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何か書きたい。  作者: 冬の老人
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日本人(女)は拘りを数値にする。

以前とある女のvtuberの切り抜き、正確には海外の反応シリーズという切り抜きで日本のvtuberを見る海外の男の配信者切り抜き動画を見た。


その女vtuberが雑談配信で最近太った、という話をしてコメント等の流れもあってスリーサイズを測る事に。

そこでそれを見ていた海外配信者は不思議そうな顔でスリーサイズという単語を反芻した。

その後、コメントからバスト、ウエスト、ヒップのサイズだと聞いて納得していた様子だがその後そのvtuberが測ったサイズを口にした。

測定したサイズとしてはむしろ痩せている範疇に入るものだった。

グラビアアイドルなどの公式で発表されているようなスリーサイズと比較して行けばバストはやや控えめだがヒップは大きい。

ウエストサイズも太ったというほど太いわけではなく、むしろ一般人としてはスタイルが良いと言われる範疇だろう。

まぁ、自分が語りたいのは女のスリーサイズについての自分の感想ではなく、日本人ならスリーサイズを言われればある程度女の体型を想像の中で考える事ができるという事。


一方、海外配信者の反応だ。

聞いていた海外の配信者はそのサイズが大きいのかどうか判断がつかない様子であった。

結局、お尻のサイズを告げられた際に実際に両手を広げてみてどのくらいなのか、と考えてみた様子であったがその手幅のサイズは割と恰幅のいい男の配信者の肩幅より広いサイズ。

その海外の男配信者はそのジェスチャーを見る限り、その部位の横幅のサイズとして認識しているようだ。

そのvtuberが口にしたお尻のサイズは確かにウエストやバストと比較した場合少し大きいわけだが、お尻の横幅が日本人の男の肩幅より大きいサイズとなればデカすぎる。

巨尻好きが多い海外では人気者になるかもしれないが、正直なところそんな大きさの腰を自分は性的な目で見るよりも奇異の目で見てしまうだろう。

勿論、その海外の配信者も自分の想定したヒップサイズを見て目を疑っていた。

知らないという事は時にとんでもない物を空想のなかに創り出してしまう、という例だ。



日本のグラビアアイドル、AV女優、或いは最近では一般女性でも自身の身体を誇る者はSNS等で自分を発信するわけだがその多くにバスト、あるいはヒップのサイズ、もしくはブラジャーのカップなど「数値」を売りにする。

その数値を売りに出来るというのは数値の情報に理解と需要があり、秘匿したり有料で販売するよりも無料で公開する方がビジネスとして有効だと理解しての事だろう。


その一方で海外のモデルのSNSなどを見る限り、日本語でいう所の巨乳という意味合いスラングの「big boobs」や巨尻の「booty」「but」など、大雑把に言葉でのアピールはあるものの明確にサイズの数値をプロフィール欄に記入する者はあまり見かけない。

自分も大量に観測したわけでもないが大抵の場合、数値を明記しているのは豊胸などの手術をしたような自然とは言い難い形や張り感のモデル。

逆にあくまで天然だと否定する者。

結局人それぞれではあるのだが基本的にモデル自身がサイズに「拘り」を持つ場合が多く、全体的に見ればそこまでスリーサイズなどの数値を売りにしているイメージはない。

それは何故か。答えはシンプルだ。

「見ればデカさは分かる」それだけだ。


考える必要すらないが一人の男の視点で考える。

その男は巨乳好きでデカい女に目がない。

そこに一目でデカい胸の性的にソソる女が居たとしよう。

性的な情報としてはそれで充分の筈だ。

何故そこに数値の拘りがあるのか、といえばその後をどうするかが日本の男と海外の男の差だからだ。

日本の男ならその場では無関心を装い、家にでも帰って思い返しながら自慰行為をする。

海外の男なら声をかける。

あくまでイメージの話で当然日本人でもナンパする男はいるだろうし、海外の男でも無関心でその場をスルーする男もいるだろう。

日本は女性の性質で我慢させられる社会だから妄想する。

妄想には自分の世界をしっかりと創り上げる必要があり、だからこそクオリティの高い妄想には数値が必要。

「巨乳」などで曖昧な表現より、明確にバストサイズ、ブラジャーのカップの大きさといった規格にそった数値を明記したほうがより情報として価値が高い。

それを受けて女は自分の身体に価値がある、武器になると分かれば数値を発信する。

拘りを持たない女の性質にとって唯一最低限の拘りは自分自身。


ただしやがてその数値自体に価値があると分かればサイズを盛る。つまりは嘘をつく。

スリーサイズを少し盛る程度の多少の嘘なら可愛げがあるが「嘘をつけば価値が付く」と勘違いしていけばスリーサイズのみならず次第に色んな事を「装飾」という名の嘘を付き始める。

更にそれが進行すれば装飾から「虚飾」となる。

最低限の60点から「女らしさ」を求めて丁度いい塩梅の80点を通り越し、さらに100点を求めて男性化すれば徐々に周りは引いていく。

さらにその100点すら越えようとすれば待っているのは破滅。


毎度のことながら話は逸れるが女が男を我慢させた結果、女は拘りを強く求めざるを得ない状況に追い込まれている。

皮肉ではあるが女の性質を強くすればするほど女自身を苦しめる。

一人で生きていけるのならそもそも他人からの価値に縛られる必要などない。

他人からの価値に縛られるからこそ自身に拘り、価値を見出して強さを求める。

しかしながら鏡が無ければ自分の顔が分からない。

他人が判断しなければ美しいのか醜いのか、強いのか弱いのか、その基準も分からない。

当たり前の事だが自分自身が拘りそのものである以上、常に他人の目を気にするのが日本の女。

男が数値そのものを追求するのが拘りであるのに対し、

女にとっての拘りを高める、追求するとは数値の大きさではなく数値の個数が自身の価値となる。


「色んな事が出来る」「色んな物を持っている」

とはいえ、現代において求められる「出来る」の水準、「物」の水準が上がってきている中で果たして「最低限」を基準とする女の性質が社会的な水準に達しているのか。

同じ日本でも女の性質の強い田舎と男の性質の強い都会を比べてみれば一目瞭然ではある気はするが、その辺もまた多様性、自由な受け取り方ではある。

男の事を書く場合は自分の性別でもあるからすぐに書けるけど女の性質を書こうとすればどうしても考え込むおかげであっちこっちに脱線する。

だから面白いのかもしれないが。

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