第一話:尋龍(じんりゅう):自分の中にいる龍を捜し始める
本作は小説家になろうで公開している「蒼龍くん物語」のスピンオフであり、主人公・蒼龍くんの師匠である玄龍さまの若き日を描いたエピソードゼロです。
禅の悟りに至る道筋を十枚の画で説いた「十牛図」をモチーフに、黄金の鱗を持つ一人の龍が、己の慢心や葛藤を経て、本当の自分を見つけ出すまでの旅を全十話で構成しました。
修行時代の玄龍が何を思い、いかにして「お山の玄龍さま」と呼ばれるに至ったのか。その最初の物語をお届けします。
外は、世界を叩きつけるような激しい雨。
時折、地を揺らす雷鳴が、道場の静寂を鋭く切り裂きます。
若き日の玄龍は、灯りのない道場で、ただひたすらに床を磨き続けていました。
キュッ、キュッ、と床を拭う音だけが、闇の奥へと溶け込んでいきます。
玄龍の体は、他の誰よりも大きく、逞しい筋肉を鎧のように纏っていました。
黄金色に光る自らの鱗を鏡に映すたび、彼は自らへ呪文のように言い聞かせてきたのです。
「俺は強い。誰にも負けはしない」
事実、道場で彼に勝てる者は、一人として存在しませんでした。
けれど――。
玄龍の心には、いつも底の知れない空洞が口を開けていたのです。
「玄、力だけでは守れないものがあるんだよ」
かつて親友の黒龍が残したその言葉が、耳の奥で今も鳴り止みません。
強くなれば、幸せになれる。
圧倒的な力をつければ、すべてが手に入る。
そう信じて、今日まで疑うことはありませんでした。
しかし、力を積み上げるほどに、自分の真の価値がどこにあるのか、霧の中に消えていくような感覚に襲われます。
ふと、玄龍の視線が道場の隅に置かれた古い巻物へ向きました。
そこには『十龍図』という、龍の生き様を描いた不思議な絵が記されています。
『龍を捜すなら、まず自らの足もとをよく見なさい』
「足もとを見る……だと?」
玄龍は鼻で笑い、その言葉を吐き捨てました。
そんなことより、もっと高い場所へ。もっと強い自分に。
焦燥感だけが、激流となって彼を突き動かします。
けれど、窓を叩く雨音に耳を澄ませ、鏡に映る黄金の自分を改めて見つめ直したとき。
そこにいたのは、酷く寂しそうな一頭の龍でした。
この眩いばかりの鱗を脱ぎ捨てたとき、一体自分には何が残るのか。
授かった体格や力ではなく、「一人の男」として、自分はどう生きていきたいのか。
玄龍は、静かに瞼を閉じました。
「……よし、旅に出よう。俺の中にいる、本当の龍を見つけに行くんだ」
玄龍は、これまで命を預けてきた、ずしりと重い大剣を、惜しむことなく床に置きます。
武器に頼るのではなく、自分の心ひとつで、この世の真理を見てこよう。
彼は、そう決意しました。
「黒。お前が言っていたことの答えを、俺は見つけてくるよ」
土の匂いが混じった激しい雨の中へ、玄龍は一歩を踏み出しました。
これが、のちに多くの魂を導くことになる「お山の玄龍さま」が、自らの足で歩み始めた、最初の一歩となりました。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
第一話「尋龍」は、文字通り自分の中に眠る龍を探し始める段階です。これは、私たちが日々の生活の中で「今の自分は本当の自分なのだろうか」と、現状に疑問を抱き、一歩を踏み出す瞬間に重なります。
力こそがすべてだと信じ、剣に頼ってきた玄龍が、あえて武器を捨てて土の匂いのする外の世界へと踏み出しました。自分を飾る「鎧」を脱ぎ捨てた彼を、一体どのような出会いが待ち受けているのでしょうか。
次回、第二話「見跡」。
嵐の中を進む玄龍が、ぬかるんだ大地に見つけたのは、己の傲慢さを根底から揺るがす「ある意外な足跡」でした。
物語が動き出す次話も、ぜひお楽しみに。
合掌




