エゼ=アロム(4)
どれだけ進んでも似たような風景。住宅と用途の分からない家屋が立ち並ぶ。街の中心部に進むたびに屹立する尖塔が大きく見えてくるが、それだけで現在地を知るのは至難の業であり、ロビンはときどき自分がどこを走っているのか分からなくなった。ブルトンがいなければその場所まで辿り着けなかっただろう。
ロビンが到着すると、既に戦いは終わっていた。槍の柄を地面に突き、背筋をピンと伸ばして立っているハリエットの姿が見えた。
かのC級英雄は血まみれだった。顔から肩、腰にかけて、夥しい量の血を浴びている。ハリエットは振り返り、ロビンに笑いかけた。
「遅かったわね、ロビン。昼寝してたの?」
「ちょうど街の反対側にいたんだよ」
それにしては悲鳴がかなりはっきり聞こえてきたが。よほど大きな声だったのか。いや、常に静寂に包まれているこの街ならではの現象だろう。音を発するものが極端に少ないのだ。
ロビンはハリエットの全身をじろじろと眺めた。
「珍しいな」
「何が?」
「あんたがそんな汚れるなんて。戦闘の後でも小奇麗な恰好をしているイメージだったんだが」
「ちょっと、不意を突かれちゃってね」
ハリエットは苦笑している。ここでロビンは初めて魔物の死骸を見た。それは青い肌をした人間だった。腹から股下まで切り裂かれ、心臓も貫かれている。手足がぶよぶよのゴムで出来ているかのように、奇妙な方向に捻じ曲がっている。その死体の顔は笑っていた。満面の笑みだった。血に濡れた歯が剥き出しで、ロビンは顔を顰めた。ロビンもまた無数の死骸を見てきた羅刹が如き人間だったが、こんな笑顔で死んだ人間を知らない。いや、仮に笑顔で死んだとしても、死後の変化で表情なんてなくなるはずだ。
「不意? ていうかよ、これ人間じゃねえか。魔物じゃないだろ……」
ハリエットは何も言わなかった。ロビンは路傍で死んだその魔物の笑顔を凝視した。見れば見るほど不気味だった。なんだこの青い肌は。なんだこのぶよぶよの手足は。なんだこの不快感は……。
「魔物ですよ」
ブルトンが魔物の死骸を蹴飛ばし、その笑顔を靴で踏みつける。
「この都市の汚い部分が顕現してしまったのかもしれません。何はともあれ、こうなっては討伐するしかない……」
「ブルトンさんよ、あんた、何か知っているんじゃないか? これ、元々は人間だったんじゃ?」
ロビンの質問にブルトンはかぶりを振った。
「元が人間? そうではありませんよ。魔物です。ロビンさんは、青い肌をした人間を見たことがありますか? こんな手足は? 人間ではなく魔物です……、そうでしょう?」
ロビンはブルトンの言葉には返事をせず、ハリエットを見た。
「なあ、エゼ=アロムには他の英雄たちも来たことがあるんだろ。そのときはどんな魔物を討伐したんだよ。記録くらい残ってるだろ」
「残っているわね。そのときも亜人型の魔物ではあったけれど、こんな姿形はしていなかったはず」
ハリエットは答え、懐から刺繍の入った布を取り出し、顔の血を拭った。
「――でも、ひょっとすると、魔物が出現して、英雄を要請し、出動するには、どんなに急いでも数時間はかかる。この魔物が数時間の内に姿を変えたとしたら」
「へ?」
「ロビン、あなたは見てないから分からないだろうけど、この魔物ね、変身したのよ。私の目の前で」
「変身って、どんな風に」
ロビンの質問にハリエットはかぶりを振る。
「私が初めてここに来たとき、この魔物は一見人間にしか見えなかった。だから最初、これが魔物であると断定することができなかったの。肌が青くて、普通の人間ではないということは分かったけれど」
「肌が青かった? もうその時点で殺せば良かったのに」
「肌が青いというだけで殺すわけにはいかないでしょ。でも、状況をよく観察したら、近くに人の死体が転がっていた……。たぶんこの青い肌の人間に襲われたんだと悟って、それで言葉をかけようとしたら」
ハリエットの表情が曇った。ロビンは首を傾げる。
「襲ってきたのか?」
「ええ。でも、何か呪文のようなことを叫びながら、駆け寄ってきたの。知性がある。魔物ではない。私は一瞬、そう判断してしまって、対処が遅れたのね」
「それでそんな返り血を浴びることに?」
「ま、そういうこと。でも、返り血を浴びたのは他にも原因があって。さっきも言ったけど、変身したのよ」
まるで呪文を唱えるたびに姿が変わっていくようだったという。躰が変容し、一部が大きくなったり小さくなったり、手足の骨が抜き取られたかのようになったり……。奇妙なのは、その変身によって、必ずしもその魔物が強くなったわけではなく、むしろ弱体化したことだったという。
「変身してんのに弱くなるのかよ。何だそれ」
「確かにおかしなことね。サナギみたいなことなのかしら」
「サナギ?」
「幼虫からサナギになって、羽化するでしょ。つまり、準備段階だったのかなってこと」
ここでハリエットはブルトンに向き直った。
「ブルトンさん、そろそろ私たちは宿に戻ります。死体の処理はお任せしても?」
「ええ、構いません。もとよりそのつもりですよ」
「助かります。では、ロビン、宿に戻りましょうか」
「え?」
ハリエットはさっさと歩き出した。ロビンは慌ててついていく。
「ちょっと待てよ。おかしいとは思わねえのかよ」
「思うわよ。でも、深入りすべきことじゃない」
「はあ? 正義の味方が聞いて呆れる。事なかれ主義かよ」
「依頼人が話したがっていないのだから、放置するしかないし……。ただ、私たち二人だけでどうにかできることじゃないかもしれないわね」
「えっ?」
「もし、本格的に調査するなら、よ。もし依頼人が魔物の討伐だけじゃなく、その大元を解決してくれるよう依頼したのなら、動くべき。でも、そうじゃない。あまり深入りすると、依頼人の不利益につながるわよ」
ロビンは納得できなかった。
「でもなあ……。気になるんだよな。人間が魔物になったとしか思えない」
「とにかく、私は宿でゆっくりしてるわ。ロビン、あなたは見回りついでに色々と調べてみるのもいいかもしれない」
「は? どういう意味だよ」
ハリエットはくすりと笑う。
「そのままの意味よ。あなたのキャラクターなら、図々しく事態に介入しても、何とかなりそうだもの」
「おいおい、いいのかよ」
「自己責任でよろしくね、ロビン」
ハリエットはいつまでもくすくす笑っていた。この女、楽しんでやがる。あるいは試しているのか。ロビンが英雄としてどこまでやれるのか、観察しているとでも。
街の住民が突然、魔物と化する街。神の意志に従って建設されたはずのこの都でどうしてそんな異常なことが起こるのか。ロビンは呟いた。
「邪神でも祀ってるんじゃねえだろうな……」
ロビンはハリエットと別れて街の中をあてもなく歩き始めた。住宅の窓の向こう、そこに魔物が眠っているのではないかという懸念が彼女の中で渦を巻いていた。




