CASE-007 借り物の人生
水城隆司は、指定時刻の二分前に例外事案課へ到着した。
受付認証。
本人確認。
同行者なし。
直前までの移動にも異常はない。
逃げる様子はなかった。
あるいは。
逃げる必要がないと思っているのかもしれない。
「社会安全庁の片瀬です」
「篠宮です」
「水城です」
前回と同じ面談室。
水城は席につくと、奈緒の端末へ一度だけ視線を向けた。
「今日は何の確認ですか」
「いくつかあります」
片瀬も正面へ座る。
「まず、真鍋拓也さんについて」
「真鍋さん」
「現在の記録では、沙耶さんが亡くなった五日後。東都中央医療センターで十二分ほど接触しています」
「そうですね」
「それ以前については?」
水城は少し考えた。
「特に覚えていません」
「知り合いだった記憶も?」
「ありません」
「現在の人物履歴にも、事故以前の継続的な交友関係は出ていません」
奈緒が確認する。
「なら、そうなんでしょう」
水城は淡々としていた。
別におかしくない。
この社会では、昔の交友関係を頭の中へ保存しておく必要はない。
必要なら記録を見ればいい。
そして今、その記録にはない。
「分かりました」
片瀬はそこで切った。
水城が少しだけこちらを見る。
もっと追及されると思っていたのかもしれない。
「じゃあ、別の確認をします」
奈緒が画面を切り替えた。
連帯保証契約。
成立――二年八か月前。
現在の保証人。
三崎直人。
「この契約に心当たりはありますか」
水城は画面を見る。
「ありません」
「保証先企業については?」
「覚えていません」
「代表者についても?」
「はい」
水城は少し間を置いた。
「私の履歴では、関係ないですよね」
「現在参照では」
「なら、私が覚えていないこと自体は不自然じゃないでしょう」
「不自然ではありません」
奈緒は即答した。
水城が少しだけ眉を動かす。
「ただし」
画面が切り替わる。
契約成立時点の監査参照。
保証人――。
水城隆司。
「契約が成立した時点では、あなたへ帰属しています」
水城はしばらく表示を見た。
「……それが?」
「現在は三崎氏です」
「訂正されたんじゃないですか」
返答は早かった。
「当時の参照が誤っていて、後から本来の三崎さんへ戻された」
「そういう訂正処理自体は存在します」
「なら、それで説明できますよね」
「この一件だけなら」
奈緒が二本の時間軸を出す。
三崎直人。
水城隆司。
九年前から、沙耶の死亡直前まで。
「同じ時期に、あなたと三崎氏の過去履歴が広範囲に交換されています」
婚姻。
居住。
旅行。
医療。
仕事。
金融契約。
交友。
「現在あなたに帰属する沙耶さんとの生活履歴は、記録生成時点では三崎氏のものでした」
「……」
「現在三崎氏に帰属する履歴は、生成時点ではあなたのものです」
水城がゆっくり息を吐く。
「それなら」
「はい」
「九年間まとめて訂正されたんでしょう」
「そう考えますか」
「アーカーシャでは、そうなっているんですよね」
「はい」
「だったら、人間の記憶よりそちらを優先するのが普通でしょう」
片瀬は少しだけ頷いた。
「そうですね」
この社会なら。
実に普通の答えだった。
◇
「では、水城さん自身の認識について確認します」
奈緒が言った。
「沙耶さんが亡くなる前、自分に妻がいると思っていましたか」
水城が黙る。
「覚えていない、でも構いません」
「……妻がいるという認識はありませんでした」
「沙耶さんと暮らした記憶は?」
「ありません」
「箱根へ行った記憶は?」
「ありません」
「分かりました」
奈緒はそれだけ記録した。
片瀬が続ける。
「じゃあ、配偶者死亡通知が来た時は驚いた」
「当然でしょう」
「午後八時五十六分」
「はい」
「それまで妻がいる認識はなかった」
「はい」
「なのに、アーカーシャから『あなたの配偶者が死亡しました』と通知された」
「そうです」
「誤通知だと思いました?」
「最初は」
