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カルタータ  作者: 希矢
第四章 『コノ素晴ラシイ出会イニ感謝ヲ』
53/989

その53 『切り札(終)』

 航海室(ブリッジ)を訪れたのは、イユも初めてだ。

 まず視界に入ったのは、部屋の中央に立つ黒髪の男の姿だ。体格が良いせいか、群青色の服がとても大きく見える。その背に描かれた錨が、航海室の中心で映えている。

「よぅ、もう暫くお願いできるか」

 クロヒゲは航海室に戻ったばかりのようで、黒髪の男を見上げてそう声を掛けているところだ。

 船長相手でないためか、少し上から目線の口調である。ひょっとすると、船員の中では上の立場にあるのかもしれない。

「えぇ、お安いご用で」

 そう頷き前へと向き直る男の視界の先には、大きなガラス張りの空間がある。あまりにも眩しく広々としているせいで、直ぐにはそれが窓だと気づかなかった。目を凝らせば白い太陽の光の先に青空が広がっている。マストの一部も下方に映り込んでいた。

 男のすぐ上には、モニタが二台ぶら下がっている。そこにもやや薄暗くなった青空が映し出されている。

 男はそれら三点を指で指し示してから、何かを動かす。がたがたと動く音とともに、遅れて船体がなだらかにカーブを描いていく。男の背中に隠れて見えないが、舵を動かしているのだろう。

「どうせなら客人に楽しんでもら……」

「普通にしろ」

 黒髪の男の発言を、クロヒゲが遮る。そのままクロヒゲは近くにあった階段を下りていく。数段下りた先には木のテーブルと椅子が用意されている。ただ、椅子は二脚しかない。

 茶髪の、どこか冴えない男が、椅子を両手に抱えて運んでくる。数が足りないことに気がついて、壁に寄せてあった予備の椅子をとってきたところのようだ。

「僕はこれで失礼します」

 予備の椅子があっても不足するからか、それとも何かあったのか、リュイスがそう告げて一礼する。

「どこにいくの」

 不思議そうに問いかけるブライトには、

「仕事だ」

 とレパードが代わりに答えた。

 リュイスが踵を返して出ていくのを眺めていると、

「お前らはこっちだ」

 とレパードに声を掛けられる。

 振り返ると、いつの間にかレパードが椅子に座っており、手招きしていた。

 招かれるまま、イユも隣へ座る。

 ブライトもイユとは向かい合わせになる形で、椅子に座る。刹那はブライトの座る椅子の前で屈み込み、ブライトの足の治療に専念しだした。

 クロヒゲは、どこからか持ってきた地図をテーブルに広げる。イユが以前見た地図とは別のものだ。イクシウスには疎いと言っていたはずなので、今回新しく調達したばかりの地図かもしれない。

「状況は」

 レパードがクロヒゲに尋ねる。

「幸い、追手はまだかかっていないようでやす。ただ、時間の問題でやすね」

 クロヒゲの答えにほっとする。甲板での会話から既に追手を差し向けられているものと思い込んでいたからだ。正確にはこれからやってくる追手からどう逃げ切るかが話の焦点になるのだろう。

「現在地は、ここになりやす」

 クロヒゲの示した場所は塔の絵から僅かに離れた地点だった。この塔の絵は、ダンタリオンのことだろう。

「当初の目的どおり、インセートへと向かって走っとりやすが」

 クロヒゲの指は、目的地に向かってなぞられていく。いくつもの島を通り過ぎた先にそれは記されていた。

「イニシアからの応援でやってくるイクシウスの戦艦は、ここ。あと、そこの補給地点に三隻。多分、このルートを通ってやってくるよ」

 ブライトがすぐ近くの島、そしてその僅か先にある空を指し、そこから現在地、そしてインセートの近くまで指でなぞる。

 気を利かせた茶髪の男が、赤く細い紐を地図の上に置いた。ブライトの指し示したルートが、一本の線になって地図に浮かんでいる。

「どうしてわかる?」

 レパードの問いかけに、ブライトが情報源について打ち明ける。

「わかるというか……、シェイレスタの情報局を使って、とってきた情報だよ。言っておくけど、うちのはかなり正確だから」

 自信のある言い方だが、完全に信じてよいかは怪しいところだ。何より、ブライトの話を鵜呑みにする気になれない。魔術書の件も追求し切れていないのだから、当然するべき警戒だろう。


 とはいえ何も持っていないイユたちからすると、情報は情報だ。

「それがあっているとすると、不味いな」

「はい。ここから連絡を受けた戦艦が飛んでくるとすると、十分もあれば追いつかれますぜ」

 レパードとクロヒゲの会話に、イユは思わずむせそうになった。確かに浮かんだ赤い線に向かって、セーレは突き進もうとしている。

「どこか隠れ込めそうな場所はないのか」

「寄るなら、ここかしら……」

 分からないなりに、地図にある小さな島へと指を添える。戦艦がくると言っていた場所とは真逆の方向だ。インセートからは遠くなるが、仕方ないだろう。

「そこは、多分イニシアの戦艦が探しにくるんじゃないかなぁ」

 ブライトの指摘に唸る。確かにイニシアとの距離が近いので、捜索されそうだ。

 ちなみにブライトの話では、イクシウス政府とは別にイニシアもイニシアで戦艦を所持しているという。何が違うかといえば、管轄の違いらしい。前者は国で、後者が地方を任された魔術師ということだ。

