報告書作成
英雄派遣会社はその敷地内に無数の越境門を抱える。基本的に一つの越境門は一つの遠征地の門に対応しており、任務があると、派遣される英雄たちは最寄りの地域や星に繋がる越境門に飛び込む。越境門は一瞬で人や物を異空間の穴を通じて遠くに運び去る小さな門であり、その利用には莫大なリソースを必要とするが、英雄派遣会社にはその安価な運用を可能とする英雄がいるともっぱらの噂である。
わたしは、シエラとヒュードがセントラに派遣されている間、越境門の取材を進めていた。と言ってもその原理は広く一般に公開されているにも関わらず、凡人の頭では理解するに及ばず、ほとんど無意味な時間だった。別の案件の取材も並行して進めていたが、どれも長期的なプロジェクトであり、直近の記事掲載に間に合うのはシエラたちの案件しか残されていなかった。
会社の敷地内に併設されている図書館に入り浸り、越境門に関する記事が作成できるかどうか検討を重ねているとき、シエラ帰還の報を受けた。これなら記事が間に合う。わたしは急いでキャスを呼び、案内させた。
「いよいよですね!」
キャスはわたしの焦燥を知っていたので、彼女まで嬉しそうだった。わたしは彼女の優しさに感謝した。今度好きなものを聞き出して、機を見てプレゼントしてあげようか。
任務を終えた英雄たちは、報告書を作成して提出する義務がある。ただし報告書を自分で作成する物好きは滅多におらず、大抵は職員に代筆させる。英雄たちの報告を聞いてちゃんとした書類に直す作業はほんの数分で終わることもあるらしく、その取材機会を逸するわけにはいかない。
廊下で書類の山を抱えた社長秘書エルと遭遇した。彼女は急いでいるわたしに笑いかけた。笑顔一つで逸る男を止めてしまうのだから彼女の魅力は大したものである。
「記者さん、もしやセントラの一件について英雄たちに話を聞こうと?」
「はい。この瞬間を待っていたもので」
「これから話を聞くところです。報告書の作成は私が行うことになっていますので、よろしければ御一緒します?」
「是非!」
わたしは勢い良く頷いた。どうやら間に合ったようだった。しかしここで疑問が湧く。
「社長秘書のエルさん自ら、報告書を作成するのですか?」
「はい。恩人案件ですので」
「聞きそびれていましたが、恩人案件とは何です」
わたしの質問にエルは少し驚いたようだった。
「まだ申し上げておりませんでしたか。恩人案件とは、社長の恩人が依頼した案件のことです」
そのまんまだが、それだけに疑問もある。
「えっ……。社長の恩人?」
「たとえば、記者さんも我が社長の窮地を救ったことがあったでしょう。ああいった人がご依頼した案件は、通常の手続きをスキップして社長秘書のいずれかが直接処理することになっているんです」
「しかし、だとするなら、わたしは幸運ですね。そういった特殊なケースを取材できるなんて」
「いえいえ」
エルはくすりと笑った。
「社長はいつもどこかで命の危険に晒されているのです。あの人、おっちょこちょいなんですね。そのたびに誰かに助けられて、命の恩人が増えていくものですから、こちらとしてもすっかり慣れたもので」
命の恩人がたくさんいるということか? わたしは自分が取材をする上でのアドバンテージがさほど強固なものではないことを悟り、少々危機感を抱いた。
「さて、こちらです」
そこは入口に何々室だとか何の表示も掲げられていないごく普通の部屋だった。中には気怠そうな金髪の女性が長椅子に腰掛けて待っていた。煙草の煙をくゆらせている。青い瞳がわたしとキャスを捉え、ちょっとした好奇心が湧くのを見て取る。
「誰、その人たち」
「記者さんと社長のお孫さんです。失礼のないようにお願いします」
「ああ、社長がよく自慢してる孫娘か。初めまして」
「あっ。はじめまして!」
キャスが深々とお辞儀する。わたしは早速シエラの向かいに腰掛けたエルの隣を陣取った。キャスは隣の部屋で茶の用意をすると言って出て行った。
「ヒュードさんは?」
エルが訊ねると、シエラは煙を吐きながら肩を竦めた。
