第51話 クーパーペア
昼食後は原子炉の見学だ。実験が禁止されている私は初めて原子炉格納容器内に入る。この原子炉は研究炉である。中性子散乱実験のために建設された原子炉を研究炉と言うが、今日は定期点検中で停止している。だから私も内部に入ることができた。感動半分興味半分である。
原子炉に入る前に、修二くんから中性子散乱実験についてレクチャーがあった。新発田先生とか榊原先生でなく修二くんが選ばれたのは、参加の3年生・4年生たちには親しみやすいだろうという理由からである。修二くんは中性子がプローブとしていかに優れているか語り、設置されている分光器の特性、さらには実験結果についても語った。
原子炉格納容器内に入るドアは巨大である。ものすごい厚みのドアが二重になっていて、外側のドアと内側のドアが同時に開くことは絶対にない。外側のドアが開いて中に入ると、まだ内側のドアが閉まっている。外側がちゃんとしまってから内側が開くので、短時間だがドアとドアの間に閉じ込められる形になり、この間に地震とかあったら相当不安になるだろう。新発田先生の経験だと、大昔格納容器内で実験中に地震で停電になり、このドアが開かなくなったことがあるそうだ。そのときはやむを得ず格納容器内の階段を延々と上がって、格納容器の天井部分から外に出たそうだ。
そんな話を思い出していたら、内側のドアが開いた。
日本の中性子をもちいた物性研究は1960年代までさかのぼる。最初は原子炉で始まったのだが、それを支えてきたのは主に東海村の2号炉(解体済み)と眼の前の3号炉だ。1980年代からはつくばで加速器を用いた中性子源が建設され、21世紀初頭まで稼働していた。修二くんたちのチョッパー分光器に中性子を送る中性子源など、そのつくば時代の経験が活かされている。もちろんアメリカ・イギリス・フランスなどとの国際協力もあるが、昨日今日の2日間で日本の中性子の歴史を目の当たりにしたようで感慨深い。眼の前の3号炉でも先人たちがいろいろな実験をしてきたのだ。とくにつくばでは研究者たちが文字通り命を削って研究に励んできたと柴田先生、榊原先生から聞いている。私も修二くんもそれを受け継いでいきたい。
内部は案外狭く、小さな原子炉(といっても高さが何メートルもある。あくまで印象)のまわりに分光器など計測器がいくつか置かれている。いつもの分光器との違いは、原子炉内の分光器は遮蔽体でおおわれていないことだ。そのかわりビームが当たりそうな場所は床に危険地帯としてしめされているし、ついたて状の遮蔽体もある。どちらにせよコンパクトなレイアウトだ。
新発田先生が学生たちに説明しているので私は修二くんに近づき聞いてみた。
「修二くんも一応使ってるのよね?」
「うん、あっちの粉末回折装置は何回か使わせてもらった」
粉末回折装置とは、物質の結晶構造を測る装置である。
「あっちじゃだめなの?」
私の言う「あっち」とは、いつものチョッパー分光器がおいてあるほうに設置されている類似の装置である。
「うん、あっちはマシンタイムが全然空いてない」
一通り説明を聞きながら内部を一周したが、さすがは実験屋、修二くんは食い入るようにひとつひとつの分光器を見ていた。
バスで移動して加速器側の中性子散乱実験施設も見学してもらう。ただし、こちらは稼働中であるため私は実験ホールはおろか制御室さえ入れてくれなかった。しかたがないので私は会議室でみんなを待つ。
実は2日間にわたる合同セミナーの最後は、私が受け持たされていた。理論でも実験でもなんでもいいから1時間半ほど喋れという雑な指示が出ていた。それをいいことに私は内容を修二くんにさえ一切教えず、一人で準備していた。用意していたスライドを一通りPC上でチェックしたあとは、休憩をかねて論文チェックをしていた。
論文チェックに没頭していたので時間経過を忘れていた。気がついたらどやどやと合同セミナー参加者が会議室に入ってきた。ちょっとの休憩のあと、私の出番になる。修二くん、先生たち、そして学生たちがにこやかなので、充実した見学だったことが伺える。ちょっとうらやましい。
