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「狼のお嬢さん。これ、新鮮なお肉。そのままでも、炙っても美味しいんだよ。どうだい、お安くしとくよ?」
「まぁ、本当。美味しそうね」
ガヤガヤ賑わう屋台の通り。
王都の真ん中からしばらく歩いた場所で
初めて見る食べ物や工芸品を扱う露店が立ち並ぶ『夜市』が開かれていた。
鮮やかなオレンジと藍色がグラデーションを描く空の下、胸を躍らせて歩く。
◇
あの後、フェンリル様は私の気に入ったハーブをすべてプレゼントしてくれた。申し訳なさと嬉しさで、挙動不審になっていたであろう私を見て、彼は満足気だった。
それから遅めのランチを食べて、私たちは一度宿に戻った。購入したハーブを適切にケアして部屋に置き、あるものをカバンに入れるためだ。再び宿を出る時は本は机に置いたまま出発した。
「皆、楽しそうですね」
「ああ。夜市は王都に住む者にとってワイワイ楽しむ祭りみたいなものだからな」
「へえ」
私は感心して深く頷いた。
まさにお祭りの様な雰囲気だ。
賑やかで、どこか非日常感が漂っていて。
初めての体験に、嬉々と道の両側に並ぶ露店を見て回る。
ユービィスト王国で有名なのは、剣だ。
それからネックレスや指輪、イヤリングなどのアクセサリー類。精緻な彫刻を施したそれらが国の伝統工芸品になっていた。
「お嬢さん、お嬢さん。その仮面、素敵だねえ。どこの店のだい?ほう.....こりゃあ、細工の腕がピカイチだ」
「あら、ありがとう。これは祖母にもらったものなの。どこのお店のものかはわからないわ、ごめんなさいね」
露店でありながら見事な商品を並べるお店で、兎獣人らしき店主から声がかかる。
どうやら私のつけている仮面に反応してくれたらしい。さっき宿でカバンに入れたもの。グリーンの顔半分を隠す形で、繊細な模様が彫られていた。
子供の頃、父方の祖母から譲り受け、旅に出る時忘れずにキャリーケースに詰め込んだ。ユービィスト王国の夜市は仮面をつけるのが一般的だと学んでいたから。
隣にいるフェンリル様も顔半分を覆う黒の仮面をつけている。
「そりゃ残念だなぁ。ああ、もしダンスに参加するならあっちの広場だよ」
「ええ、行ってみるわ」
ほら、今も。夜闇を行き交う獣人たちは、仮面をつけて非日常を味わっている。何故仮面なのか詳しい理由は知らない。
だが、この夜市ではそれが習わしで、露店の立ち並ぶエリアを奥まで進むと広場があり、そこで獣人の若者たちはこぞってダンスを踊るという。
その光景は、さながらモーリャント王国の仮面舞踏会の様だと実際を見た経験のある祖母が教えてくれた。
「もう始まってる頃だろう。行ってみるか?」
「はいっ」
私たちはさらに奥を目指して歩いた。
◇
ザリ....。
「わぁ.....っ」
広場の隅の楽隊が奏でる陽気な音楽。自然と身体が動き出すテンポよく跳ねる音が、気分の高まった身体にちょうどよく響く。
高い音程と低い音程が混じって届く笑い声に、
色とりどりの仮面をつけ手を取り合って踊る獣人達。揺れる尻尾やピクピク動く耳。
夜空に朧げに浮かぶ満月とガラス細工みたいに煌めく星。
そして、
広場の真ん中に陣取るキャンプファイヤーのあたたかな炎が、赤やオレンジに揺らめいている。
生きた炎はパチパチと火の粉を飛ばしながら、高く積み上げられた薪の囲いの中で若者達と共に踊っていた。
「素敵.....」
思わず口からほうっとため息が漏れる。
これが見てみたかったのだ。
この旅の二つ目の目的。
昔、祖母から話を聞いてからずっとみてみたいと思っていたユービィスト王国の特別な夜のダンス。
