その73 『その目にも涙』
「さて、そろそろ他の連中が待ちきれなくなる頃だろう」
レヴァスがそう言って医務室の扉を開けた。急だったからだろう、扉に張り付いていたらしい船員たちが雪崩を起こして倒れこんでくる。レンドにシェル、ジェイク。見知らぬ顔もいた。
「……騒がしくはしていなかったが、いつまで張り付いているんだと言いたくなったね」
惨状に目を丸くしているイユたちに、一番下で潰されているレンドが拳を振り上げた。
「うるせぇ! そう思っているなら現状を教えろ!」
「現状、現状か……」
レヴァスはアグルが眠っているベッドに近づくと、彼に被さっていた毛布をとった。アグルの足まできていたはずの石化がなくなっている。
「効果は大ありだ。そこの魔術師に感謝するがいいさ」
それを聞いて、船員たちが、
「よっしゃあ!」
と声を上げる。あまりの騒がしさにレヴァスが眉を吊り上げるが、気づいていない。
イユもほっとした。これでアグルが死んだら報われなさすぎて泣けてくるところだ。
「あ、あら……?」
気づくと、駆け込んできたシェルに手を握られていた。
「ねぇちゃん、ありがとな! あいつまで死んじまったらどうしようかと思ったぜい」
嬉しさのあまりにか、ぶんぶんと手を上下に振られる。慌てて痛覚を鈍くしたほどだ。それから遅れてシェルの言葉に気づいた。
「アグル『まで』?」
「前はレイファとマシルだったし、その前も……。皆、いなくなっちまって、さ……」
それで、気づいた。レパードは以前安全なところなど知らないといった。それは、セーレにいる人間は常に危険と隣り合わせだということだ。今回の魔物ももちろん、以前は暗殺者の女、それにイクシウスの白船に襲われたこともある。幾ら仲間を大事にするセーレにいたとしても、運がなければ死ぬのだ。
「だから、ありがとな! イユのねぇちゃん!」
シェルの、屈託のない笑みが眩しい。それ故に、イユの胸中は複雑だ。
「でも、私は……」
元々はアグルのことなどどうでもよかった。そう思っていた自分がいたからこそ、笑みを向けられる立場にはいない気がしてしまう。
「ん?」
しかし、無邪気な顔で首を傾げられてしまうと、返答に詰まる。
「……あんまり役には立っていないわよ?」
代わりに思いついたことを述べると、シェルに不思議そうな顔をされる。
「そうなのか」
「多分」
ぱっと手を放された。
「なぁーんだ。じゃあ、お礼を言うのは別の奴だな」
「ちょっと! それはそれでムカつく態度だわ」
思いっきり声を上げると、続いてやってきたジェイクに宥め始められる。
「まあまあまあ……、抑えて抑えてイユの姉貴」
「誰が姉貴よ」
知らない間に余計な渾名を付けられている。それについて早速文句を言ったのだが、素知らぬ振りをしたジェイクはイユから数歩離れた位置にいる。骨折しているせいで、これでは殴ることもできない。ちゃっかりしているジェイクを、睨みつけるのがせいぜいだ。
「シェルはわかっていないな。それは謙遜って言うんだ、謙遜って。本気で役に立ってないわけじゃねぇよ」
シェルは既にリュイスに握手しに行っていた。イユだけではない。リュイスやレパード、刹那の周りにも人がいて、いつの間にか船員たちが順番に怪我人を回っていることに気づく。
リュイスから双眼鏡を返してもらったシェルは、振り返って、にかっと笑った。
「冗談だよ、冗談! わかっているって!」
悔しいとはこのことだ。言いたい放題言われる現状を握り潰したくなった。代わりに八つ当たりのように毛布を握りしめる。
「イユ!」
声に振り返ると、今度はリーサがやってきた。
「足を骨折したって聞いたけれど、大丈夫?」
リーサに至っては、本当に心配そうにしている。何だか、それを見てほっとしてしまった。
「平気よ。半日もあれば治るわ」
「そういう問題ではないわよ」
むくれた顔をされる。
「治るからどんな怪我をしてもよいって思っていたら、怒るからね?」
注意されているはずなのだが、イユには何故かリーサが可愛らしく感じる。ふっと笑いかけてから、リーサの後ろに黒髪の少年がいることに気がついた。
イユの視線に気づいたのだろう、少年は鼻を鳴らして去っていく。