「でも、遠い場所まで逃げられる余裕、ない?」

 刹那も包帯を巻きながら意見を述べる。少なくともこのままインセートに向かって走っているだけでは、追手に追いつかれてしまうだろう。インセートでないどこか遠くの他の場所に向かおうとしても同じことだ。

「……弱ったなぁ」

 レパードが悩んだような声を出す。クロヒゲや茶髪の男も一様に困った顔をしている。

「霧に紛れたらよいと思うよ」

 そこに、ブライトが慎重に切りだした。

「ここからそこまでは朝霧が発生しやすいし、磁場も乱れているから、見つけにくい。代わりに天候も変わりやすいけど」

「霧は必ず発生するとも限らねぇ。とてもじゃねぇけど待っていられやせんぜ」

 ブライトの案を否定したのは、クロヒゲだ。

 しかし、レパードはそれを手で制してみせた。続けろと目でブライトに合図する。

 レパードは、ブライトが航海室に来た時点で、既に案を持ってきていると察しているのだ。

「地図に載っていないような島に潜伏すればいいよ」

 案の定、すらすらとブライトが語る。

「飛行船を隠せる場所があって、戦艦の通るルートから外れているところ。あたしたちは現地人じゃないからまさかそこに隠れるとは思っていないと思うし、霧が発生するまで待てばいい」

「その言い方だと、当然知っているんだな」

 ブライトが頷き、地図のある一点を指す。イニシアとインセートの狭間にそこはあった。少し遠いが、逃げ切れる距離かもしれない。また、先ほどブライトが示した戦艦のルートから逸れている。

「小さいけれど。地図に載らないぐらいだから。ただ、少なくともこの船は着陸できるし、森もあるから資材も用意できる。おまけに森の中にある泉につければ、外から発見されにくいはずだよ」

 と、ブライトは捲し立てるように説明していく。

「随分詳しいのね」

 感想を述べると、

「調べたからね」

 と返される。

「あと、ダンタリオンに行く時に見たし。確実に戦艦が来ないとは言わないけれど割といいポイントだと思うよ」

「この場所まで追手を振り切ることができればの話でしょう」

 浮かんだ疑問を告げたのだが、ブライトはすぐに取り払ってみせた。

「一応、潜り込ませておいた協力者が動いてくれているはずだから、追手が掛かるのは遅れるはずだよ」

「おい、そんな話は聞いてないぞ」

 今までの前提をひっくり返されて、発言したレパードだけでなくイユも戸惑った。すぐにでも追手が掛かると思ったから、こうして頭を捻ってきたというのに、最後の最後でひっくり返してきたわけなのだ。

 しかも、

「別に聞かれてないしね」

 との答えがブライトの口から発せられる。

「そういうところがあるから、いまいち信用に欠けるのよ」

「ん? そうなの?」

 イユの発言にとぼけた回答がある。

 レパードをはじめとする船員たちは、何とも言えない顔を向けていた。イユにもその心情はよく察せられる。


 一言でいうと、気味が悪い。

 わざと必要なことを伝えていないだろうと思われる不気味さがある。

 それにブライトの思い通りに見知らぬ地に誘導されていることは間違いないだろう。百歩譲ってイクシウスの戦艦の話が本当だとしても、そこにシェイレスタの戦艦が待ちかまえている可能性はあった。


 暫くの沈黙の後に、レパードもまた問いかける。

「……信じていいんだよな?」

 尤もな警戒を向けるレパードたちに、

「信じてもらうしかないねぇ」

 ブライトは特に言葉で飾ることなく、ただそう答えた。

 実際問題、気は進まなくともこれしか方法はないのだとイユは結論付ける。イユたちは土地勘もなければイクシウスから逃げるための策もない。

 一方でブライトはそうではない。本人曰く、『調べた』という。イニシアからの脱出は、はじめからブライトの計画のうちにあるのだ。

 だが、ここで結論を出すのはレパードだ。今下手に魔術師の肩を持つと疑われる。


 待っていると、レパードがようやく重い口を開いた。

「仕方ない。この島まで行くぞ」

 クロヒゲは立ち上がり地図を畳み何処かへ行く。恐らくは地図を片付けに行ったのだろう。茶髪の男が走っていくのは、持ち場につくためと思われた。黒髪の男の操舵の音が聞こえ、船ははっきりと目的地を変えて動き出す。

