その54 『お前は何を知っている』
『カルタータ』。
場の空気ががらりと変わるほど、大きな意味を持つ言葉だということは、イユにも伝わる。
「その言葉が、一体何だっていうの?」
再度問い詰めるが、ブライトに肩を竦められるだけだった。
けれど確信が持てることは一つだけある。ブライトはこのような反応が返ってくることを予期していて、敢えて口にしたのだ。
思わず、想像してしまう。
ブライトは、わざとセーレに乗り込んできたのだろう。そうして目論見通り、彼らに関わる言葉を告げることで、いつ殺されるともしれない魔術師の立場をひっくり返してみせた。これから何らかの条件を提示し、レパードたちと交渉をするつもりかもしれない。
しかし、リュイスたちがダンタリオンに行くことになった原因はイユにある。全てがブライトの筋書き通りなのだとしたら、イユは異能者施設で彼らを誘い込むよう、暗示を掛けられていた可能性がある。
――――あり得ない。
最悪の想像を、必死に否定する。
ブライトはシェイレスタの魔術師だ。シェイレスタとイクシウスは不仲だというのに、イクシウスの異能者施設にいたイユに暗示を掛ける機会があったとは考えられない。
それにイユは最初一人でダンタリオンに向かおうとしていた。あのときレパードたちが同行すると言い出さない可能性もあった。更に言えば、レパードたちがイニシア行きを選ばない選択肢もあった。だから、ただの考え過ぎのはずだ。
「船長、大変です!」
イユの思考を打ち破ったのは、青年の声だった。
どたばたと駆ける音とともに、青年が航海室に入りこんでくる。まだ呆然としたままだったリュイスを押しのけて、レパードの姿を探し、捉えた。
イユも同時に青年の姿をはっきりと目に入れる。紫の髪の一房を三つ編みにし、白いヘアバンドをしている。耳につけた赤いイヤリングはきらきらと自己主張が激しかった。衣類も全体的に派手なため、すぐに会ったことのある人物だと気がつく。確か、先程甲板でブライトにナイフを向けようとして止められていた。
「ジェイク。悪いが、今は忙しい」
ブライトへの追及が先だというレパードに、ジェイクと呼ばれた青年は気にしなかった。報告という使命に突き動かされるように、声を張り上げる。
「イニシアの港が燃えています!」
一瞬、その場にいた全員の目と目があった。一様に、何を言われているのか分からないという顔をしていた。
ジェイクはそうした様子をみてか、周りを見回して訴えた。船長であるレパードに対してではないからか、言葉遣いを変えている。
「シェルの奴が見つけたんだ。飛行船の一隻が明々と燃えているのを! それが燃え移って大変なことになっているみたいだ」
イユには火事の原因が誰にあるのか分かる気がした。ブライトへと視線を向け、確信に変わる。
「なるほど、これで後には退けなくなったかな」
それはブライトの独り言だったが、航海室にいる全員の耳に届いた。
「港を燃やしたのは、協力者の仕業か」
「港というか、あたしたちが乗ってきた船を燃やしたんだろうね」
レパードの確認に、ブライトはかりかりと自身の頬を引っ掻きながら答えた。
「まぁ、安心してよ」
そうして、静かに断言する。
「残りの飛行石は全てあそこに積んでいたし、追手が多少掛かりにくくなったよ」
自分たちの逃亡のために火事まで起こしてみせたブライトに、イユはどう捉えてよいか分からなかった。
けれどレパードは、ブライトに険しい目を向けることにしたらしい。
「ジェイク、事態は分かった。だが指示は変わらない」
ジェイクに戻るよう伝える間も、ブライトから視線を外そうとしない。
「話を戻すぞ」
そして、すぐにブライトへ質問を開始する。
「お前は何を知っている?」
その一言でレパードの一番の関心は、イニシアの火事よりも『カルタータ』にあるのだと気づかされた。
「全部じゃないよ。調べた分だけ」
レパードがちらりとイユを見、ブライトが軽く頷く。
二人のやりとりに、部外者であるイユの存在を懸念して口にできないと宣言されたかのようで、イユとしては気に入らない。何か言ってやろうと思ったが、寸前のところで口を噤んだ。
イユもまた無理矢理にセーレに乗り込んだ立場であることを思い出したのだ。もし、深入りしたことでレパードの気が変わるようなことがあったら、今度こそ追い出されるかもしれない。その危険は犯したくないと考えたのである。
「こいつの処遇は後だ。どこかに捕えておく」
レパードがブライトを見据えたまま、告げた。ブライトの狙い通り、後回しにするようだ。
「目的地はどうしやす?」
ブライトの話を聞いて行き先を変える気になったのではないのかと、クロヒゲが尋ねた。
「変更するつもりはない。一時身を隠すには有力な場所であるのは変わらない」
恐らく思うところはあるのだろうが、レパードの物言いははっきりしていた。
