表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
それはやっぱり、君でした。  作者: せみまる
第五話 薄紫色の理由
28/70

025


「ごめん、画材切れたから買ってくる」


 テレビをつけたまますっくと立ち上がった僕に、彼女は首を傾げた。

「………今から?」

 もう、午後六時半。確かに、少し遅いかもしれないけれど。


「うん、今から」


 驚いた顔をした彼女に、僕は笑いかけた。

「大丈夫、すぐ戻ってくるよ? それとも、一緒に行く?」

 彼女は首を振った。

「ううん。それは……いい。夕ご飯用意して待ってるね」

「ありがとう、ほんとにすぐ戻ってくるから」

「…………待ってる」

 どことなく不安そうな顔をする彼女の頭を抱き寄せた。後ろでは相も変わらず、彼女の歌声がテレビから垂れ流されている。

「どうしたの、なんか元気、ないよ」

「………そんなことないよ」

「………そう?」

 まだ、さっきのこと引きずってるのかな。少し不安になった僕は、彼女の体をそっと抱きしめる。彼女はあきれたように笑って、僕の背中をやさしくたたいた。



「じゃあ、行ってくる」


 玄関口で、彼女と対峙する。彼女は少し背伸びをして、僕の首にマフラーをかけた。

「そんな薄着で大丈夫? 外たぶん寒いよ」

「………うーん、大丈夫でしょ。ちょっとだし」

「明日雪だって。楽しみだね」

「ええ……ただでさえ寒いのに」

 彼女は嬉しそうに、雪降ったら見に行こうね、と言った。

「描きたいんじゃない? ホワイトバレンタイン」


 そう、そうなんだよね。

 明日はバレンタイン―――――2月14日だ。まあ、別に僕たちには関係ないけどね。


「えぇー、チョコ食べようよ」

「やだ。作るのめんどくさい」

「買えばいいじゃん、もう、なんで作るの前提なの」


 唐突に彼女がかわいいくしゃみをした。確かに、玄関口はさすがに冷える。

「部屋の中入ってて、身体障るよ」

 僕がそういうと、彼女は僕を見あげて素直にうなずいた。心なしか顔が赤いように見えるけど―――――さすがに、気にしすぎだろう。


「じゃあ、行ってくる」


 振り返って彼女に手を振り、ドアを開けた。瞬間、冷たい空気が頬を刺した。

「…………寒いな」

 首をすくめ、僕はひとり呟いて歩き出す。……………ちょっと彼女が心配だ。早く帰らなくちゃ。


 § § §


「……こんにちは」

 画材屋さんの主人は、今日も不愛想だ。というか、この人が笑ってるところを見たことがない。

「ちょっと買いたしです。案外早く絵具切れちゃいました」

 “習慣”通り、僕は挨拶をして、水彩絵の具の棚をのぞき込む。と―――――その瞬間。



「なぜ、あんなに慌てていた」



 渋い、低い声が耳に入ってきた。

 振り返る。

 主人と、目があった。


 濁った、だけど不思議と汚くないその色が、僕を見つめていた。


「………今、しゃべりました?」

「……………あぁ、わしだよ」


 え。

 ええええええええぇえぇえええええ!


 心の中で叫んで、僕はその代わりに目を見開いた。主人はにこりともせずに―――――されどどこかやさしい表情で、もう一度、言った。

「なぜ、あんなにあわてていた?」

「………なぜ、って」

「この前の事だ。“シオン”一本しか買わなかった、あの日だ」

 ………ああ。

 僕は主人に向き直った。その日、なら。


「……今度、息子が生まれるんです。あの色見たらなんか、息子の名前だ―――なんて、思っちゃって。おかしいですよね、そんなの。分かってるんですけど」


「やめたほうがいい」

 思わずその無愛想な顔を凝視した。「なんで……ですか」

 主人の目は僕の目を、しっかりととらえて、離さない。


「シオンは、やめたほうがいい」


 もう一度主人はそう言って、僕から目をそらした。興味がなくなったようにも、気まずくなったようにも見えた。



 気にするな、と言われたって、気にしないはずがない。



 帰り道、ずっと、画材屋さんの主人の「やめたほうがいい」という低い声が頭の中、こだましていた。

 やめたほうがいい。シオンは、やめたほうがいい。

 どうして――――――?


 寒さも気にならなくて、結局指先が凍えそうになって、あわてて玄関の冷たいドアノブをひねった。相も変わらず、ドアの向こう側からは彼女の歌声が垂れ流されていた。


 違和感を覚えた。


 何か、聞こえる。


 歌声に交じって――――――――


 呻き、声?



「君? きみ―――君ッ!?」

 彼女は、台所の冷たい床にへたり込んで、必死に耐えていた。冷たい指先で彼女に触れようとして、手を引っ込める。

 熱い。


 す、と背筋が凍えるのが分かった。

 部屋は十分すぎるほどあたたかいはずなのに、震えが止まらなかった。


 陣痛?

 でも、それにしたって――――


 早すぎやしないか?



 迷う暇なんてなかった。首を振って、僕は救急に電話をかけた。

「すみません」


「救急車を、お願いします」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