海
「海に出たわ!」テルルが少しはしゃいで言った。「少し降りてみましょうよ」
外を見ると、延々と続いていた森が途切れ、広い空が見えた。もう雨は上がっていた。
車は海岸線の道路とのT字路で、信号待ちで止まっていた。他の車は見えない。俺は厚木から江ノ島に向かう時のT字路を思い出した。学生の頃によく通った。
「信号が変わったら、路肩に止めるわね」テルルは手を空中で動かして何かを操作した。
信号が青に変わると、車はT字路を左折してから路肩に停まった。車の窓の向こうには、広い空と広い海が広がっていた。
海は夕焼けのような空を反射して少し赤く見えた。白い波がキラキラと光っている。
「降りましょう」
テルルはそう言って立ち上がった。そして車内トイレの後ろの縦長の扉を開けた。存在感の無い扉で、それまで気が付かなかった。
扉から車を一歩出ると、潮の匂いがした。
海沿いの道は、遠くまで少しカーブしながら続いていた。道路わきに1メートルほどの高さのコンクリートの壁があって、それが海との境界線だった。壁の向こうを覗くと高さ2メートルほど。その下に砂浜があった。
砂浜には海からの波が、穏やかに寄せては返していた。
「地球の海とぜんぜん変わらないんだな」
海の向こうに島影のようなものが何個か見えた。そして空には月が2つ見えた。
「右の三日月のがニオン、近いから大きいわね。左の半月がナーヌ」
「こんなに大きく見えるのか」
「近づいたり遠ざかったり、大きくなったり小さくなったり。そこは地球の月とは違うわね」テルルの赤い長い髪が風に大きく乱され、空中に踊っている。
「海は同じなのにな」波の音を風が運んでいくのが見えるような気がする。
「たぶん、地球の海よりも穏やかよ」テルルが赤い髪を手で押さえながら言った。「風は地球のほうが強いと思うわ。だって、クルクル回ってるんだもの」
「この海は、荒れたりしないのか?」今は風も弱く、海は凪いでいる。
「嵐はあるけど、プロメのときぐらいね」
「プロメ?」
「惑星がほぼ一直線になるときがあるの。その時に潮汐力がすごく強くなるのね」
「満ち潮、大潮ってことか?」
「そんなものね、そして大気の気圧も大きく変動して、風もすごく強くなる」
「台風みたいに?」
「災害も起こったりするけど、たまにだし、時期も決まってるから」
「どのくらいの頻度で起こるんだ?」
「地球の感覚で言えば、1年に1回って感じなのかしらね」
「嵐は1年に1回ってことか」
「大きなのはね」
「地球よりも穏やかだな」
「そうでしょ」
道路の反対側、陸側に目をやると、森に違和感があった。よく見ると四角い建物を植物が覆い隠していた。
「何かある」俺はテルルに言った。
「それね、昔は海沿いにも住んでる人がいて、漁師町があって、魚を捕ってたの」
「なぜ今はいないんだ?」
「昔は私たちも、地球みたいに海水浴したりして、海岸沿いには店もいっぱい並んでいたの」
「なぜこうなった?」
「話せば長いけど、そのうち話すけど、簡単に言うと、動物愛護ね」
「は?」ここに来てから魚料理食べた気がするが。
「話せば長いのよ」
テルルはまた海のほうを向いてしまった。今はこれ以上は話したくないらしい。
「それで、これからどうするんだ?」
「なるべく海沿いを走って、友達のところまで行く予定」
「友達はこの海沿いに住んでるのか?」
「うーん、あなたをあまり見られたくないのよ。他の誰かに」テルルは少し言いにくそうに言った。「いろいろとややこしくなる可能性があるかもしれないから」
「ややこしくなったらどうなるんだ?」
「わからない」
「命を狙われたり、ムショに入れられたり、実験室で解剖されたりするのはゴメンだぞ」
「どうなるのかしらね」
「どうなるのかしらって・・・」
「ねえ、そんなことより」テルルがテンション高めに言った。「シャワーあびたいでしょ?」
「シャワー?」
「海沿いには海水浴客のためのシャワールームがあるの。無料で使えるやつがね」
「本当にここは他の惑星かよ」
「今はもう海水浴客はいないけど、施設は残ってるわ。壊れていなければ、水は出るはず」テルルは言った。「それに」
「それに?」
「向こうから何か来るでしょ」
海岸沿いの道路の向こうから黄色い車が走ってくるのが見える。アームのようなものが上に3本伸びていて、車体の下はスカートをはいているように地面に接地している。
「あれは海岸沿いの自動清掃車なの」テルルは指さして言った。
「海岸の道路も、道路脇の公共の施設も、あのロボットが掃除してくれるの」
「シャワールームはキレイに掃除されてるってことか?」
「その通りよ!」




