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カルタータ  作者: 希矢
第五章 『魔術師は信頼に足るか』
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その82 『(番外)空の大蛇(レンド編9)』

 「ここから、イズミヤ空域に入ることになるからな」

 レンドは今、アグルとともに見張り台へと立っている。地平を見やれば、宵闇が残された暁の色を押しつぶさんとしているところだ。一通り説明して回ったことで、すっかり暗くなってしまったようだ。

 だが、様子が見えないこともない。レンドが見張り台へと登ったのには、理由がある。これから入ることになる空域をその目で見せたいからだ。

「雲が分厚いですね」

 この時間帯でもよくわかる、闇を吸った大雲が空域から唸り声をあげて、溢れ出ようとしていた。

「この雲から魔物を遠ざけるんですよね」

 この中に入ってしまったら空を探すのも大変になると考えたのだろう。レンドはアグルの気持ちを推察して、先回りした。

「この雲は分厚いが、同時に流れが早いだろ」

 とめどなく溢れる雲の流れは、まるで嵐の中にいるかのようだ。

「風が一定の方向に空域の外へと押し出すように、流れ続けているからだ。逆に言えば、このイズミヤ空域の中央は驚くほど雲がない」

 最もそこまで到達するのに、最短でも二日間はかかる。魔物との闘いは長期戦になるだろう。

「……それはつまり、風に逆らっていけば必ず中央に出られるということですか」

 察したらしいアグルからそう問われる。

「その通りだ。だから、この雲の中でも迷うことはない」

 雲の中に入ると、あまりにも視界が悪いために肉眼だけで状況を捉えきることができなくなる。だから、風の流れを読むことで方角を知ることは、必ず役に立つ。そして、この光景をその場で見せない限り、口頭で説明しても中々伝わらないものなのだ。

「レンドさんは……、すごく考えてくれているんですね」

 何かを察したように、アグルからそう言われた。

「どうした、急に」

「いえ、今日の説明とか前の練習で手伝ってくださったときとかを思い返すと、違うなぁと思わされまして」

「違う……?」

 アグルの比較対象というと、ヘキサのことだろうかと首を捻る。

「なんだろう、ただ伝えるんじゃなくて実際に体験させて身をもって知ってもらおうとしているというか。そういうのってよく考えていないとできないことだと思うんです」

 アグルが褒めようとしてくれているのだということは伝わった。そういうことを恥ずかしげもなく告げるアグルが、レンドとしては眩しく映る。

「そうか? 買いかぶりすぎだろ」

 全くやりづらいものだ。何もわからず、がむしゃらに言うことを聞く生徒の方がずっと楽だった。

「では、そういうことにしておきます」

 アグルの態度に、馬鹿ではないのだなとレンドは気づく。なんとなく面白くないが、これからのことを思えば今日ぐらい自由にさせてもよい気はした。

 何せ、明日にはこの空域に飛び込むのだ。





「ブリッジより連絡! 方角がわからない! 教えてくれ!」

 通信機の声は、見張り台にいるアグルに宛てたものだ。甲板にいるレンドにも、アグルの叫ぶ声が通信機を通して聞こえてくる。手すりにしがみつきながらの叫びなのだろうということが、声とともに聞こえる轟々と唸る風の音から察せられる。

「中心は、船頭より十四時の方角です!」

「きゃっ!」

 そのアグルの叫び声が、近くにいたシリエの悲鳴にかき消される。

 見やれば、甲板の前方でシリエが風の流れに耐えられずに飛ばされそうになっていた。寸前のところで、ジュディバが引き寄せている。

 そのすぐ先で、黒い鳥のような魔物が暗雲の合間からちらりと見えた。大きさはレンドの手より小さい。だが、その魔物の嘴は、噛まれたら最後指を数本食いちぎりかねないということを経験から知っている。

 レンドはその魔物が一直線に駆け込んでくるのを見据えた。魔物の立ち位置は船の速度に一時負けて、後方にある。そこから風に立ち向かって飛んでくる魔物の軌道は、はっきり言って分かりやすい。風が強すぎる影響は、魔物にもあるのだ。だから、シリエへと狙いを定めた魔物の動きを一足先に読んで、斬りつける。避けきれない魔物は、風の勢いもあって、まるでバターのように千切れ飛んだ。魔物の悲鳴が風に呑まれ、途中で消えていく。