「そのあと?」
「履歴を確認しました」
「自分が夫になっていた」
「はい」
「そこで?」
「自分の認識の方が間違っていたんだろうと思いました」
水城はごく自然に言った。
「人間の記憶より、アーカーシャの方が正確でしょう」
「そうですね」
片瀬は否定しなかった。
「ただ」
表示を変える。
午後八時五十六分。
配偶者死亡通知。
午後八時五十七分。
婚姻履歴照会。
午後八時五十八分。
人物検索。
検索対象。
三崎直人。
水城の視線が止まった。
「これ、どうしてです?」
「……何が」
「通知を受け取った二分後に、三崎さんを検索してる」
「そうみたいですね」
「婚姻履歴には、三崎さんの名前は出てこない」
「はい」
「死亡通知にもない」
「はい」
「それでも、水城さんは三崎直人という名前を入力した」
「理由は覚えていません」
「三週間前ですけど」
「検索理由を三週間覚えておく必要がありますか」
片瀬は少し考えた。
「ないですね」
「なら」
「でも」
片瀬は画面を指した。
「今覚えてるかどうかは、そこまで重要じゃない」
水城がこちらを見る。
「その時点の水城さんは、三崎直人という名前を知っていた」
「……」
「知らない名前は検索できない」
「何かで見たのかもしれません」
「かもしれない」
「そうでしょう」
「はい」
片瀬は頷く。
「ここだけじゃ分かりません」
水城が少しだけ息を吐いた。
◇
奈緒が十一人の人物名を表示した。
「事故以前の検索履歴です」
「今は?」
「現在参照では三崎氏へ帰属しています」
「なら私の履歴ではない」
「現在は」
「それなら、私には説明できません」
「その通りです」
奈緒は続ける。
「ただし、生成時参照では水城隆司からの検索です」
「過去の参照でしょう」
「はい」
「覚えていません」
「それで構いません」
奈緒は検索対象の条件を並べた。
三十二歳から三十八歳。
男性。
近い世代のノード。
同一生活圏。
重大な継続再認証歴なし。
「十一人には、かなり偏った共通点があります」
「偶然では?」
「可能性はあります」
「なら」
「さらに」
検索項目の内訳。
年齢。
ノード規格。
医療履歴。
居住地域。
婚姻状態。
住居。
扶養。
公開資産情報。
「このうち前半は、人物参照交換の技術適合条件と一致します」
水城が奈緒を見る。
「人物参照交換?」
「今、初めて用途を言いました」
奈緒の声は淡々としている。
「真鍋氏は、事故前に人物参照交換の技術条件を誰かへ説明したと供述しています」
「誰に?」
「それはまだ言えません」
「なら、私と関係あるか分からないでしょう」
「はい」
「だったら」
「ただし」
片瀬が言った。
「婚姻状態、住居、公開資産は真鍋さんが挙げた技術条件には入ってない」
水城の表情がわずかに変わった。
「交換できるかを見るだけなら、必要ない情報です」
「検索意図まで記録されてるんですか」
「されてません」
「なら、そちらの推測でしょう」
「その通りです」
片瀬はまた引いた。
「今のところは」
水城が黙る。
否定しても、片瀬は無理に押し切らない。
それがかえって、水城にはやりにくそうだった。
◇
「事故当日の夜へ戻ります」
奈緒が言った。
午後八時五十六分。
死亡通知。
八時五十七分。
婚姻履歴。
八時五十八分。
三崎直人検索。
八時五十九分。
東都中央医療センター経路検索。
九時二分。
自宅退出。
「病院名は通知に含まれていません」
「前にも聞かれました」
「はい」
「大きい病院です。利用したこともある」
「それだけなら説明可能です」
「では何が問題なんです」
「その後です」
病院到着。
家族関係確認。
相続関連案内受領。
午後十時二十一分。
三崎直人の人物履歴照会。
午後十時二十三分。
三崎に現在帰属している保証契約を閲覧。
午後十時二十六分。
同期間の係争記録。
午後十時三十一分。
事故前に検索していた十一人のうち、三崎を含む四名を再検索。