それを受けて、その場にいる船員たちが頷く。再び動き始めた。
「イユはどうするの」
ブライトの唐突の問いは、レパードに向けてのものだ。けれど、話題に出されたイユは思わず固まる。暗示の問題は解決したとは言えない。このままセーレにいてよいのかと不安に駆られ、レパードを見つめる。
「リュイスに任せてある」
レパードはそう答えると、いまだに呆然としているリュイスへと視線を移す。
「リュイス、お前がブライトも連れていけ。マーサに聞けば部屋を用意してくれるだろ」
レパードは航海室に残って船長の務めを果たすようだ。
リュイスが頷くのを見て、イユは立ち上がった。
航海室を出た途端、ふぅとブライトの溜め息が聞こえた。緊張していたようだ。意外な仕草に面食らっていると、レパードがいないからか、ブライトはすぐに口を開いた。
「リュイス、顔色悪そうだったけれど大丈夫?」
わざとらしさが極まっており、呆れてしまった。リュイスの顔色が悪くなったのは、間違いなく『カルタータ』という言葉を聞いてからだ。
「いえ……、大丈夫です。それよりマーサは食堂にいるはずです。行きましょう」
無理やりなリュイスの話の逸らし方に、ブライトは追及しなかった。代わりに、関心をイユに向け話しかけてくる。
「イユはさ。これからどうするつもり?」
「どうって」
正直、話しかけないで欲しかった。ブライトが発言するたび誰かの気持ちが荒れる気さえしている。
「だってイユ、部外者でしょ?」
考えた途端に、心に波風を立てられ閉口した。
「あー、でもイユのことはリュイスに任されているって言っていたっけ。どうするの?」
ブライトは一人そう結論づけて、リュイスに顔を向けている。気のせいであろうか、さきほどからイユの今後に対して強い関心があるようだ。
「イユさんは部外者じゃないですよ、ブライト。セーレの一員です」
リュイスの言葉に、思わず嬉しくなった。それから呼び方に違和感を抱く。
少しして、思い至った。イユのことはさん付けで呼んでいるが、ブライトのことは呼び捨てにしている。いつからか思い出そうとして、ダンタリオンにいたときの記憶を辿る。ブライトの名前を呼んでいたかは、思い出せなかった。
だが、リュイスの性格上、たとえ魔術師でも出会ったばかりの人を呼び捨てにはしないだろう。恐らくはブライトがリュイスを引っ張ってダンタリオンを抜け出したときに、呼び捨てにするように言ったのだ。
そこまで考えて、二人には会話する時間があったのだと気付く。何を話していたのか気にならないといえば嘘になる。
「ふぅーん。ま、いっか。でもね」
けれど、イユがそのことを尋ねる前に、ブライトはイユの顔を覗き込んでこう提案してきた。
「……なんなら、うちにきてもいいよ?」
考えていた質問など頭から吹き飛んだ。何を言われたのか分からず、返答に詰まる。
「うち……?」
「うん、シェイレスタ」
唐突な勧誘だ。
「いいところだよ」
イユの表情が面白かったのか、ブライトに、にこにこと笑われる。
「異能者施設がない唯一の国だしねぇ。イユの安全は保障するよ」
施設がないというのには正直驚きを感じた。要するに、異能者を表立って捕縛していないということだ。
とはいえ、シェイレスタにも魔術師はいる。ブライトを見て信じられるかどうかと問われれば、答えは一目瞭然だ。
つまり、全く当てにならない。
イユの考えを証明するようにリュイスが告げる。
「シェイレスタには、代わりに『住民区分け法』がありますよね。それに、男尊女卑の気質があると伺いましたが……」
聞き慣れない言葉だが、どちらもあまり良い意味を持つものには思えない。
「あはは……。後者は最近じゃ変わりつつあるんだけど、確かにそれらはうちの国の汚点だよね。おかげで少し立場が弱いや」
取り直すようにブライトが続ける。
「イユは影響ないって。だってイクシウス施設から逃げてきたなんて、重要人物だよ?」
重要人物と認定されるのは、却って危ないだろう。イクシウスから逃げて別の国で捕えられたら、意味がない。
断ろうとして口を開いたところで、間髪入れずブライトに制された。
「返事は今しなくていいよ」
「意見が変わることはないわよ」
たとえ、シェイレスタが楽園だとしてもだ。イユはセーレにいたいのだ。
「いいよ。それは」
含みのあるブライトの言葉が気にかかる。まるでイユがいつかシェイレスタに行きたくなると言わんばかりだ。
ぞくりと悪寒が走った。一瞬、ブライトの手のひらの上で踊らされているような感覚がしたのだ。
――――シェイレスタに行くことなど万が一にもありえない。
自身に言い聞かせながら、食堂に続く扉を開けたときだった。
「イユちゃん!」
その先で、不意打ちにあった。視界が真っ白になる。花の香りが鼻腔をくすぐった。突然現れたマーサに抱きしめられたのだ。
「あぁ、よかった……! 怪我はしていない?」