「いやぁ、この船も大した動きをするねぇ。船長は何もしてないのに」

 包帯を巻いてもらいながら、ブライトはどこか上から目線で感想を述べる。尚、レパードはというと、椅子を片隅に寄せに行っている。

「ブライト、終わった。あとは大人しくしていればいい」

「おぉ、ありがと! 知り合いの治癒魔術師並みに良い腕だね」

 ブライトに褒められた刹那は、首を横に振っている。

「殆ど掠り傷だった」

「……いやいや、シェパングならではの魔法石の応用技術に医術まで、感心だよ!」

 意外なところで、刹那が治療の際に使った不思議な光の正体についてわかり、イユは納得した。刹那が魔術師でも異能者でもないのに不思議な力を使えるのは、魔法石のおかげらしい。

「ということは、石さえ貰えれば私でも使えるのね」

 魔法石は誰でも使えるものだったはずだ。イユには異能があるが、いざというときに助かりそうである。

「イユには無理」

 ところが、刹那からばっさりと否定された。

「コツがいるんだってさ?」

 ブライトが向かい側でカラカラと笑っている。テーブルがなければ足を蹴ってやったところだ。


 ふいに刹那が立ち上がった。イユたちのことを見る様子もなくすたすたと歩き始める。

 航海室の扉の向こう側へと消えていく様子を見て、イユは呆然としてしまった。

「忙しいのかな?」

 一言の挨拶もなく去っていかれるとは思わなかった。ブライトの言葉に「はい」とも「いいえ」とも言えずにいると、椅子を戻し終わったレパードがやってくる。

「追手を振り切ったら、お前の処遇について考えるからな」

 レパードの視線の先にいるのは、ブライトだ。

「うーん、やっぱり助けてもらえない?」

 軽い感じで言ってのけるブライトに、

「冗談だろう」

 とレパードは取り合わない。

「魔術師のような信用できない奴を乗せておくつもりはないぞ」

「それは魔術師に対する差別だよ。全員が全員、レパードが思っている人たちじゃないって」

「どうだか」

 イユは思わず口を挟んだ。

「少なくとも、今目の前にいる魔術師が何を考えているかわからないことには助けるも何もないと思うけれど?」

 今こそブライトには、事情を吐いてもらおうと思ったのだ。

「全くだ。どこぞの誰かみたいに、何も明かせませんでは通用しないぞ」

 ところがそこで激しくレパードから嫌味を言われ、思わず唸ってしまう。確かにイユは烙印のことを隠していたが、今ここで持ち出されるとは思わなかった。

「いやいや、むしろ明かし放題だよ。助けてくれるとお得かもよ?」

 しかもブライトは商品でも売り込むような言い方をしてくる。お茶らけた雰囲気しか感じないので、テーブルを蹴り倒してやろうかと考える。ふざけているのだろうが、むしろその態度では疑わしさが増しているのだ。


「それなら聞くが、さっきの魔術書は何だ」

 レパードはようやく、ブライトが後生大事に抱えていた本について言及した。

 口調が明らかに変わったことに気がついたのか、ブライトの目が少しだけレパードを警戒している。

「うーん、あたしみたいな高度な魔術師にしか読み解けないような本かな?」

 レパードが指先で火花を飛ばしてみせたせいか、冗談は完全に通じないと見たようだ。ブライトはレパードのほうにきちんと向き直る。急に殊勝になるので、イユとしてはブライトの態度についていくのが大変だ。

「えっと……、魔術障壁について書かれた本だよ」

 そうして白状したのは、魔術書に書かれていた内容についてだった。

 そこで、何故かレパードがいつになく真剣な目をしたことに気がつく。


「魔術障壁って?」

 ざわつく心に、呑み込めないままの事情。たまらず聞くが、レパードには答える様子がない。かわりに、ブライトから答えがある。

「その名の通り、魔術でできた障壁だよ。大きいものは、都を一つ覆うぐらいになる」

 都を覆う障壁。イユにとっては想像を超えるものだ。

「何よ、障壁って。庭みたいに壁でも作るわけ?」

 問うが、誰も答えてくれなかった。レパードは真剣な目をブライトに向けていて、ブライトもまたレパードに視線を返している。

 自分だけが何も知らないのだと思い知らされる。二人の間の沈黙は、イユには手の届かないところで交渉をしているかのようだ。

 ふいに、ブライトの艶のある赤い唇が動く。次の一言を発するためと分かり、イユの意識がそちらに惹きつけられる。


 そのときだ。タイミングよく、航海室の扉が開いた。


「カルタータ」


 ことんと、何かが落ちる音がした。扉へと振り返ると、リュイスが蒼白な顔をして呆然と立っている。地面に、ペンと羊皮紙が落ちていた。

「リュイス?」

 リュイスは答えない。まるで時間が止まったように固まっている。よくよくみると、それはリュイスだけではなかった。レパードはおろか、地図を片付け終えて戻ろうとしていたクロヒゲさえブライトを見つめて息を止めていた。いつの間にか、操舵の音さえも止まっている。

「なにそれ」

 無知なイユは聞くしかない。ところが、そこでブライトははぐらかしてみせたのだ。


「さぁ、知る人は知っている、いわくつきの言葉じゃないかな」


挿絵(By みてみん)

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