「この理由も覚えていません?」
片瀬が聞く。
「はい」
「分かりました」
「記録がそうなら、検索はしたんでしょう」
「そうですね」
「それ以上は」
「ただ」
片瀬は保証契約を指す。
「突然、知らない妻ができた」
「はい」
「妻との関係を確認する。これは分かる」
「はい」
「でも、その日のうちに三崎さんの保証債務を見る」
「三崎さん自体が気になったんでしょう」
「何で?」
「……覚えていません」
「そうでした」
片瀬は十一人の一覧を戻す。
「事故前に検索していた人たちも、もう一度見てる」
「……」
「現在の水城さんとは関係ないはずの人たちです」
「現在の記録上は」
「はい」
「でも見た」
「そうですね」
「理由は?」
「覚えていません」
「了解です」
片瀬は画面を閉じた。
「じゃあ、ここも理由不明で置きます」
水城が眉を寄せる。
「何なんですか、さっきから」
「何がです?」
「認めさせたいのか、違うのか」
「事実と推測を分けたいだけです」
「……」
「分からないなら分からないでいい」
片瀬は言った。
「俺たちは、その状態で次を見るので」
◇
「真鍋氏について、一つ共有します」
奈緒が言った。
水城の姿勢がわずかに変わる。
「事故当日、三崎氏とあなたの人物参照を再構成した操作は、真鍋拓也氏本人が行ったと確認しています」
水城の表情が消えた。
「本人も認めています」
「……そうですか」
「設備記録とも一致します」
「俺は設備には触ってません」
「はい」
「病院の操作もしていない」
「確認済みです」
「なら」
「操作したとは言っていません」
奈緒はそこで止めた。
片瀬が続ける。
「真鍋さんが勝手にやった?」
「知りません」
「事故前に相談したこともない?」
「覚えていません」
「現在記録にもない」
「そうでしょう」
「はい」
「なら、それ以上どうしろと」
「過去の会話は、いったん置きます」
片瀬は別の画面を出した。
「参照交換が起きた後の、水城さん自身の行動だけ見ます」
「……」
「存在しなかったはずの妻の死亡通知を受け取った」
「はい」
「二分後、三崎直人を検索した」
「はい」
「三崎さんに現在帰属する債務を確認した」
「記録上は」
「事故前に検索されていた候補群を再確認した」
「……はい」
「人物参照の異常申告はしていない」
「アーカーシャが正しいと思ったからです」
「相続手続きは?」
「案内されたから進めました」
「三崎さんの保証債務について、訂正申告は?」
「私の債務ではありません」
「現在参照では」
「そうです」
「そして前回」
黒いネジ。
箱根旅行。
面談記録。
「三崎さんが実際に経験した生活について、水城さんは自分の経験だったように答えている」
「記録を確認したからです」
「覚えてないのに」
「記録があるなら、それが事実でしょう」
「誰の身に起きた事実かは?」
水城が黙る。
「そこを今調べてるんです」
「……」
「知らないなら、『記録ではそうなっています』でいい」
「夫として質問されたので」
「夫として答えた」
「はい」
「どうして?」
「アーカーシャが夫だと判断していたからです」
「それだけ?」
「それだけです」
片瀬はしばらく水城を見る。
「じゃあ、元に戻しても問題ないですね」
一瞬。
水城の表情が変わった。
「何をです?」
「人物参照」
「……」
「変更前の帰属状態は確認できています」
奈緒が言う。
「身体情報、記録生成時参照、監査履歴も整合しています。技術的な復元方法の検討も開始済みです」
「待ってください」
水城が初めて言葉を被せた。
片瀬は何も言わない。
「今の参照が正しい可能性もあるんでしょう」
「現時点では、その可能性は低いと見ています」
「だったら、そんな簡単に戻すのは」
「水城さんは」
片瀬が静かに言う。
「自分には妻がいた記憶がない」
「記憶は証拠にならない」
「そうですね」
「今は俺が夫です」
「はい」
「なら」
「保証債務も戻ります」
