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先生が口火を切ったのは、泣きやんで相当たってからだった。
「………男の子が訪ねてきました」
何の話だ? と首をかしげる僕にはかまわず、ゆきこ先生は話し続ける。
「以前から、慧さんに会いたい、って、警察の方に言っていたらしいんですけど、埒が明かないって。
もう無理矢理行くしかないって思って、って言ってました。――――それで、病院中聞きまわって私のところに、たどり着いたらしいです」
話が見えない。
ずび、っと鼻を啜った先生は、そんな僕を見透かしたように「それじゃあ分かりませんよね」
そう言って、僕の背中から離れた。
「ごめんなさい、いっぱい濡らしてしまいました」
「少しは、どうにかなりました?」
「………はい。ありがとうございました」
こんなときでも、きっちりとしている。そんな先生を、素直に尊敬している。
僕は、そこまで大人になりきれていないみたいだから。
先生はしばらく考えるように黙っていたが、静かに立ち上がった。取り残された僕は、その背中を目で追いかける。
無言で先生は机の引き出しを開けた。
先生が取り出したのは、白い布に包まれた何かだった。
「これを、彼からあなたに、とあずかりました」
先生は僕を正面からじ、っと見つめて、言った。
差し出された、その掌の上に乗った白い布に包まれた、「それ」をみる。
なんとなく、かたちからそれが何なのかが分かってしまったような気がした。
両手を差し出して、それを受け取った。白い布を無言のまま剥ぎ取った。
その下にあったのは
「――――――――………っ――――――……」
それはやっぱり、
「………こんなになっちゃってさぁ――――……」
彼女の、ヘッドフォンだった。
薄紫の、刺繍。確かにそれは、彼女のものの証拠だ。
ただ、側面はひしゃげて、そのもとの形は影も形も無い。雫のものだろうか。血に、塗れている。あんなにごつかったヘッドフォンが、途端に小さくなってしまったような気がした。
苦しくなって、胸を押さえた。先生が気遣うように、僕の背に手を当てた。
こんなに。どうして。
苦しかったろう
辛かったろう――――――
最期の彼女の悲鳴が、聞こえてくるようだった。聞きたかった声。せめて最後、最期だけでもそばにいたかったのに。
ずっと、守る、って。
決めてたのに。
先生が、呼吸を整える僕の背に語りかけた。
「彼に、会いますか?」
必死に首をふる。
彼が何なのか、知りたかった。そして、警察の人から、「僕に会いたがっている人がいる」って言われていたことを思い出した。
ずっと、待たせてしまっていたのか。
悪いことを、した。
知りたかった。
どうやって、彼女が終わりを迎えたのか。彼が知っているのなら、その口から聞きたかった。
顔を上げる。ゆきこ先生は涙の跡が残る顔を、しっかりと僕に向けていた。
「やっと、人間らしい表情になりましたね」
―――――――え…――?
「ずっと、あなたが死んだ人みたいに“からっぽ”だったから……――逃げてたから。
嫌で嫌で仕方がなかった。
でも、もう大丈夫ですよね――――そんな顔できるなら、ちゃんとこれからも息、できますよね」
何が言いたいのかは、もう、分かる。
僕は目を細めて、頷いた。
僕の、自嘲以外の、初めての笑顔だったかも知れない。
それを見た先生は満足そうにうなずいて、「慧さん」
僕の肩にそっと触れる。
「頼ってください。世界が怖いって、そうやって頭抱えてしゃがみこむんじゃなくて、私たちを頼ってください」
お兄ちゃんでもいいんですよ。
「誰でもいい。でも、一人にだけはならないで」
「私たちはあなたたちの、あなたたちだけのためにいるんです。そのくらいに思ってくれて、想ってくれていいですから。迷惑なんて、ないですから」
言葉が、乾き切った心に、甘い水のように染みわたった。
僕は頷く。馬鹿みたいに。
辛いのは。苦しいのは。
僕だけじゃ、ないから。
だから大丈夫なんてわけにはいかないけど―――――少しは楽になれるかな。




