おいしーいお茶と物語
* * *
ああ……落ち込むなぁ、もう。
まさにいわゆる「下手こいた」ってやつだ。
ダメ親、ダメ母、ダメダメだぁ……
さっき、足音を消してそっと様子をうかがいに行ったら、シオリは、自分のベッドの上でうつぶせになっていた。
それも、いつもとは天地逆になって、かけぶとんの下に、上半身をぜんぶ突っ込んだ状態で。
完全無欠の「外界の情報遮断モード」だ。
せっかくシオリが初めて自分の「おはなし」を聞かせてくれたのに、私ときたら、何だかもう興奮してしまって、余計なことを言いまくってしまった。
どうして、あんな言い方をしちゃったんだろう。
思い返すほどに、落ち込んでしまう。
子供が楽しくお絵描きして、にこにこしながら見せてくれた作品に「遠近法がなってない」とか「色の選択がいまいち」とか言う親が、どこにいるっていうの?
まあ、この広い世界のどこかには、そういう人もいるのかもしれないけど、親として、それはちょっとどうかと思う。
私には、人のことは言えないけれど。
あの子が自分で作ったおはなしを、汗をかきながら、いっしょうけんめい話してくれたのに……
ほんとに、私は、どうしてあんな言い方をしちゃったんだろう。
……そういえば、私も小さい頃は、お人形遊びをしながら、自分だけのストーリーを作って遊んだりしていた。
きょうだいが兄ふたりだったせいで、そういう遊びは、誰もいっしょにしてくれなくて、自分だけの世界だったけど。
どんな話だったかは、もう、ほとんど忘れてしまった。
確か、金髪のお姫さまがいて……そのライバルの、茶色い髪の子もいたような気がするけれど……よく、思い出せない。
「ママ、おねえちゃんはー?」
「お姉ちゃんは、お部屋で寝てるよ」
「ふーん」
ワカコは、いつまで待ってもお姉ちゃんが来ないから、むくれながら戻ってきたけど、ちょうどお気に入りの番組が始まったおかげで機嫌がなおって、今はおとなしくテレビをみている。
どうしよう……ここは潔く、謝りに行くべき?
でも、こんなに長い間出てこないってことは、あれは、怒ってるんじゃなくて、寝てるのかもしれない。
寝てるところを起こしたら、余計に機嫌が悪くなるかも……
バッキャロウ、親が、子に対して、ナァニを遠慮してやがる! ここは、ガツンと言ってやらねぇかッ! と脳内「江戸の頑固オヤジ」が喝を入れてくるけど、これは別に「ガツンと言う」筋合いの話じゃないしなぁ……
でも、母親に対して「バーカ!」はないよね。しかも3度も。
あれは、さすがに腹が立った。
シオリが起きてきたら、まず――
あ、ドアの音! シオリ、起きた!?
私が内心焦っているあいだに、足音が近づいてきて、扉が開いた。
真っ赤な顔にぼさぼさの頭で部屋に入ってきたシオリは、私をチラッと見て、スッと視線を外し、そのまま部屋を横切って、冷蔵庫を開けて麦茶を飲んだ。
「今日さあ」
私は、全身全霊をかけたさりげなさで、口を開いた。
「晩御飯、マーボーナスにするね」
「うん」
おっ、会話が成立した!? 今なら、いける!?
「シオちゃん。さっき、ごめんね……」
「うん」
シオリはこっちを見もせずに、もう一杯、麦茶をいれようとして――なぜか、ぴたっと手を止めた。
そして、まっすぐに私を見た。
「私も、さっき、ごめん。ママに、バカとか言っちゃった」
じ、自分から謝った!
さすが、私の娘! なんていい子なの!
「うーん、いいよ。さっきは、ママも悪かったもん。ごめんね。せっかく、シオちゃんがおはなし聞かせてくれたのに」
「うん。……ねえ、ママ。おいしーいお茶、いれてくれる?」
「おいしーいおちゃ、ワカものむー!」
「あ……うん! 今から、みんなで飲もうか!」
よかった……! 全てが、まるくおさまった……!
私がほっとしながらお湯を沸かして、おいしーいお茶をいれているあいだに、シオリが棚からお菓子を探し出し、人数分のマグカップを出してきて並べ、ワカコは、嬉しそうにお姉ちゃんのあとをついてまわった。
みんなでテーブルを囲んで座り、私がお茶をついでいく。
あたりに、いい香りが漂った。
一口飲んだシオリが、目を閉じて「やはり、ママのお茶が一番ですなあ」と言った。
彼女は私のお茶を飲むと、必ずこれを言うのだけど……なぜ、長老調?
「ねえ、ママ」
マグカップを持ち上げて、中のお茶をくるくる回しながら、シオリが言った。
「今度は、ママの小さかったときのおはなし、聞かせて」
「え?」
「ワカもきくー!」
「小さかったときって……小学生のときのこと? あんまり覚えてないなぁ」
「そうじゃなくて」 シオリは、まるでもっと年上の人のように、にっこりと笑った。「ママが、私たちみたいに子供だったときに、どんなおはなしを考えてた? そのおはなし、聞かせてよ」
「えーっ? そんな昔のこと、忘れた! 覚えてないよー」
「大丈夫。絶対、思い出せるよ」
シオリは、私を力づけるように、大きく頷いた。
「一度、心の中に生まれたおはなしは、絶対に、なくなったりしないんだよ」
「そう? ……そうかなあ。えーっとねえ……」
誕生日に買ってもらって、一番大切にしていた、お人形。
金色の髪の、きれいなお姫さま。
名前は……えー……ラ、マ、マ……マリー、マギー……
マーガレット!
そう! あの子は、マーガレットだった!
マーガレット姫は、白いフリルのついた、赤いドレスを着ていた。
それは、確か、大好きな王子さまからの贈り物で……
私の娘たちが、にこにこしながらこっちを見つめている。
あの頃は、誰にも話さなかった。
誰かが、聞いてくれるとは、思っていなかった。
「あのねえ……そう。
むかし、むかし、あるところに――」
そして、鍵は再び開かれる。
永遠の、物語の国へ――
【終】