水城の声が止まった。
「何の話です?」
「契約成立時点では水城さんへ帰属していた保証債務」
「……」
「現在は三崎さんへ移っている」
「……」
「その他の債務と係争も、元の参照へ戻る」
水城は黙っていた。
「嫌ですか?」
「誰だって嫌でしょう」
「でも」
片瀬は言った。
「覚えていない」
「……」
「現在の記録にもない」
「……」
「今の水城さんにとっては、赤の他人の債務ですよね」
長い沈黙。
「戻っても、水城さんには関係ないはずです」
水城は答えなかった。
◇
「真鍋は」
水城が不意に言った。
「何を話したんですか」
「それは言えません」
「俺のことは?」
「何について?」
水城が止まる。
片瀬は補わない。
奈緒が言った。
「真鍋氏は、人物参照交換の技術条件を事故前に誰かへ説明した、と供述しています」
「……」
「また、事故前に実行可能性を試験したことも認めています」
「……」
「事故当日、最終的な対象として三崎氏を選んだのは自分だとも」
水城が顔を上げた。
「……三崎が一番条件が良かったから?」
沈黙。
片瀬は水城を見る。
水城自身も。
今の言葉の意味に気づいたらしい。
「水城さん」
「……」
「俺たちは、三崎さんが一番条件が良かったとは言ってません」
水城は目を閉じた。
しばらく。
誰も話さなかった。
「……記録に残らないところだけなら」
水城が呟いた。
「何です?」
「どうにかなると思ってました」
片瀬は黙って続きを待つ。
「会話の内容は残ってない」
「はい」
「昔のことは、覚えてないと言えばいい」
「はい」
「実際、覚えてないことも多い」
「そうですね」
「だから」
水城は乾いた笑いを漏らした。
「どこまで本当に忘れてて、どこから嘘かなんて、分からないと思ってた」
「分かりませんよ」
片瀬が言った。
水城が顔を上げる。
「今でも」
「……」
「だから記憶じゃなくて、行動を見てました」
◇
「真鍋から条件は聞きました」
水城が言った。
奈緒が記録を開始する。
「どんな条件です?」
「年齢。性別。ノードの世代。医療履歴。生活圏」
「交換後の不整合を減らすため?」
「そう聞きました」
「候補を探したのは?」
「俺です」
「十一人?」
「人数までは覚えてません」
「分かりました」
片瀬が聞く。
「目的は?」
「自分の債務を別の人間へ移すことです」
「最初から?」
「最初は」
片瀬が止まる。
「途中で変わった?」
水城は黙った。
「婚姻状態とか、住居とか、公開資産まで調べてます」
「……」
「真鍋さんの条件じゃない」
「はい」
「何のためです?」
水城はしばらく答えなかった。
「どうせ替えるなら」
ようやく言う。
「替えた後の方が、今よりましな方がいいと思いました」
「借金がなくなるだけじゃなく?」
「はい」
「生活そのものも?」
「……はい」
「三崎さんは?」
「条件が良かった」
「技術的に?」
「それも」
「他には?」
「仕事が安定してた」
「はい」
「住む場所もあった」
「はい」
「結婚してた」
「はい」
「だから何度も調べた?」
「そうだと思います」
片瀬は「覚えてるだろ」とは言わなかった。
水城が今言える範囲だけで十分だった。
「事故は?」
「知らなかった」
「そこは確認できています」
「俺も真鍋も関係ない」
「はい」
「沙耶さんが死ぬなんて考えてなかった」
「分かっています」
水城は俯いた。
「だから三崎は候補だったけど、使えないと思ってた」
「沙耶さんがいるから」
「はい」
「参照を替えたら、本人が違うと言う」
「それだけで調べられる」
「でも事故が起きた」
「……はい」
「死亡通知が来た」
「はい」
「そこで?」
水城は両手を見る。
「三崎だと思いました」
「なぜ?」
「一番条件が良かったから」
「真鍋が選ぶなら」
「三崎だろうと」
「だから通知の二分後に三崎さんを検索した」
「……はい」
ようやく。
事故後の行動と、本人の説明が繋がる。
