010
帰り道。
電車の中での彼女は本当につらそうだった。
顔をしかめて、どこか遠くを睨んでいる。
「あの………大丈夫?」
「うるさい。いつもこのくらいは大丈夫なのに、なんか今日………めちゃくちゃ辛い」
「よっかかる?」
「ううん、だいじょ」
言葉の途中で、彼女の身体から力が抜けた。
「お、っと」
すんでのところで受け止める。完全に脱力仕切った彼女は僕の腕にすがりついて息を整えた。
「ねぇ君」
「座らせて、もらおっか。顔色、もはや青いの通りこして白になってるよ」
今度は彼女もぶんぶんと首を振った。もちろん縦にだ。
* * *
最近どうも彼女の体調が悪いような気がする。
星を見た夜から二週間たっているが、僕は彼女の体調が心配でたまらなかった。なにかあってからでは遅い。早く病院に行ってくれないものだろうか。
……………とは思いながら。
怖くて、言い出せない自分がいる。
母親は、僕を産むときに感染症で死んだ。父親は、がんになって僕が小学生の時に死んだ。
病院に厄介になるのは、今でも怖い。
そんなことを考えていたら、背後から「えいっ」とかわいい声がして、背中に体温が押しつけられた。
「うわっ」
びっくりしたー。
彼女だった。「どしたの表情暗いよ?」
うわ見透かされた? 冷や汗をかきながら自分でもわかるほどぎこちなく笑う。
「え?」
「だから。どうしたの? 表情暗いって」
「………そ、そんなことないよ?」
「嘘ついてる」
よかった。今日は体調よさそうだ。
そんなこと、思わなくてもいいのに。
彼女は僕の胴から手を離した。ぐい、と引っ張られ、そんな強い力でもないのに、僕はあおむけにひっくりかえった。
とん、と僕が軟着陸したのは彼女の細い腿の上。
彼女の真剣な表情が僕をまっすぐとらえる。
「あなたはね、嘘をつくとすぐ首筋に手を当てるの。下手くそなのよ、嘘つくの」
そうだったのか。こんどから気をつけよう。………なるべく。
僕が驚かされたのは、次の言葉だった。
「私のためにすぐ、ちっちゃい嘘重ねるくせに」
分かってんだからね、全部。そう言って、彼女はぺち、と僕の頬を挟んだ。僕は、目を見開くしか出来なくて、彼女の顔を凝視する。
ああ、
と唐突に思った。
僕、すんごい人につかまちゃったのかなぁ…………
今までは与えられるだけで、それをすぐに投げ捨てて、何も思ってなかったくせに。それが今は。
どうだろう。
こんなこと思ったことなかったよ。誰かをこんなに受け入れることは、僕にとって危険な事でしかなかったしねえ。………よく。よく。
ここまで君が僕の中にいる。ほんとによく入ってこられたもんだ。
…………よく、こんなに入られたもんで。
でもさ。
ここまできたら愛しきるから。最後まで。
視界の先で、彼女は珍しく、歯を見せて笑った。
「私は大丈夫だよ? だから、嘘つかなくていいよ?」
はさまれた、その頬から彼女の体温を感じた。ふう、と息を吐くと、彼女は驚いたように一瞬肩をすくめ、また僕の頬がつぶれるくらいの力を掌に込めた。
「ひはいっへ(いたいって)」
「しーらんぺったんきゅーりっ」
「はふへへ~(たすけて~)」
僕の間抜けな声を聞いて、彼女はつぼに入ってしまったようだ。
しばらくは二人で笑い転げた。不安はいつの間にか溶けてなくなっていた。
「あ、そういえば」
彼女が唐突に言った。
僕は咳き込みながら息を整え、起き上がる。
「ごはんできたよ」
また揺り戻しが来た。倒れこむ。「そ、それっ、おそすぎっ」
それぜったいもう冷めてるじゃん。なによぉ、とぷくっと頬を膨らませた彼女の顔を見ても、笑いがこみ上げる。
「じゃ、ごはんたべてまーす」
「ちょっと待ってお願いもうちょっとでおさまるんだってあははは」
「うん、もうちょっとでおさまらないことはよぉくわかったよ?」
うん、これがいい。
僕はもう一度、彼女に気付かれないように頷いた。




