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それはやっぱり、君でした。  作者: せみまる
第十話 ナイフ
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 やだ、


 彼女が唐突に呟いて、泣き笑いのような表情をした。ぽかぽかと胸を叩かれる。

「涙でてきちゃったじゃない」


 その通りだった。彼女の瞳から透き通った涙がぽろぽろと雫れはじめて――――そして、止まらなくなった。

 控え目な嗚咽に合わせて揺れるその頭を、そっとなでる。


 しばらく泣いたら、彼女は泣いてぐしゃぐしゃになった顔で笑った。

「もう、あなたってひとは」


「そういうのは、明日が終わった後に言うものなの――――――なんで今日言っちゃうかなあ、これじゃ逆になんか気勢削がれちゃうよ」


「ごめんごめん」

 でも。


 どうしても今日のうちに伝えておきたかった。


「山場超えたら、振り返りとか、反省とかはしたくなくてさ。そう…………ただ、『疲れたね』『頑張ったね』って言いあって笑ってたいんだ」


 ―――――――予感があったわけじゃない。

 ただ、明日、明日が終わる前に。今日が終わる前に。


 この気持だけは。


「ねえ、ものすごくクサいこと言うけどいいかな」

 言うと、彼女は今度は笑いすぎたのか、しゃくりあげながら「いいよ」と呟いた。

「もう充分クサいこと言ってるって」

 じゃあ、遠慮なく。


 一つ息を吐いて、僕は空いている左手で彼女の右手を取った。


「多分、これからだって辛い事とか、苦しいこと、たくさんあると思う。今までだった十分すぎるほど大変だったけど、紫苑だってまだまだ大きくなる」


「だから、今までしてくれていたように、隣にいてほしい」



「僕一人じゃきっと、息ができないから。君に、生きるのを手伝ってほしい」



 特別なことはしなくていい。


「これからも、歌って。明日が終わっても、その歌声で僕と一緒に生きて。何があっても、僕を、見限らないで」

 ―――――――世界を、あの時見限らなかったように。


「家族で、いてください」




 彼女は握られた自分の右手を見て、握った僕の顔を見て、ふわり、と笑った。

「言われなくても」

 いるよ。


「何があっても、隣に」


 だから、大丈夫だよ。そんな不安そうな顔をしないで。

 そう言って、彼女はそっと手を握り返してくれる。そして次の瞬間、こらえられなかった風に「ぷっ」と吹き出した。

「あー、もうびっくりしたぁ。いきなり……くん変なこと言いだすんだもん、まだ心臓バクバクしてるよ、どうしてくれんの」

 あー、ひどいっ。

 こっち結構真面目だったのに。


 笑いながら彼女は言った。手は、握ったまま、離さないままだ。

「でも、嬉しかったよ。あなた、なかなか言葉にしてくれないから。口下手で、下手くそだけど、気持ち、ちゃんと伝わったからね」


 ………そう言ってくれると、こっちも、嬉しい。


 彼女はまた泣き笑いのような表情になって、そっと僕にささやいた。


「二人で、見守っていこうね。紫苑は私よりも多分辛いことたくさんあるから―――――なおさら。

 何か出来ることがあるなら、してあげて、何もできないなら、支えてあげて。そうやって生きていこう」


「  」



 僕の名前を呼ぶ声がして、顔を上げた。彼女は何か言おうと口を何度か開け閉めして、やがて諦めたように笑って見せた。

「ううん、これこそ明日言うよ。明日が終わって、心の底から“お疲れ様ー!!”っていえる時に言う」


「………そっか、気になるな」

「『指をくわえて待っているだけじゃ、足りないと言いますの?』」

「………………………ぇ、ど、どした…?」

「明日の台詞」

「あ、そう」


 楽しそうに笑って、彼女は眠たげな表情になった。枕を譲る。

 僕の枕に顔の半分を埋めて、彼女はゆっくりとまぶたを閉じた。


 身をすりよせてきたので、その背中に腕を回して抱きしめる。


「本当は、やっぱりちょっと緊張してるんだ」

 彼女が不意に、ぽつりと言った。


「大丈夫、って言って。ウソでも何でもいいから、『大丈夫』って。あなたに言ってもらえたら、ほんとに大丈夫な気がする」



 よし、任せろ。


 精一杯の優しい声で、僕は彼女の耳元で大丈夫、と囁いた。彼女はその言葉を聞くと安心しきったように目を閉じて、今度こそ眠りに落ちた。


「大丈夫」


 聞く人がいなくなった寝室の中で呟いてみる。


 そうだ。大丈夫だ―――――――君となら。

 君と僕となら、きっと大丈夫だ。




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