「病院も?」
「真鍋がやったなら、東都中央医療センターだと思った」
「それで検索した」
「はい」
「真鍋さんには連絡しなかった?」
「してません」
「なぜ?」
「必要なかった」
「交換が成立したのは通知で分かったから」
「はい」
◇
「参照を戻さなかった理由は?」
奈緒が聞いた。
「戻してほしくなかったからです」
「債務が戻る」
「はい」
「それだけ?」
水城は少し黙った。
「……それだけじゃないです」
「何が?」
片瀬が聞く。
「三崎の人生の方が」
一度言葉が止まる。
「自分のより、ましだった」
「妻がいて」
「はい」
「仕事があって」
「はい」
「生活が安定してる」
「はい」
「それが欲しかった?」
水城は視線を落とす。
「最初は、借金さえなくなればいいと思ってたんです」
「はい」
「でも候補を見てるうちに」
水城は苦く笑った。
「他人の人生を選べるなら、悪い方を選ぶ理由ないだろって」
誰も口を挟まなかった。
「事故の日」
水城が続ける。
「通知が来て」
「はい」
「三崎だと思って」
「はい」
「最初に思ったのが」
そこで声が止まる。
「何です?」
「これなら戻らなくて済む、でした」
面談室が静かになる。
「人が死んだのに」
「はい」
「それでした」
「だから申告しなかった」
「はい」
「相続手続きも進めた」
「はい」
「三崎さんの人生を調べた」
「はい」
「前回の面談に備えて?」
水城は少し迷ってから頷いた。
「記録を見れば答えられると思った」
「黒いネジも」
「はい」
「箱根も」
「はい」
「実際には経験してない」
「はい」
「でも夫だったように答えた」
「そうです」
「戻されたくなかったから」
「はい」
◇
「変な感じはしませんでした?」
片瀬が聞いた。
「何がです?」
「知らない九年間が自分のものになってる」
「しました」
「最初は?」
「気持ち悪かったです」
「それでも使った」
「はい」
「慣れた?」
水城は少し考えた。
「慣れたというか」
「はい」
「分からなくなってきた」
「何が?」
「どこからが自分の人生なのか」
「記憶にはない」
「はい」
「でも記録にはある」
「あります」
「それで?」
水城はしばらく黙った。
「何度も見るんです」
「婚姻履歴?」
「それも。旅行とか、写真とか」
「はい」
「そうすると」
一度息を吐く。
「自分が忘れてるだけなのかもしれないって、少し思うようになる」
片瀬は何も言わなかった。
「自分で入れ替えたって分かってるのに」
「はい」
「それでも、アーカーシャが毎日『これはお前の人生だ』って出してくる」
「……」
「人間の記憶より記録が正しいって、ずっとそういう社会だったから」
水城は小さく笑った。
「知ってても、少し揺らぐんですよ」
奈緒の指が止まった。
片瀬は水城を見る。
この男がやったこととは別に。
その言葉だけは。
今回の事件より大きなものに聞こえた。
◇
「最後に確認します」
奈緒が言った。
「水城氏は、真鍋氏から人物参照交換の概要を事前に聞いていた」
「はい」
「交換相手となる候補者を、自ら検索した」
「はい」
「当初の目的は、自身の債務を他者へ帰属させることだった」
「はい」
「その後、交換後に取得する生活条件も候補選定に加えた」
「はい」
「三崎氏はその候補の一人だった」
「はい」
「事故当日、三崎氏が最終対象になったことは、実行前には知らなかった」
「はい」
「実行後、参照交換が行われたことを認識した」
「はい」
「にもかかわらず訂正を申告せず、変更後の婚姻関係と財産関係を利用した」
「……はい」
「以上です」
奈緒が入力を止める。
片瀬は水城を見る。
「俺から一つだけ」
「何です?」
「三崎さんに返したいですか」
水城はすぐには答えなかった。
「戻されたくないか、じゃなくて」
「……」
「今は」
長い沈黙。
「返したいです」
「全部?」
「はい」
「債務も戻りますよ」
水城は目を閉じた。
「分かってます」
