その75 『(番外)死神に見初められた少年(レンド編2)』
扉を叩く音がした。
「ああ、入れ」
場所は同じ訓練室。時間は夜の九時を回っている。本来なら当直のない者以外は休憩の時間帯だ。
「失礼します」
入ってきたのはあの金髪の少年、アグル・イーゼルトだ。改めてみると、ずいぶん華奢な体をしている。その腰には既にナイフがぶら下がっていた。ナイフは『スナメリ』の船員全員に支給されることにはなっているが、どうやらもう新入りたちにも支給されたようだとレンドは考える。
それにしても、アグルからはぼろぼろで汚らしい感じは受けない。孤児院出ではないのだろう。レイヴァスト島はイクシウスの中でも確か、ニデルビア家が統治を任せられていたはずだ。あの領主は民に絶大な支持を受けていた記憶がある。そのため、民の生活もある程度豊かであったことが察せられた。推測だが、アグルもその恩恵を受けた口なのだろう。
「わざわざ休憩中に呼び立てて悪いな」
「い、いえ、とんでもありません」
こうして受け答えをしているのを見る限り、普通の少年だ。レンドは早速本題に入る。
「実は、書類を見ていて気になることがあって呼ばせてもらった」
書類といって、アグルの顔写真の載ったそれを見せてやる。本人の情報が書き連なっているそれは、興味を引くようだ。アグルの視線は、その書類に移っている。
「見ての通り、志望理由が空白でな。愚かな担当者が書き忘れたのかどうなのか、聞いてみようと思ったわけだ」
そこまで言わせれば何か答えるのが道理だと思うわけなのだが、アグルはただ黙って聞いているだけだ。察しは悪いらしいと思って、根気強く尋ねてやる。
「どうしてこのギルドを希望したんだ」
レンドはここで志望理由が空白な理由を知った。
「理由は、特にありません」
「は?」
つい、ふざけているのかと声をあげそうになった。
「ただ、どこかのギルドに入りたかっただけです」
「それなら、何故うちを受けにきたんだ」
至極あっさりとアグルは答えた。
「募集していたからです」
随分とらえどころのないガキだと、レンドは心のなかで唸る。最近の若者はよく分からない。
レンドは質問を変えることにした。
「ナイフを持ったことはあったのか」
「一度だけ。武器として扱ったのはここにきて初めてです」
ひゅうっと口笛を鳴らしたくなる。それであれとは大した才能だ。
「お前の戦いかたを見せてもらったんだが」
レンドは先ほどの様子と照らし合わせて聞いた。あの戦い方に、今の、実のない志望理由。思い付く共通点が一つだけあったのだ。
「お前、死ぬことが怖くないのか」
返ってきた答えは恐ろしいほどに明瞭だった。
「はい」
十五歳の子供の言葉には思えなかった。
今度のレンドはバーカウンターにいる。今の時間ならちょうどあの男がいるはずだった。
席につき、水を注文する。すぐにカウンターからグラスが差し出された。その水を呷るように飲み、つい感想を漏らす。
「ぬるっ」
「相変わらず文句が多いな」
感想に茶々を入れられたことで、目的の男が来たと気付いた。赤銅色の帽子をかぶったタキシード姿の男だ。齢は五十一。そろそろ引退したいと会うたびに零す、常日頃からうるさい男だ。そう言い続けて早数年は経過しているので、今では誰もまともに取り合わない。だが、その腕には期待できる。いつもタキシードの裏側にナイフをびっしりと詰めているだけはあって、一日で二十体以上の魔物を狩り取ったこともあるという。そして、この男はアグルを入れた試験官でもあった。
「いいだろ。むしろ仕事熱心な俺を誉めろよ」
それで男、ユアンは、自分が待ち構えられていたことに気づいたのだろう。露骨に嫌な顔をされた。
「そんな顔するなよ。一つ聞きたいだけだ」
レンドはウォッカを注文してやる。『スナメリ』のバーカウンターでは水や食料は無償提供だが、酒だけは別に払う必要がある。そうでもしなくては無遠慮に飲みだす輩が後をたたないからだ。
レンドがテーブルの上に置いたコインを見て、ただ働きでないと気づいたらしい。ユアンは文句を言わずに隣に座った。つくづく現金な奴だ。
「アグルという少年を採用しただろ? 理由を聞きたい」
酒の価値に見合わないと思ったのか、ユアンは拍子抜けした顔をする。
「なんだそんなことか。簡単なことさ」
ユアンはそう言って、ウォッカを豪快に呷った。
「あいつは死に場所を求めていたからだ」
その答えに、レンドはユアンがアグルに自分と同じものを見たのだと気がついた。
別に驚いた顔をしていたわけでもないのに、早くも鼻まで真っ赤に染めたユアンに続けられる。
「そんな驚くことか? 今回で新人何人入れたと思っている。あんなんで大規模討伐なぞやってみろ。絶対死人が出るぞ」
ユアンの指摘は的を得ている。そして、公式に通知が出回っていない以上、ユアンは大規模討伐のことを知らないはずだ。三週間後のことを知ったらさすがのユアンも逃げ出すかもしれないと思った。
「だから俺はあえて死人役を選んだんだ」
ぞっとするほど淡白に言ってのけるユアンに、レンドは口を開いていた。
「死人役だ?」
「そうさ、死にたがりなのはすぐにぴんときた。試しに、あいつの面接中にナイフを投げつけてやったんだ」
無茶苦茶なことをする試験官にレンドは呆れた。その様子には気づかないユアンが、自慢げに話を続ける。
「するとどうなったと思う?」
聞きたいだろうと言わんばかりに、殆ど空になったグラスをベルのように揺すってみせる。
「さっさと言え」
付き合っていられずに、レンドは急かした。酒臭くて堪らないのである。
「あいつはな、すぐ隣をナイフが飛んでいったってのにまばたき一つしやしないんだよ」
気を悪くしたのか、ユアンが事実だけを淡々と述べた。それから当時の様子を思い出したのか、上機嫌に自分を持ち上げて見せる。
「あいつがいればいざというとき役に立つ。大した人選をする試験官だろ?」
死神に見初められた少年に、少し同情した。




