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それはやっぱり、君でした。  作者: せみまる
第五話 薄紫色の理由
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 足をぱたぱたさせながら手を動かす。下書きなんてあんまししないけど、ちゃんと描くときには僕だって下書きくらいするのだ―――――ていうかもうこのままでいいか、なんて思ってる自分もいるんだけど。


 今描いているのは、今度のコンクールの出展作品だ。


 まあ、そんな気張らなくていい。気張らなきゃいけないのは締め切りだけだ。

 気張らずに気張らずに――――見えている、世界だけを写し取ればいい。そう、こんな風に。


「あ、あの……くん、それ、やめてくれないかな、ほんとに。私恥ずかしさで死にそうなんだけど」

「え? どうして?」

「そんな純粋な顔で聞かないでよ……ちょっと想像すれば分かるでしょ?」

「…………分かんないよ?」

「それが素じゃなかったら怒っていいところなんだけどな、私………」


 彼女はこれ見よがしにため息をつく。頬杖をついたまま見上げてくる僕にぶんぶん、と赤くなった顔を振って、彼女は背中を向けた。

「あ――――――もうっ、私の馬鹿ぁあ………。……くんに言わなきゃよかったよこんなこと……」



 少し、説明が足りないかもしれないな。

 なんてことはない―――――僕は今、彼女が過去に()た、オペラのDVDを見ているだけだ。


 ただし。



 これが何回目だっけな? まあ、軽く七回目くらいかな。


 ともかく馬鹿みたいに、僕は繰り返し、繰り返し、それを見ている事が、彼女にとっては問題らしいけど。



 閑話休題。

 彼女に「ほっておかれた」僕は、彼女の歌声を聴きながらもくもくと手を動かす。彼女はあんなふうに言ったけど、画面の中の彼女はあまりにも美しい。狂おしいほどに………美しい。

 その澄んだ歌声に、心を奪われそうになる。

 だから、描かずにはいられない。この音を、僕が愛したこの色を―――――


 見てみたいな。


 唐突に、そんな考えが浮かんで、僕ははた、と手を止めた。身を起して、彼女を探す。

「ねえ君」

 台所にいたらしい彼女が間抜けな声を出して何か応えた。なんと言ったのかは気にしないことにして、僕は言葉をつなげた。

「今度の公演、いつ?」


 彼女が僕の隣に座った。

「それがねえ…………」

 ん、なになに、なんでそんなバツの悪そうな顔するの。僕の不思議そうな顔を見て、さらに顔をしかめた彼女は、ため息をつくように言った。


「断っちゃったんだぁ………『ハムレット』」


「な!?」

 なして!?

「………だってさ」

 彼女は僕に寄り掛かって、僕の腕の中に顔を埋める。

「次の公演、()るとしたら、今度の九月なんだけど………さすがに…ねえ」

 ああ、なんとなくわかった。

 遠慮――――してるのか。

「…分かるでしょ? 紫苑、六か月でさ、その前にもお稽古とかあるでしょう? さすがにあなた一人に任せるわけにはいかないよ―――私のため、なんかに」

「その遠慮、一番やなんだけど。断る前に言ってよ……相談したかったのに」

 彼女が、僕の腕の中から僕を見上げた。

「…………絶対……くんいいって言うもん」

「当たり前でしょ」


 本当にいいの、君はそれで。


 彼女はうつむいた。わからないと、ゆっくり首を振って、彼女はまた捕まえたままの僕の腕を強く抱きしめる。

「大変なのは分かってるし、無理だったら代役立てるって言ってくれたから……甘えた。それだけ。

 ……………少し、落ち着いたらちゃんとお仕事復帰するし、いいかな、って」

 でも、

「きっとハムレットはもう来ない」

「………そうだよ」


 君のオリ―フィアを見られるのは、もう、画面の中だけ?

 そう言うと、彼女は首を振った。「……その言い方は意地悪だよ、…くん」

「――――ごめん」

「……いいの、もう断ったから、ね?」


 ………そうなのかな。

 聞くのもきっと酷だから、僕は彼女の身体をそっと抱きしめるという答えを返した。共働きという弱点が強く表面に出た形だった。

 僕は室内にいられるから、それでいい。

 だけど、彼女は?


 僕も料理以外の家事、覚えなきゃいけないかな。

 そんな事を考えて、僕は苦笑いをこぼした。


 ああ、そろそろ画材買いに行かなきゃなあ。


 ほら、僕の頭の中はいっつも絵のことばっかりだ。


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