009
夢中で筆を動かし続ける僕の横で、彼女はずっと、“星に願いを”を口ずさんでいた。
♪~
When you wish upon a star
Make no difference who you are
Anything your heart desires
Will come to you
If your heart is in your dream
No request is too extreme
When you wish upon a star
As dreamers do ~♪
耳に、心地いい旋律。決して大きい声でもないのに、その歌声は、誰もいない河原によく響いた。
彼女が見せたかったもの。それはこの、息をのむような、大きな星空だった。
空に昇りかけた天の川。真昼の空に、黒いシートをかけて子供が無造作に針であけたような、まぶしいほどの光。
連れてきてくれた河原―――――というよりダムの近くらしい―――――には、当然ながら、街灯の類は一切ない。目が痛くなるほどの、満天の星空。深く、息を吸い、僕はその“景色”を見上げてまた筆をとる。
こんな景色、絶対東京なんかで見られない。
こんなにも美しい世界が存在するんだ。それを教えてくれた君は―――――
寝ていた。
「き、君!? え、あ、大丈夫!?」
ついさっきまで歌っていた彼女が、目の前の草むらの中、倒れるようにして眠りに落ちていた。僕は慌てて、握り直した筆をパレットに置き、彼女のもとへと向かう。抱き起こした彼女は、本当に気持ち良さそうな顔をして、ぐっすり眠っていた。
「うっそだぁー………」
僕は肩を落として目を細める。よいしょ、とその細い身体を抱きあげて膝の上に乗せると、彼女はなにか呟きながら僕の胸に頬をすりよせた。
やっぱこうやって寝オチするほど、君だって疲れてたんじゃないか。
…………無理しなくてもいいのに。
ぽん、ぽん、と彼女の頭を優しく叩きながら彼女の匂いを嗅ぐ。
君の匂い。かすかに見える白い肌の輪郭。
青草の匂い。水の音。星。塗りつぶされたような暗闇。
その空気に自分自身をとかすように僕はもう一度目を閉じ、息を吐いた。ん、気持ちいい。
あ、やばいなオチそう。
下がりかけてきたまぶたを無理矢理押し上げて、僕は彼女越しに筆をかまえた。
* * *
「よいしょ」
もうすぐ、夜が明ける。
彼女を背負いなおして、僕は額の汗をぬぐう。久しぶりに運動した。まずいよなー、そろそろちゃんとしないと、これ以上体力がなくなったら真面目な方でやばいような気がする。ていうか、そろそろ起きてくれないかな君………。
首を振った。
違うよ、弱音じゃないんだ。ただね……君のおかげで道が分からないんだよ。
* * *
「……君、起きて。チェックアウト」
彼女は眉を寄せて何回か意味不明の単語を呟いた。薄眼を開け、僕を探す。いつもより少しだけ瞳の色が薄く感じるのは気のせいだろうか。
「君。どうしたの」
「…………くん」
「ん、なに」
「……ま………んじ」
ちなみに、今、何時? だ。
「八時半」
チェックアウトは十時だからそろそろ急がないと、ごはんも食べないとだし。
「ごはん、菓子パンあるよ? なんかお腹入れとかないと。今日電車乗って帰るんだから、ちょっと頑張って」
「んー………なんかめっちゃ眠いー」
「そうだね、めっちゃ眠そう」
がんばれ。
うん、がんばる。
ん、と億劫そうに起き上がった彼女にヘッドフォンをかけてあげた。
彼女は朝の光の中で顔をほんのりと染め、笑う。
「ありがとね」
そう言うと、彼女は「どーいたしまして」とおどけて見せた。
あー、君といる時間はほんとに、キラキラしてる。
「あ、昨日の星空の絵、見せて」
「おけ、ちょっと待ってて」
「やっぱすごいねっ」
そう言って笑う君が、結局一番まぶしいんだけれども。