◇
面談終了後。
水城は執行局へ引き継がれた。
直接操作を行ったのは真鍋。
だが。
交換方法の説明を受け。
候補者を探し。
実行を了承し。
交換後には何が起きたかを認識し。
訂正を申告せず。
他人の婚姻関係と財産関係を、自分のものとして利用した。
そこまでが。
ようやく一本に繋がった。
「終わりました?」
ひよりが聞いた。
「水城の聞き取りは」
片瀬が答える。
「事件は?」
「まだ」
「犯人も分かったのに?」
「仕組みもな」
葛城が言う。
「じゃあ何が残ってるんです?」
鷺沢が会議スペースから答えた。
「戻すことと、名前を付けることだ」
「名前?」
「事案分類」
奈緒が言う。
「人物参照を不正に交換し、財産、契約、家族関係を含む社会的履歴の帰属を別人へ移転させる行為」
「長いですね」
「だから分類名が必要です」
片瀬は壁面を見る。
三崎直人。
水城隆司。
二本の人生は。
まだ交差したままだ。
「戻したら終わり?」
ひよりが聞く。
「それだけだと、次もまた俺たちに来る」
久我が言った。
「同じことが起きた時?」
「ああ」
鷺沢が頷く。
「一度分かった例外は、次から例外にするな」
奈緒が作業項目を開く。
旧規格互換経路の封鎖。
大規模人物参照変更時の強制監査。
変更前後の身体情報照合。
家族関係の再検証。
契約帰属の一括変動検知。
過去参照と現在参照の大規模乖離検出。
「これ全部やるんですか」
片瀬が聞いた。
「関係部署がな」
「よかった」
「お前も報告書は書け」
「……」
「何だ」
「いえ」
「言え」
「めんどくせぇな、と」
「知ってる」
◇
三崎へ連絡したのは、その日の夕方だった。
『片瀬さん』
「はい」
『分かりました?』
「分かりました」
通信の向こうが静かになる。
『……沙耶は』
一度、言葉が止まる。
『俺の妻だったんですよね』
「はい」
片瀬は迷わなかった。
「婚姻成立時点の記録も、その後の生活履歴も、身体に残った痕跡も一致しています」
『……』
「沙耶さんと九年間暮らしたのは、三崎さんです」
長い沈黙。
「人物参照が不正に変更されていました」
『じゃあ』
「戻します」
『本当に?』
「はい」
「時間はかかります。婚姻、相続、債務、行政処理、契約。影響範囲が広いので、一つずつ確認しながら戻します」
『でも、戻るんですよね』
「戻します」
また。
しばらく声がなかった。
『俺の記憶』
「はい」
『間違ってなかったんですね』
片瀬は少し考えた。
「今回は、記憶と記録が一致してました」
『今回は?』
「記憶が正しいから信じたわけじゃないです」
『じゃあ何で』
「記録と食い違った時に、その理由を調べたからです」
『……』
「記憶は証拠にはなりません」
『はい』
「でも」
片瀬は言った。
「検索するきっかけにはなる」
通信の向こうから、小さく息を吐く音がした。
『ありがとうございました』
「まだ全部戻ってないですよ」
『それでもです』
「……分かりました」
通信を切る。
片瀬は画面を見る。
そこにはまだ。
水城隆司の名前で束ねられた、三崎の九年間が残っている。
正しい出来事。
間違った参照。
そして。
ようやく確定した、訂正すべき理由。
「片瀬さん」
奈緒が呼ぶ。
「何?」
「報告書です」
「今日?」
「今日です」
「明日じゃ駄目?」
「駄目です」
「……めんどくせぇ」
奈緒は少しだけ間を置いた。
「終わらせるために必要です」
片瀬が彼女を見る。
「最近、そういうこと言うようになった?」
「事実です」
「はいはい」
片瀬は端末を開いた。
第一例外事案。
分類――未設定。
カーソルが点滅している。
一度見つけた異常は。
次には、異常として見逃さない。
そのために。
まず、この事件へ名前を付けなければならなかった。
お読みいただきありがとうございます。
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