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それはやっぱり、君でした。  作者: せみまる
第十三話 もう一度、その一歩
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 僕の妻が、雫が死んだのは家の近くの大きな交差点だった。



 あの、電話のあと。

 本当に、直後だったらしい。



 夫の夕飯が楽しみで、泣きだしたまだ小さい息子が心配で、家族に早く逢いたいと胸を躍らせていた若い母親に、


 二トントラックが突っ込んだのは――――――……


 理不尽だ。


 トラックが突っ込むべき対象は他にもたくさんあった。そんな、必死に生きているだけの母親に突っ込むよりも、犯罪者、社会不適合者。悪いとは思うけれど、余命いくばくもない人に突っ込んだ方が、よっぽど、と思ってしまう。



 そうだ、僕に突っ込めば良かった。


 僕が死ねばそれは、それでよかったんだ。


 僕の大事な妻と、息子の、それ以外だったらそれは誰でもよかった。



 鼻を両の掌で押しつぶすように包み込みながら、ぼう、っと考える。

 守りたいものができたら、出来てしまったらみんながみんな、こんな風に冷酷になってしまうものなのか。そして、守れなかった時、こんなに苦しいものなのか。


 なら。


 父さんはどれほど苦しかっただろう。


 妻が目の前で死んだのを見た。なのにその原因は腕の中ですやすやと、眠りこけていて、守るべき、大切なものだ。

 どれほど苦しかっただろう。


 恨むものがなくて、どれだけ運命を呪っただろうか。

 そして、自分は幼い息子を残して死んでいかなければならなかった―――――……



 大好きで仕方がなくて、かまってほしくて甘えていた父さんの事を思い出していた。膝の上に乗って、父さんに頭を撫でてもらって。

 絵を描くのを覚えたのも、確かこのころだ。


 入院中の父さんへ、絵を描いて、喜んでもらおうと必死になって。



 そっと、できあがった“彼女”の顔を片手で触れる。



 この顔が無くなったのは、その「理不尽」の瞬間だ。

 ブレーキ痕は、なかったと言う。出したそのままのスピードで、突っ込んだトラックに、あっさりと雫の身体は吹っ飛んだのだろう。

 そして、細い身体はコンクリートにたたきつけられて。


 想像しただけで、吐き気がする。


 痛みは、なかったのかな。どうせなら、一瞬で終わってくれた方が楽だったろう。―――――でも。



 彼の話によると、引かれる直前響き渡った、クラクションの音で、彼女は気を失ったように倒れたのだと言う。

「俺でも、肩が跳ねました。あの、その……ヘッドフォンは、はずしてた、から」


 ひしゃげた彼女のヘッドフォン。届けてくれたのが彼なのだから当たり前だが、そこまで聞いていたのか。

「ワイドショーで持ちきりですよ、天才画家の妻死す、って」

 冷たい笑みが脳裏をよぎった。




 出来上がった、彼女の顔は、よくできたと思う。


 雫がなくした半分にちゃんと沿うように、削った石膏。その上に描いただけのハリボテの顔。

 だが、触れなければ、これがまさか偽物だとは思わないだろう。


 不思議と、胸の底にあるのは、ついこの間までの冷たいしこりではない。


 そうだ、少しずつ、楽になっているんだ―――――



 思い出して、吐き出して、そして忘れていくのだろう。これから、長い、永い時間をかけてゆっくりと。


 紫苑は、どうなのかな。


 唐突に浮かんできた問に苦笑う。

 覚えているわけがないか。彼女の事なんか、―――だよね。



 伝えよう。



 忘れてしまうなら、そう、心の中で決める。



 描くのはこれが最後なんて言わない。描く。それしか僕には能がないんだ、だから、描かなきゃ。


 伝えるために。刻んでおくために。残すために――――遺すために。




 僕が息をすることを決めた、その瞬間だった。




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