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第30話 就職活動?

 ワインを飲みすぎなくて済んだので、ウィスキー工場も見に行った。車で移動すればすぐである。詳細な見学は予約が必要で、玲子ちゃんのお父様がしていてくれていた。ワインを飲みすぎなくて本当に良かったと思う。


 ガイドの方に連れられて構内を歩く。石造りの建物がすばらしい。いくつかの建物は需要文化財指定されていて、創業者が百年近く前に奮闘したころからの歴史を感じられる。


 私達は物理屋であるから、酵母による発酵とかはよくわからない。高校レベルの生物・化学の知識しかなく、とにかく糖がエタノールに変わっていくことは理解できる。それよりも物理屋として興味があるのは蒸留だ。


 酵母が原料の糖からアルコールをつくった段階では、アルコールの濃度は8%くらいしかないそうだ。これを加熱し出てくる蒸気にはアルコール分が多く含まれる。簡単に言えばアルコールのほうが蒸発しやすいからだ。しかし水も蒸発するから蒸留ではどんなにがんばってもアルコール100%にはできない。実用上100%のアルコールなんて飲めるわけがないからその事自体は問題ない。適切なアルコール濃度やその他含まれているもので味わいが変わるわけだ。

 蒸留器を見ていると統計力学の知識を使って私なりに蒸留過程を自分なりにデザインしてみたくなる。わかりきっているのはそうしてできたウィスキーは、今目の前でつくられているものよりは美味しくないことだ。先人たちの試行錯誤というものはそう簡単にこえられるものではない。

 おそらくメーカーの開発・研究を担っている人たちは日々の仕事でそのことを思い知らされているだろう。私達物理屋が新しいことを理解できるのはやはり先人たちのおかげで、そのことをニュートンも「自分は巨人たちの肩の上にたっていただけだ」と表現している。

「私も物理じゃなかったら、こういうとこに就職したいな」

と口にしたら、のぞみは冷静だった。

「あんたは無理」

「どういうことよ」

「あの効果よ」

 そうだった。

「あんたがこの会社就職して開発職についたら、新製品全く出なくなることは確実ね」

 そんな会話を耳にした会社の作業服を着ている人が、すっと近づいてきた。

「みなさんお若く見えますが、就職活動中ですか?」

「あ、いえ」

「なんでしたら会社の資料、お送りしますが」

 のぞみにひどく言われた私は復讐することにしておいた。

「あの私達、札幌国立大学理学部物理学科の網浜研のものです。博士でも大丈夫ですか?」

「博士ですか? 研究の基本が身についている方なら、どんな分野の方でも大歓迎ですよ。むしろ専門外の方のほうが固定概念がなくて、いいことも多いんですよね」

「のぞみ、よかったね、博士でも大丈夫だって」

 さすがののぞみも会社の人を前に変なことをいえず、ゴニョゴニョしている。

「網浜研とおっしゃっていましたね、資料お送りします」

 さすがに玲子ちゃんが慌てて、

「あの、現在検討しているわけではないんですが」

と言ったのだが、会社の人は気にしていなかった。

「ちょっとでも考えていただけたらそれで結構ですよ。研究室だけでなく、ご友人にもご紹介いただければ」

 もしかしたら札幌の物理の就職先を開拓してしまったかもしれない。


 一通り見学したあと、売店に行く。ここで一番興奮していたのは明くんだった。

「このメーカーは安価なウィスキーもおいしいんだよ」

 私はのぞみに聞いてみた。

「明くんって、ウィスキー派だっけ?」

「なんかこの前の冬、お湯割りにはまってたね」

「ふーん」

「最近はわざわざコンビニから氷買ってきて、ロックだね」

「氷って、やっぱちがうの?」

「よくわからん」

「水道の消毒薬かな? それとも気体の含有量かな?」

「こんど家でやってみるか?」

「のぞみなら温度管理をしっかりして、透明な氷つくれるんじゃない?」

「家でも実験?」

「ははは。でもさ、液相から固相への転移って一次転移だけど、時間依存ってどうなってんのかね」

「実験の立場からすると、温度変化見ながら様子を観察するんだろうね」

「固相への転移は並進対称性がなくなるってことだよね。どう測定する?」

「かき混ぜるわけにはいかないしな。音響的には液相では縦波のみ、固相では横波も出るな」

「それだと中性子当てればわかるか、フォノン」

 フォノンというのは、原子の振動を量子化(数学的に粒子のように扱うこと)したものである。中性子の実験は家庭や大学で気軽にできるものではない。それもあってか、のぞみは違うアイデアを出してきた。

「う~ん、屈折率って変化する?」

「しらん。あと過冷却も面白そうだね」

 すると玲子ちゃんが口をはさんできた。

「あの、こんなとこでも物理の話なんですね。やっぱのぞみ先輩って、聖女様のお友達なんですね」

「なぬ?」

 すかさずのぞみが反応した。言い訳のように玲子ちゃんが話を続ける。

「いや、聖女様が修二先輩のこと以外では物理のみって、有名じゃないですか。でも今お聞きしてると、のぞみ先輩も似たようなものかなって」

「あのね、玲子ちゃん、それって誹謗中傷だよ」

「うちののぞみんを悪く言うのはやめてほしいな」

とは明くんだ。


 一応私は抗議した。

「あの、わたしむちゃくちゃ言われてる気がしてるんだけど」

「事実じゃないの」

 のぞみは冷たい。

「修二くん、ひどくない?」

「まあまあ」

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