「……イユ、聞いているの?」
「え、えぇ」
「……本当に?」
尚も食い下がるリーサをどうにか宥めて返すと、今度はレンドがやってくる。レンドは何やらばつが悪そうな顔をしている。
「どうしたの?」
聞いてやったが、
「いや、その……」
と言い淀んでいる。
「骨折したんだってな」
そのうえ、今更な確認をされた。
「半日で治すから平気よ」
「痛みは感じるんだろ?」
イユは首を横に振る。
「痛みも鈍らせるから何ともないわ」
「それは、便利で片付けて良いのか分からねぇが……」
尚も、レンドの歯切れが悪い。段々とイライラしてきて、イユから聞いた。
「言いたいことは何? 治ったらセーレから出ていけって?」
レンドは、
「そうは言ってねぇ!」
とすぐに否定を入れる。
「……お前は、まだセーレにいたいのか?」
それから、確認された。
「そうよ」
イユの返答は、はっきりしている。
「なんでだ? また今回みたいな魔物に襲われるかもしれねぇぜ?」
「言ってなかったかしら。セーレには、初めて人らしい生活をさせてもらったからよ」
途端に、レンドの顔が怪訝なものに変わる。
「は? なんだよ、それは」
確かに意味の分からない理由かもしれない。異能者でない普通の人間にとって、人らしい生活などどこにいっても送れるのだろうから、考えも至らないのではなかろうかと、推測する。
「だから、またセーレにいたいと、恋しいとそう思ったの」
「つまり、最低限の生活が保障されれば良いのか?」
レンドに問われて、イユは悩んだ。
「多分、違うわ」
ただ、生活があるだけでは、セーレに拘る必要はない。イユがセーレを離れたくないのは、それだけではない。
「私は、リーサと一緒にいたいとも思っているもの。生活だけじゃなくて、友達と一緒にいたいんだわ」
だから、リーサと仲違いしたと思ったとき、苦しかったのだと今更ながらに意識する。セーレには変わらずいたいと思っていたが、理由の半分が消えてしまったから、絶望的になっていた。
「アグルを助けてくれたことは感謝している。けどよ」
ここまで質問を重ねたことで、ようやく言いたいことが決まったらしい。あくまでイユのことを直視せず、どこか横目に見ながら、レンドの言葉が続く。
「俺は、お前がセーレに乗るのに賛同したわけじゃねぇからな。お前はイクシウスの息が掛かっている可能性のある異能者だ。危険なことには変わりねぇ」
確かにその事実は揺るがない。
「つまり、インセートで船を下りるつもりなのね」
確認すると、レンドは意外にも否定した。
「そうは言ってねぇ」
何が言いたいのかよくわからない。果たしてレンド本人にも言いたいことがわかっているのだろうかと、疑問に思う。
「賛同はしていないけれど、船は下りない?」
「あぁ」
イユはたまらず噴き出した。
「笑うなよ!」
そうは言われても、笑うのはやめられない。イユ自身が危険だから船を下りると言っていたはずなのに、かたや船を下りないと言い出すなど、矛盾している。
「いいか?」
とレンドはわざわざイユに確認をとってから、叩きつけるように宣言する。
「俺はまだお前を信用していない! かといって船を下りるつもりもない。お前が裏切らないか見張ってやる! だから、もう、笑うなっ!」
笑いを止めるのが、中々大変だった。それに、正直に言うと、それは純粋に信頼されるよりも嬉しい言葉だった。何故なら、イユ自身も信じていないからだ。暗示の可能性を示唆されたときイユは自分が信じられなくなってしまった。だから、誰かにイユのことを信じられるのは逆に恐ろしくてたまらなかった。
「そうしてくれると助かるわ」
イユの答えに、レンドは驚いた顔をした。
「お前、俺をたぶらかしているのか?」
「まさか。思ったことを言っただけよ。見張ってくれたら、嬉しいわ」
レンドから見ると、イユはレンドの照れ隠しに乗ったみたいに思えたらしい。面白くなさそうな顔をされる。
「まぁ、とにかく怪我を治せよ」
などと言いながら、レンドが医務室を出ていく。
イユの周りに誰もいなくなったところで、
「……どうやら魔術師さんはあれで可愛いところがあったらしい」