時間になったので私は話を始めた。
「みなさん、大学院大学の唐沢杏です。みなさんは3年生・4年生ということなので、今日は『超伝導の基礎と今後の展望』というテーマでお話いたします」
PCからスクリーンに映るスライドを説明する。
「まず超電導はご存知のように、低温で一部の金属が電気抵抗を失ってしまう現象です……」
私は超電導の発見、そして研究の歴史についてごく簡単に紹介した。
「私達物理屋は、電気伝導を実空間でなく、波数空間または逆格子空間で考える事が多いです」
4年生はみな知っているだろうが、一応3年生もたくさんいるので基礎の基礎から紹介する。
「電子はスピン2分の1のフェルミ粒子ですから、パウリの排他律により同じエネルギー順位をとることができず、絶対零度の波数空間では電子は球のように分布し、これをフェルミ球、その表面をフェルミ面といいます」
説明としては雑だが、時間の関係で仕方がない。
「1950年代に、クーパーは格子振動を介してフェルミ面上でちょうど反対側に入る電子同士がペアを作り、結果としてボーズ粒子となりうることを示しました。これが超伝導を担う、クーパーペアです。高温超伝導体でも重い電子系超伝導体でも、やはりクーパーペアができて超電導が発現していると考えられています。ただ、ペアを結びつける力が何なのか、またペアをつくる電子の状態がふつうの超伝導体とどう異なるのかについて、盛んに実験的にも理論的にも探られてきました。ただ、統一的な解釈はまだえられていないのです」
ここで私は、話題を変えた。
「私は理論の立場から高温超伝導について研究していますが、私も加わった一つの研究例をこれから紹介したいと思います」
スライドを、SHELのチョッパー分光器の写真に切り替える。
「私が修士の1年のとき、ちょうど2年前ですが、私を含めた主に札幌国立大学の院生が中心となってこちらのチョッパー分光器で実験し、その結果を学会で発表、論文もアメリカの学術誌に掲載されました」
スライドを論文の最初のページに切り替える。これはかかわったすべての人間を明らかにするためだ。もちろん新発田先生、榊原先生、池田先生も入っている。そして研究の動機、わかったこと、わからなかったことを述べた。
そしてスライドを写真に切り替えた。冬の札幌大通り公園で、私、修二くん、のぞみ、明くんが写っている写真である。
「私も写っていますが、この4人がこの研究の中心メンバーです。私が研究上疑問に思っていたことを、こちらの緒方のぞみがサンプルに反映させました。彼女がサンプル作りに苦戦しているとき、これで世界に並ぶんだと強い決意を語っていたことを思い出します。横にいるこの男性は岩田明、専門は宇宙論ですがサンプル作りを手伝い、その他理論面でもいろいろと助言をくれました。そして今日みなさんと同行している唐沢修二、彼が中性子散乱実験を行いました」
ここで一旦話を区切り、私は参加者たちを見回した。
「いいですかみなさん、この研究はもちろん、SHELのスタッフの方々や指導教官の方々の直接の支援がなければできませんでした。まだ院生ですから保護者による精神的金銭的援助、そして税金もたくさん使っています。ですが、みなさんもあと少しで、わたしたちと同じステージに立てるのです。このときわたしたちは皆、修士の1年目だったのですから」
しかし私の一番言いたかった話はまだである。スクリーンにはまだ4人の写真が映っている。
「超伝導状態では電子2つがペアを作っています。普通の超電導では格子振動、新しい超電導では磁気的な力かほかのなにかの力でやはりペアを作っています。で、われわれ人間もペアをつくりますが、この写真でも二人ずつペアを作っています。電子はペアを作り超電導に、人間はペアとなり未来を作ります。人間のペアを作る相互作用がなんなのかはあえて語りませんが、皆さんも同様であることを願っております」




