日本人(男)は数値に拘る。
女の性質の上に男の性質が乗ると男の性質は溢れ出る拘りを無駄として切って捨てられて性癖となる。
上に残った男の性質も拘りを解消するためにただ上を、100点を目指す。
前に何度かそんな風に語らせてもらったが性癖という分野でも勿論、拘りを解消するためにその性癖に置いて100点を目指す。
この「性癖の分野」でも100点を目指すとはどういう事か。
それはより細かく尖るという事だ。
そのためには数値として表現するのが一番分かりやすい。
特撮やアニメ、漫画作品と言ったものの中にヒーローやロボット、あるいはモンスターなどが出てくるが作品中でその強さを表現する事はあまりない。
カードゲームが題材などならそれらの数値は劇中に必要とはなるのだが基本的にはそれぞれの表現描写で勝った負けたを表す。
そしてそれらは空想の産物だから普通に考えれば強さを表すスペックなど必要がない。
この「必要がない」と言ってしまえる事こそ性癖的な意味の納得の証。
女の性質の証である。
男の性質、性癖は作品の内容だけでは飽き足らず、そこに出てくるキャラのスペック、数値を欲する。
そのキャラの身長、体重、誕生日からキャラ同士の相関図、バトル物なら必殺技の具体的な威力や作中では描かれなかった能力の詳細。
設定集、制作秘話、裏話にキャラのモデルがいるならソレは何なのか、誰なのか。
上げれば切りが無い。
自分は未プレイどころか買ってもいないゲームの攻略本や設定集、イラスト集などを購入した事もある。
何故か、ソレは勿論面白いからだ。
何が面白いのか。
それは突きつめると「妄想のネタ」に出来るからだ。
バトル作品とかでは似たような戦績ではあるが立場やタイミングの関係で作中で戦わずに終わった○○vs△△という組み合わせを妄想、考察したりする。
あるいは夢小説のように恋愛感情、あるいは性的な妄想にしても人を妄想の中で納得の行くように動かすためには細かい設定が必要だ。
昔のRPGのプレイヤーと敵とのタイマンの殴り合いなら敵と自分のHP、そして攻撃力と防御力だけの単純な計算でどちらが勝つか簡単に想像出来ただろう。
しかし乱数によるダメージのばらつき、弱点とその弱点をつく為の攻撃手段、バフ、デバフに特殊な効果を持つアイテム、仲間の存在、状況の変化。
ありとあらゆる物がフィクションの中でもドンドン細分化されて数値化されている。
バトルに限らず、可視化されていなかった物を数値に落とし込む事でゲーム性に奥行きと広がりを作る。
数値に拘るという事は自分の世界を確固たるものにするために必要なもの。
曖昧なものを数値にして明確に線引きする事、それが男の成長故に数値に拘る。
何故それを日本の男、と限定するのか。
勿論それは必要最低限以外を許さないという女の性質を社会が纏っているから。
かつてのネットはその現実世界から外れた世界で男の性質を帯びていたが、ネットも現実の一部、とされるようになってドンドン価値あるものしか残らなくなった。
そしてその価値というのはその時点での価値であり、未来の為ではなく、過去から参照された価値である。
そのあやふやな浪漫的価値観に対抗するためには数値を手にしなければならないのである。