視界いっぱいに映っているのはマーサの服だ。マーサはイユを慮って抱きしめているのだ。そこまで心配してくれていたことに、胸が突き動かされるような感じがする。
けれど同時に、戸惑いと抵抗を感じた。今までイユに触ろうとする大人は、イユのことを捕らえようとする者だけだった。だから触れようとしてくる大人にはつい警戒してしまう。抱きしめられた記憶がないからこそ、イユの体が強張った。
それに気づいたのだろう、マーサに体を引き離される。
「あ、あら、ごめんなさい。私ったらつい」
「ううん……。気にしてないわ」
少しだけ寂しいと思ってしまったあたり、どうかしている。お陰で反射的に返した言葉が、上擦ってしまった。
「イユさんは、暫くセーレにいることになりました」
リュイスの言葉に、本当に嬉しそうな顔でマーサは返す。その笑顔だけで、全ての不安が吹き飛ぶ思いだ。
「そう、良かった。兵士さんも突然やってくるし、あんな風に別れることになってしまって心配していたのよ。これも全て、リュイスちゃんのお蔭ね」
それに、マーサは暗示について一切聞いてこなかった。ただ良かったとだけ言ってくれる。それが身に染みた。
「うーん、確かにこれはセーレの一員って言っていいかも」
ブライトが後方でそう呟くので、舌を出して挑発したくなる。
「あらあら、ごめんなさいねぇ。私ったら」
そこで、マーサははじめてブライトの存在に気づいたらしい。
「気にしてないよ」
と、ブライトが扉の奥から食堂の中へと進み出る。
「あたし、ブライト・アイリオール。シェイレスタの魔術師だよ。よろしくね!」
にっこりと笑ってみせるブライトに、イユは呆れて何も言えなかった。
案の定、マーサは驚いて目を見張っている。
「あ、あの……、ブライトは成り行きで乗ることになってしまって」
リュイスの補足は事実ではあるが、あまり納得のいく説明にはなっていない。
マーサはそれを受けてどう反応するのだろう。イユの興味は、マーサへと向いた。
マーサは意外にも平静に見えた。
「まぁ、ずいぶん可愛らしい魔術師さんなこと」
それどころか、柔らかい笑みを浮かべて自己紹介までしてみせる。
「私はマーサといいます。よろしくね」
ブライトも一緒になって、にこにこ笑っている。
「マーサはこの食堂でご飯作る人?」
「そうねぇ。ご飯も作るけれど、お洗濯やお裁縫もしますよ」
「へぇ。この船、結構大きいよね。一人で全部やるのは大変じゃない?」
「あらあら心配してくださるの? ありがとうございます。でも、皆さん自分のことはちゃんと自分でやってくださるし、困っていれば手伝ってくれるから、大丈夫ですよ」
「凄いね。教育が行き届いているんだ。それじゃあさ……」
正直、呆気にとられた。まさか、魔術師とここまで話が盛り上がるとは思いもしない。しかも、延々と続きそうな流れである。
同じ心持ちだったらしい、リュイスが二人の会話に割り込んだ。
「ブライトに部屋を用意したいのですが……」
「まぁ、そうなの。それなら、イユちゃんの隣の部屋がちょうど空き部屋になっているはずだわ」
マーサは対応が早かった。
「案内するわね。ブライトちゃん、行きましょうか」
早速ブライトを連れて廊下に出ようとする。
「リュイスちゃんたちは疲れたでしょう? 後で飲み物を出すから、食堂で待っていてね」
そう言って扉の向こうに消えようとするマーサに、リュイスが慌てて引き留める。
「さすがにマーサだけに行かせるのは……」
イユもリュイスに同感だ。ブライトは魔術師なのだ。その気になれば何をしでかすかわからない。当然マーサ一人にブライトを任せるのは危険すぎる。
「あら? それなら皆で向かいましょうか」
にこにこしながら話すマーサは、随分な怖いもの知らずである。イユにはマーサの周りにだけお花畑が咲いているのが見える気がした。そうした空気に引きずられたわけではないが、ずっと気になっていたことを聞いてみる。
「リーサは……、どうしているの?」
声に出してから、我ながら気にし過ぎだと省みる。
けれど、水色のドレスを着て手を振るリーサのことを思い返すと、早く会いたくなった。
「えぇ、リーサちゃんね……。そうねぇ……。イユちゃんが帰ってきてくれたことは会ったらちゃんと伝えておきますよ」
ところが、マーサの反応は意外なほどに鈍かった。どこか歯に衣着せぬ物言いがらしくない。
「え?」
驚いて口を開けたイユのことを、マーサは見ていなかった。
「さぁ、中断してごめんなさい。早速向かいましょうね」
マーサの視線の先にはブライトがいて、頷くブライトとともに廊下を歩いていく。
「何……? どういうこと……?」
開けられたままだった口から発せられた言葉は、その場にぽつんと漂った。
視界の端では、リュイスが困った顔をしながらも首を傾げている。リュイスもよくわからないらしい。
胸の中に、もやもやとしたものが蔓延ってくるのを止められそうになかった。