「別の仕事に出掛けたわ。あの人、A級の中で一番多忙だからね、その辺の事情はエルのほうがよく知ってるでしょ」
「とりあえず戦力が必要なときは彼のスケジュールを確認しますね。彼は真面目ですから」
「融通が利かないけどねー。あ、そうそう、任務を報告する前に、紹介したい人がいるんだけど」
シエラが卓上の灰皿に吸殻を棄てる。エルは深く頷いた。
「キレスさんですね? 既にテラさんから申請を受け取っています」
「あ、そう。ならいいんだけど」
わたしは事情を掴めず、エルに訊ねた。
「キレスさんとは?」
「セントラでスカウトされた新たな英雄候補です。能力試験を受け、合格ならば、我が社の社員として契約を交わすことになります」
「任務中にスカウトをすることもあるのですか?」
わたしの質問には、エルの代わりにシエラが答えた。
「積極的に強い奴に声をかける暇人もいるけど、基本的に私はそんなことしないわ。英雄派遣会社の看板は有名だし、そこなら自分の持て余している力を存分に発揮できる。そう考えて入社を訴える人もいるってこと」
「だから3000人もの凄腕が、この会社に集まっているのですね」
「私の見立てだと、キレスはD級か……。査定が甘ければぎりぎりC級に入れるといったところね」
エルが顔を持ち上げる。
「あら、キレスさんって、そんなにお強かったのですか? シエラさんと互角?」
「冗談言わないでよ。互角には程遠いわ。でも、ほら、私ってC級でも上位でしょ? この私を少しでもてこずらせたのだから、もしかしたらC級に入れるかもねってこと」
シエラがエルを睨みつけたが、かの社長秘書は優しげに笑むだけだった。英雄相手に全く気圧されることがない。わたしは感心した。
その後、わたしはシエラの報告を聞き、取材の核となる部分を満たすことに成功した。後日、雑誌「払暁」の連載を勝ち取ることになるわたしの記事には、シエラが非公式で王都防衛に力を貸したことまで記載されていたので、ちょっとした悶着があった。もちろんそんなことをシエラが話すわけもなく、この事実はわたしが現地に赴きオルマ氏から聞き出したことだ。
オルマ氏はヒュードが氷狼のとどめを刺さなかったことに対し、戸惑いを覚えていたものの、社内の細則に従ったのだと理解はしていた。
「地中深く眠りについた氷狼が復活するのが何年先のことになるのか分かりませんが、備えることはできます。早くも魔術師たちが張り切っていますよ」
オルマ氏は続けて、
「シエラ殿とヒュード殿には謝らなくてはなりません。私は彼女らを契約外のことで利用してしまった。今思えば、なんと失礼なことを……」
わたしはしかし、シエラから話を聞いていたときのことを思い出した。
「でも、彼女、氷狼のくだりを話すとき、少し嬉しそうでしたよ」
「え?」
「きっと、彼女も氷狼を何とかしたいと思っていたのではないですか。越境門が凍り付いて帰還できないとか言ってましたが、彼女ならそれくらい、何とか修復できそうなものですし」
それを聞いてオルマ氏は嬉しそうに何度も頷いた。
「……ええ。きっとそうですね。はい。英雄派遣会社に頼んで良かった。本当に感謝しています。後日改めて窺って直接お礼を申し上げたいものです」
オルマ氏は現在、王都及び近傍都市の復興に尽力しており、極めて多忙だった。こうして取材の時間を作ってもらうのにも結構苦労したほどだ。荒れ果てた大地には既に無数の緑が芽生え、氷が溶けて豊かな水源となり人々を潤している。隣国からは多くの救援があり、街は活気に満ちている。きっとオルマ氏の苦労も近い内に報われることだろう。
本件の取材はここまで。わたしはセントラ復興の経過を定期的に取材に来ることをオルマ氏に告げ、この国を去った。
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報告書梗概
セントラの不沈太陽の対処に成功。
氷狼との間で正当防衛が成立。撃退。
本件に関連し魔術師キレスを獲得。
能力査定の結果、C級と認定する。
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