エゼ=アロム(3)
宿に帰ろうかと思ったが、部屋の前に立って考えが変わった。見回りに行ったのにこんなに早く帰ってはハリエットから事情を問いただされるだろう。適当に嘘を言えばいいのだが、ハリエットは嘘を見抜くのが得意で、それもどうでもいい嘘に限ってしつこく追及してくる。きっと嘘を貫き通すことができないだろう。
そういうわけでロビンは、宿の部屋にはもどらず、引き続き市中をぶらぶら歩くことにした。一応、ブルトンからこの街の地図を貰っているが、完全なる計画都市だけあって、ごちゃごちゃした路地や入り組んだ道はなく、すっきりと整理された通りが等間隔で並んでいた。
特に考えもなく歩き続けた。住宅の窓にかかっているカーテンに目がいったが、あえてその中を覗き込む気になれなかった。ここの住民がロビンを観察している――その感覚が拭えなかったができるだけ無視した。きっと気のせいだし、仮にその感覚が正しかったとしても、またあの不気味な住民と鉢合わせするのは御免だった。
エゼ=アロムの西部、その端に、ゴミの集積場があった。この無臭の街にあって、唯一妙な臭いが漂って来たので、ついロビンはそこに誘き寄せられた。
緑色の柵の向こうに大量のゴミが積み上げられている。その多くは木材のようだった。恐らく建築資材だろう。いまだにここエゼ=アロムは開発半ばであり、完成に向けて作業が進んでいるという。
「本来ならば」
男の声。ロビンは振り返った。そこには依頼人のブルトンが立っていた。
「この地にゴミの集積場など、建設する予定ではなかったのです。ここは本来、公園となるはずでした」
「公園ねえ……」
ロビンはゴミ山を批判的に眺めた。
「家を建てて、道を整備する。あるいは人が住み、何かを消費する。そうする過程で、どうしたってゴミは生まれるだろ。当初の予定では、そういうゴミをどうするつもりだったんだ」
「さあ……。私のような人間には分かりかねます。もしかすると、ゴミなど発生することがない、そのような都市に変貌するのかもしれません」
「は?」
ロビンにはブルトンの言葉の意味がいまいち掴み切れない。ブルトンは静かに頷いた。
「つまり、人間は物理的な制約から解放され、神の都の住民として永遠の幸福を享受できるようになるということです……」
ブルトンが本気なのか、ロビンには判断がつきかねた。頭をぼりぼりと掻いて、顔を顰める。
「あー、そうかい。その……、ブルトンさんはよ、信心深いのかな」
「一応、神職ではあります。もっとも、この街の住民のほとんどが聖職者ですし、土木作業や治安維持なども、我々聖職者が行っておりますが」
「へえ」
住民のほとんどが聖職者? 本格的にやばい臭いがするが……。ロビンはさっさとこの辛気臭い街から逃げ出したかったが、もちろんそんなことができない。ハリエットめ、妙な依頼を受けやがって……。と、自分の監視役を恨んだ。
「ここって計画都市なんだよな? 人が住む街だってんなら、やっぱり、最初からゴミの集積場くらいは設計図に入れておくべきだったと思うけどな。担当者は怒られたりはしないのかね」
「怒る? ロビンさん、一つ、勘違いをしていらっしゃいますね」
「え?」
ブルトンの瞳は冷たい。感情の澱が深く沈んでいる。ロビンはぎょっとした。
「計画都市の設計図は、すなわち、我々が崇めるアロム神の偉大なる預言者がもたらしたものです。言うなれば設計者はアロム神そのもの。我々は神の意志に従い、街を建設しているに過ぎないのです」
「はあ? あー、つまり、聖典か何かの記述をもとに、街を作ってるってことか?」
「左様です。ロビンさんも目にしたでしょう。エゼ=アロムの中心部近くにあるあの高い塔を」
ロビンは振り返る。エゼ=アロムの中心にはひときわ背の高い尖塔が建っている。その高さの割に細く頼りない土台をしているので、全体として貧弱な印象があるが、近付いてみるととんでもなく巨大な構造物だった。恐らく街のどこにいてもその塔が見えるように設計されているとみえ、街全体が中心部を底として、外郭に近付くにつれて土地全体が盛り上がっている。
「あの塔がどうかしたのかよ」
「あそこには、エゼ=アロムの代表である15賢人が集まり、聖典の内容をもとに、この街の方向性を定めているのです。都市建設は、なにもどこにどんな構造物を置くのかを決めることだけではなく、どのような規範を置くのか、どのような指示系統を構成するのか、法律は、産業は、どのようにするのか、といったことも決める必要があります」
「へー」
「あそこで行われる賢人たちの話し合いにより、全てが決定されているのです。全て聖典にもとづく、つまりは神の加護を得られる方策が選択され、この街は完成に近付いております」
「聖典についての話し合いだけで、建物をどうするとか決められるのかよ。細かい工法とかも?」
「15賢人はありとあらゆる知識を網羅した万能の知恵者の集まりです。聖典に沿った形での建築技法なども提案され、あるときは独自の技法を開発することもあるようです」
「ほえー」
感心の声を上げたロビンは、改めて街の道や壁などを見た。採算性度外視の凝った装飾が随所に盛り込まれているが、これも神の意志を体現した街だということだろうか。たった15人の話し合いだけでこの街の全てが決定されている。その15人は確かに有能で知識があるのかもしれないが、どうも偏った運営方法だと思えた。
「建物の配列、形状、材質の選択、道の数、その方角、色、建設に携わった人間の習慣、心構え、服装、祈り、建設の順番、土台の深さ、生贄の数、その出自、性別、年齢、儀仗の種類、同伴する司祭の格――挙げていけばきりがありませんが、この街のありとあらゆることの全てが、聖典に沿った形で行われています。アロム神の加護がこの都市のあまねく場所に行き届いていることでしょう」
ブルトンは力説する。ロビンは半分も聞いていなかったが、ほっほー、と感心するフリをしてみせた。
「しかし、そのアロエ神さまとやらの加護があっても、魔物は出没するわけだな」
「アロム神です、ロビンさん」
「おっと、失礼」
「いえ……。そうですね、魔物が出没しているのは、膿を出している段階ではないかと」
「膿?」
ブルトンは頷く。
「はい。人間が住むところ、必ず影や汚穢というものが発生します。神の都が完成する為には、そういった穢れを全て吐き出さなければならないのではないかと」
「それが、魔物として現れるってか? ふうん、なんだ、魔物の正体について心当たりがあるんじゃねえか。てっきり、都市の下水道から魔物が侵入してくるのかなとか考えていたのに」
「いえ、これは私の勝手な推測で……。魔物の件は、15賢人は何も言いません。ただ魔物を駆除せよと命じるばかりで」
「現地の人間の推測だろ? とりあえずそれを信じるよ。15賢人が何も言わないからって、自分の意見には価値がないとか、ブルトンさんよ、謙虚もいき過ぎると悪徳だぜ?」
「はあ……。肝に銘じておきます」
ロビンとブルトンは並んでゴミの集積場を後にした。特に行くあてもなかったロビンは、どこかおすすめのスポットはないか尋ねようとした。
そのときだった。女の甲高い悲鳴が聞こえてきたのは。
意外なことに、いち早く反応したのはブルトンだった。想像以上の速さで走り出す。
「こちらです、ロビンさん!」
「お、おう」
魔物が現れたのか。ブルトンの後をついて走りながら、ロビンは腰に吊るした剣鞘に指を這わせた。