なるほど。これは確かに仮面舞踏会だ。
しかも、自然という開放感に満ちた場所で踊るだなんて。思っていたよりずっとずっとドキドキする。
「......私も踊りたい」
いつも舞踏会に参加しても壁の花と化していて、踊ったことなんてない。一応婚約者はいたけれど、殿下はずっと他の女性をエスコートしていたし。
もともとダンスは苦手だったからそれでよかった。踊りたいと思ったことも一度もない。
でもーー。
今日は無性に踊りたい。なんだかすごく.....皆が和気藹々と笑顔で踊る様子に惹きつけられた。
すると、スッと私の前に差し出された男性然とした、大きな手。
「ミーナ、俺と踊って頂けますか?」
低く穏やかな、それでいて、やっぱりどこか甘い声音が耳をくすぐる。
「.....はい」
頬が熱くなるのを感じながら、そっと手を重ねる。
フェンリル様の手にすっぽり包まれ支えられて。私たちはキャンプファイヤーまで歩いていく。
近くに立てば炎が機嫌良く踊る音がよりはっきりと耳に届いた。それと比例するように私たちの意識がまわりから切り取られて、二人だけの世界に入り込んでいく。
現実なのに現実感のない、夢をみている感覚。二人、夢の世界でくるりくるりと踊っている。
瞳にはお互いの姿しか映っていない。
炎のあかりに照らされたその姿が、
あまりに神々しくて
吸い込まれそう。
懲りもせずに同じことを思った。
そんな自分がひどく滑稽で。
でも多分、これから先何度でも
私はこの人に同じことを思うのだろう。
銀の瞳を見つめて、そう思った。
◇
そこからの記憶は曖昧だった。
残っているのは、全身を撫でていく火傷しそうなほどの熱と視線。
それから耳から直接吹き込まれる、溶けそうなほどの熱い想い。
「ミーナ。.....好きだよ。愛している」
「君は可愛いな。それにとても甘い。まるで砂糖菓子のようだ」
「ああ、ミーナ。とても幸せだ。幸せすぎて怖いくらい」
「ずっと一緒だ、ミーナ。離れないで....」
◇
どうしてあんなに惹かれ合ったのか。
磁石みたいに引き寄せられて離れられなくなった。
夢の続きを見ている心地で
二人分の息遣いを感じた夜はーー
目を覚ました瞬間、綺麗さっぱり
すべてが現実へと引き戻されていた。
隣にあったあたたかな体温は消えて、布団に残るぬくもりは微かにも感じられないほど冷え切っていた。
残されていたのは机に置かれた一枚の紙。
『すまない』
書き殴ったように荒い筆跡。
まるで昨夜の夢が現実ではなかった証明のように書かれた、簡潔な言葉。
「ふ、ふふっ....。そっ、か」
すべて偽りだった。
ただ女性を求める男性の本能。
それだけだった。
「馬鹿ね、私....」
......でも。それでも。
あなたが私にくれた言葉も行動も......
私は忘れない。
だって、嬉しかったから。
嘲笑や蔑みなんて一切ない。
色眼鏡でみない、あなたの純粋な視点が。
気遣ってくれる行動が。
私自身を見てくれるあなたの、綺麗な瞳が。
頬を涙が伝った。
「好き.....でした、なんて.....きっと一生言えないわ....」
瞬間ーー。
全身をポゥと淡い光が包んだ。
「え....いま、なの?」
愕然とした。同時に悟った。
もう会わない。もう会えない。
私は今日、国へ帰るから。
おばあさんから購入した魔法薬の効果は7日間しか持たなかった。魔法薬を口にする時、少しだけ中身を溢した。その分、効果が短くなったのかもしれない。
私の身体はたった今、元の姿へと変わった。
他者から見た姿は、そのままの人間の姿に戻った。
私はすぐに支度を整えて宿を出た。
まだ陽も登らないうちの、薄暗い闇の中の出立だった。




