変わらない」という人もいるかもしれない。

確かに身体はそうかもしれないが未成年で親の保護下にある以上、子供のやらかした事は親の責任だ。


親の年齢は分からないが子供の年齢から考えれば「6歳になれば奉公に出す」「小学校卒業したら働け」といことが許される時代でもそうした世代の価値観でもない。

「学歴は高い方が良い。」という今と変わらない価値観の筈だ。

ならばそれに対応した教育をするべきであり、15年以上、その期間はあった。

期間はあっても理解させるまで躾けなかった。

抑えつけるのではない。理解させるのだ。

それが出来ない親、コミュニケーションを取れないからそんな子供になり、馬鹿な事をしでかす。

最初から犯人探しをするまでもなく、1/3は親の責任。

何故学校や企業側の不備、矛先が向かうのか。

あるいは徹底した自己責任論、因果応報で社会的制裁、ネットリンチに向かうのか。

それが最後の1/3の責任の枠の社会である。


自分の言うところの「社会が悪い」とはどういう意味か。

それは社会において圧倒的多数派の意思という物が社会に影響している。

人間は3種類で賢者、勝者、敗者と自分は過去に何度か語って来ている。

そして多数派とは勝者のこと。

何故3分割でありながら勝者が多数派になるのかも過去に自分なりに解説した。

3分割をさらにそれぞれ3分割して全体として9分割する。

そして賢者の最底辺が自分のコスパを考えた時に賢者として振る舞うより普通の勝者として振る舞った方が楽だと勝者に身を隠す。

また敗者の上澄みが敗者から抜け出そうと勝者に食らいつく。

そして2:5:2の構図が出来上がる。

この勝者とは「多数派であるから普通であり、正解である」 という曖昧な根拠の正当性を盾する。

親になれば毒親になりやすいし、勝者自身もそうした価値観の元、育てられている事もあって自身の行為を毒親とも気づかない。

何故なら「普通」という非常に厄介で強大な力が働いている。



人間は経験を経て成長し、その成長のなかで善悪が覚えていく。

それを善悪と決めるのは誰か。

それは未成熟な子供ではないし、その親のつがいの男女二人でもない。

社会にとっての善悪だから社会そのものが決める。

親は社会に決められた善悪を未熟な子供に噛み砕いて学ばせるフィルターだ。

そしてその社会とは賢者、勝者、敗者、それぞれの大人で構成されていて、その中で無条件で力を持つのは多数派の勝者である。


だからこそしっかりと多数派が善悪を知らず知らず決めている。

にも関わらず、肝心な判断については賢者にそれを丸投げし、「善」とは勝者で「悪」とは敗者と役割に当てはめる。

賢者だろうが勝者だろうが敗者だろうが善行をすれば正当に認められるべき、仕事をすれば報酬を与えられるべき。

逆に悪行を行えば罰を与えられ、上に立つ者は下の者の責任を取らなければならない。当たり前の事。

その社会、環境が無責任だから社会の一員であり子供にとってフィルターとなる親も無責任。勿論そんな子供が責任感、正義感の強い子供に育つ訳がない。

「子供とは親を写す鏡」と言う言葉があるがならばその子供を見ればその子供を取り巻く環境、社会も見えてくる。

子供が親の鏡なら、若者世代とは周囲の大人達、社会、環境の鏡。



最初に戻れば未成年の行為の責任の所在はやらかした未成年本人とその親。そして現代社会。

最初から明らかだ。

責任の所在が分からないから犯人探しをしているのではない。

責任から逃れたいから見当違いの相手に責任をなすりつけようとしている。

実際にSNSを眺めていると

「こんな子供の責任の全てを親が取らされるなんて、少子高齢化で結婚する人が減ってるのにますます結婚しなくなっちゃう」

などと今回の回転寿司の件とは無関係な未婚率の高さとを繫げ、それを盾にして親の責任を曖昧にしようとする者もいる。

また企業側の不備を責める事で企業側が子供や親を訴えればイメージを悪くする、という圧力にもなる。

親としてだけではなく消費者、客としての責任も曖昧になりかねない。

他にもこの機に乗じて様々な責任を曖昧にしようとする

当事者以外の者がいる。

そしてそれらの発言が注目されるくらいにはそれこそこんなエッセイを投稿しているような弱者などとは比べ物にならない社会的地位や権力を持っている者達ばかりだ。

その力ある者達によって構成されたコミュニティを社会、と形容する以外に自分は呼び方を知らん。


人生の勝者の証として親という称号と子供を育てる権利は欲しいがその責任は取りたくない。

消費者側として我儘はいいたいが責任は極力向こうに持たせたい。

いいとこ取りだけしたい、それが勝者でありソレが社会であり、日本が昔から構成されている女の性質を土台として男の性質が存在する社会。

「最低限のコスト」で「最大限のパフォーマンス」。

日本の世界に誇る技術力の根幹はそのまま文化や社会、親子関係にも当てはまる。

「最低限の愛(金、時間、労力)」で「最大限の見返り(老後の安心、周囲からの尊敬、手厚いサポート)」を求める。

世間的に言われている一方通行な自己責任論に嫌気がさすのは結局の所手法を変えた他責、むしろ他責ですらなく責任転嫁。

社会的制裁とやらも結局のところは日頃の我慢の憂さ晴らしとして「サンドバッグにしてもいい相手」が居ただけだ。

だからそこに振りかざした正義に本当の善性はなく、勿論そのサンドバッグ君には響かない。

実際、なんかSNSでイキっているとか何とか。



事の発端は馬鹿な子供の悪事だが親の責任であり、その家族が身をおく地域の環境の問題でもあり、それは日本全体の問題だ。

SNSで拡散されただけでこうした子供の悪事は程度の差はあっても日本各地で有るだろうし、それは古い世代が「過去のワル自慢」などで飲み屋などで暴露する悪事と変わらない。

結局、掘り下げれば子供の悪事の向こう側には親がいて、その向こう側には環境がある。

そして新たな環境を誰が作るか、といえば今の子供が大人になった未来の姿。

だからこうした子供がやった事を「馬鹿な事」と日本全体としては判断している。

その次は「俺も昔は悪でさぁ」とかいう大人達が変化する必要がある。

そうすれば親も価値観が変わり、子供も変わる。

最初に変わるなら多数派の大人だよ。



結局堂々巡りで今回のエッセイは掘り下げれば掘り下げるほどグルグル回る。

別の例えでひたすら子供、親、社会と同じものをグルグル。

正直どこで区切れば良いか分からず難産だった。


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