というレヴァスの声がした。振り返り、イユは目を丸くする。あり得ない光景を見た気がした。周りの船員に囲まれるブライト。そのブライトがまさか……。
「まさか、ブライトが、泣いているの?」
驚きを言葉にする。
ブライトの近くにいたリーサが、動揺した顔をみせている。
「わ、私……、何か気に障ることを言った?」
リーサに、ブライトが否定をいれる。
「ち、違うよ! ただ、あたし、魔術師なのに……」
ブライトが、項垂れながらも、ぽつりぽつりと続ける。
「疎まれているし、疎まれて当然だと思っていたのに、皆が『ありがとう』っていうから……。殺されることはあってもそんなこと言われるなんて、思っていなくて……」
意外だった。同時に、これは確かに気が張っていたのだとも思った。魔術師も人の子ということなのだろうかと、不思議に感じる。底抜けに明るく振舞っているようにみえた。強力な魔術で誰にも倒せないロック鳥を見事倒してみせた。にも関わらず、むせび泣く姿が、強烈にイユの心を揺さぶる。
近くにいたシェルが、
「アグルを助けたことをありがとうっていうのは別に普通だろ?」
と不思議そうな顔で言って、ブライトがさらにしゃくりをあげていた。
「……意外といい奴なのかもな」
ジェイクの呟きが背後で聞こえた。振り返ると、いつの間にかジェイクと共に、ミンドールもいた。ジェイクの言葉に答えている。
「根っからの悪人は世の中にそうそういないさ」
心のなかで、まだ警鐘が鳴る。
その考えは、ミンドールが優しいから出てくるものだ。イユにはどうしても異能者施設の記憶が頭を過ぎる。そこでの魔術師たちの行いと、そこで踏みにじられてきた異能者たちの嘆きが、心に染み付いて離れない。
だから正直に言うと、あそこにいた魔術師たちと同じだというブライトが怖くて仕方がなかった。
けれど、今のブライトを見ても、怖さを感じない。ただ泣いているだけの、自分たちと同じ存在がそこにいるだけだ。そう感じるのが、不思議だった。
アグルが目を覚ましたのはそれから一日が過ぎた夜だった。目を覚ましたときにいたのはイユとレヴァスとブライトの三人だ。打ち身と打撲ですんだリュイスと無傷の刹那は既に医務室から出ており、肩を痛めたレパードは仕事があるからと通院ならぬ通室という形でレヴァスの許可を得て出ている。代わりに半日で治すと息巻いていたイユだが、無理をしていると思われベッドに括りつけられてしまっている。ブライトも念のためということで療養中だった。
「アグル、僕がわかるか」
レヴァスの問いかけにアグルの焦点が合ってくる。
「っレンドは!」
唐突に飛び上がったところで、痛みが突き抜けたらしい。アグルが呻く。
「……なんかあたしと同じような反応」
レヴァスは、
「これだからセーレに関わった連中は」
とこめかみに手をあてた。
「君は石化だけでなく腹も割かれたんだから、少しは落ち着いて行動したまえ」
言われたアグルが誰よりも真っ青な顔をした。
「え? え? ……ここは、医務室ですよね?」
アグルは一通り動揺した後、一番確実と思われる場所の情報を拾い上げて確認をとる。
レヴァスの説明を聞きながらも、まだ理解が及ばないらしく、暫く茫然としていた。
「……つまり、他の皆は無事で、自分が一番まずかったということですか?」
アグルの思考が追いついたようで、初めてイユとブライトに視線を向ける。その目には恐怖が浮かんだままだった。
イユは人知れず吐息をつく。本人の意識のない間に助けられたのだから、イユのことをまだ怖いと思っているのは当然ではある。
「……ということで、あたしたち三人は入院生活を送らないといけないんだよ」
「えっと、自分を助けようとしてそうなったってことですよね」
「えぇ、そうよ。もう動けるのに縛り付けられて良い迷惑よ」
と言うと、さすがに悪いと思ったのか、アグルがしゅんとなる。
「何かその……、すみませんでした」
そこに、ブライトが、
「違う違う」
と断りを入れる。
「そこはすみませんじゃなくて……」
にかっと笑ってみせた。
イユには誰の受け売りか想像がついている。
「『ありがとう』でしょ?」
全く、随分調子のよい魔術師もいたものだ。イユの中でブライトは怖い魔術師から普通の存在に、加えてお調子者へと書き変わった。