「おっとっ!」

 斬った勢いで疎かになったレンドの身体は、乱気流に飛ばされそうになる。辛うじて伸ばした手は、マストを掴んだ。強引にしがみつくことで耐えきる。


 雲が、風が、レンドたちを呑み込んでいる。

 まるで大嵐の中を突っ切っているかのようだ。実際にはこれは天候の乱れではなく、イズミヤ空域を渡る者全てに等しく襲い掛かる光景だ。一部の商人たちは、このルートがシェパングとイクシウスを繋ぐ最短ということで、頻繁に利用している。操船技術が必要なものの、レンドたちと目的が違い甲板に出ることがないので魔物の被害を受けづらいというのもあるのだろう。当然商船ならば、魔物避けも取り付けているというのもある。

「方角の件、了解だ」

「主船より連絡。残骸に気をつけろと」

 通信機から二つの声が返る。ユースとユアンのものだ。

「え、残骸って……?」

 シリエの疑問の答えはすぐに明らかになる。前方に、レンドの身長の二倍はある鉄板が見えたのだ。

 僅かに湾曲を帯びたそれは、シリエたちに迫ってくる。

「屈め!」

 寸前だった。レンドは、シリエを引き寄せたままだったジュディバとイグナが大砲の真下へと屈みこむのを捉えた。シリエは反応できていないのか、訳も分からずジュディバに抑えられる形になっている。

 その三人のすぐ上を鉄板が通過していく。そして、それはすぐにマストにしがみついたままだったレンドの真横を通っていった。

「シリエちゃん、怪我はない?」

「は、はい。ジュディバさんこそ、大丈夫ですか」

 二人の声からも、怪我はなさそうだと察する。レンドは続いてやってきた、無数の鉄くずに声を張り上げた。

「全員、そのまま暫く屈んでろ! アグル、生きているな?」

「は、はい! こっちは無事です!」

 アグルに確認すると、すぐに声が返ってくる。その間にも、鉄板の一部だと思われる部品がレンドたちのすぐ上を、あるいは船の下を通っていった。

 あれは、恐らく商船の残骸だ。レンドは思いつく可能性をあげた。想像でしかないが、船に積まれた飛行石の周りにあった残骸が、その力の恩恵を受けて浮いているのだ。だが、日の光に直接照らされた飛行石には寿命が存在する。つまり、今浮いている残骸は、『新しい』のだ。このところ誰も近寄らなかった空域で見つかった残骸。正体は一つしかない。

「どうも例の商船のもののようだな」

 残骸があらかたなくなった後で、イグナがそう呟いた。

「そんなっ」

 シリエが驚いた声をあげている。

 商船の商人たちは、今頃魔物の腹の中か或いは奈落の海に堕ちたのだ。その事実を察したのだと思われた。

 レンドとしては、この結果が良いのか悪いのか判断に苦しむところだ。だが、一つだけ確実なことがある。

「この船が新しいっていうのならば、この船をこんな風にした奴も近くにいるってことだ」

 レンドの言葉は通信機には乗せていない。だからきっと、レンドのこの言葉を直接聞いた者はいない。

 しかし、皆が皆同じことを考えていたようだ。レンドの言葉がまるで聞こえていたかのように、荒れ狂う風の中を見回し始める。

 あるのは、雲の層。時折その雲に呑まれて、まるで霧に包まれたように辺りが真っ白い闇に覆われる。しっとりと冷たい空気が、着ていた上着を濡らした。

 そして、その雲と雲の狭間に、何かが光った。

「何かいます!」

 先行している船の可能性もあった。或いはレンドたちより後に来た船が、レンドたちを追い越した可能性もある。最も仲間同士の衝突を防ぐために、それぞれ別の場所から入りこんでいる。よほどおかしな方向に進まない限りは、こうして出くわすことはないだろう。

「シェイクス船より連絡だ!」

 通信機から音が漏れる。それを塞ぎたくなった。

 何故なら、レンドたちはもう見てしまったからだ。空という名に相応しい、青々とした鱗を。それを覆う長い毛は、さながら鳥の尾のように美しく、もはや蛇という域を超えていた。

 長い尾が、確かに全員の前に姿を現し、そして再び雲の中へと溶け込む。

「『空の大蛇(スカイサーペント)』を発見! 現在、奴に追われている!」

 そして、その尾を、レンドたちの船は追いかけているのだ。


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