エゼ=アロム
ロビンは異色の経歴を持つ英雄だった。英雄派遣会社にスカウトされる前は盗賊として悪行を働き、殺人、掠奪、放火、人倫に悖る行為なら何でもやった。本来なら英雄として働けるような資質を持たない。他でもない、英雄派遣会社から派遣されてきた英雄ハリエットたちによって生け捕りにされ、現地政府の裁定で死刑に処せられるはずであった。
しかし、当時ロビンたち盗賊にさんざん困らされたはずの政府は、ロビンを死刑にはしなかった。盗賊の略奪行為によって失われた経済的損失は莫大なものであり、その首を刈り取ることで贖えるものではないという判断だった。
海内無双の評判を得ていたロビンの剣の腕前は、英雄派遣会社で働くに値すると判断された。盗賊の仲間を人質に取られたロビンは、英雄派遣会社でカネを稼ぐことで政府への償いとするように命じられた。課せられた労役は彼女が10回人生を繰り返しても達成できないほどであったが、彼女はその要求に応じた。要求に応じなければこの世で最もおぞましい方法で死刑に処せられることは明らかだった。断る理由などなかった。
ただ、そんな経緯で英雄になったので、ロビンには常に監視役がついた。ロビンを生け捕りにしたハリエットがその役目を担うことになった。元々、ロビンを死刑にせず、英雄派遣会社でカネを稼がせることを提案したのはハリエットだった。
金髪白皙、優美な振る舞いで一般市民から絶大な人気を誇るC級英雄ハリエットは、ロビンの教育係も任せられていた。ロビンに英雄として備えておくべき資質を持たせようと、よく説教をかました。
「言葉遣いが汚い」
ハリエットはそう言ってロビンの頬をつねる。全身傷だらけ、褐色の肌を露出し、安物の皮鎧を着こんだロビンは、筋肉質のその腕を振り回し、教育係に反発することがよくあった。
美人で長身、優しげな瞳と、その意志の強さを証明するかのようなきりりとした眉が印象的なハリエット。不躾で無愛想、狂犬のような振る舞いをしては教育係に頭を殴られている赤髪の女剣士ロビン。二人の女戦士は常に行動を共にしていることから、英雄派遣会社でも知られたコンビだった。
「合宿に行くわよ」
ハリエットは、ロビンの待機部屋に入ってくるなり、そう言った。それを聞いたロビンは、「は?」と返事をし、そのとき読んでいた子供向けの絵本に視線を戻した。
「何を阿呆なことを言ってんだよ、ハリエット。合宿ぅ? 仕事はいいのかよ、仕事はよお」
ロビンに休日はなかった。賠償金と言うべきか罰金と言うべきか、常にカネを稼いで盗賊時代に掠奪した分を返済し続けなければならないので、暇などなかった。こうして絵本を読んでいる時間さえ貴重だった。前の仕事が終わってまだ二時間ほどしか経っていない。
「合宿じゃなくて別の仕事だろ。前もそんなこと言ってたよな、修行の旅に出るから、身支度整えなさい、とか何とか。それで現地に行ってみたらただの仕事でよ、仕事ついでにこのロビン様をさんざんしごきやがって」
ロビンは舌打ちする。ハリエットは微かに笑みを浮かべてロビンを見下ろしている。こういう表情のときのほうが恐ろしいことを口にするんだ、この女は。
「合宿とか言って、要するに、長期間の傭兵契約が入って、現地に泊まり込みしながらさんざんオマエをしごきますよって、そう言いたいんだろ、ハリエットさんよ」
「分かってるじゃない」
ハリエットは笑顔で近付いてくる。
「分かったら身支度をして。ちゃんと剣は研いでおいたの?」
「ああ」
「睡眠は? 言っとくけど次の仕事場まですぐよ。越境門で直に繋がってるからね」
「前の仕事終わりに列車の中でさんざん眠ったから大丈夫だよ、いちいちうるせえな」
「ふふ、あなた、随分と逞しいのね。あの列車、凄く揺れてたのに」
「あんなの外海の荒波に比べたらガキを宥めるようなもんだ。むしろ良い感じに躰を揺すってくれて爆睡できたぜ」
「その爆睡のおかげで元気は有り余ってるようね。その冴えた頭で何を読んでたかしら」
「別に……」
ロビンは手元に置いていた絵本を隠した。にんまり笑いながらハリエットが近づいてくる。
「見せなさいよ、随分可愛らしい絵が見えたけれど?」
「うるせえな、ハリエットには関係ないだろ」
「私、知ってるのよ? 前の仕事先で、子供から絵本をプレゼントされてたでしょ? お礼がしたいけれどお金がないから、宝物の絵本をあげるなんて、いじらしい子じゃない」
「知ってるならいちいち聞くんじゃねえよ、クソアマ」
ハリエットが笑顔のままロビンの頬をつねった。
「いへえ、はひするんふぁ」
「その汚い言葉遣いを直すまで教育は終わらないわよ、この未熟者。ほら、言ってみなさい、『ハリエット様、申し訳ございませんでした』って。ほら、早く」
「うるへえ!」
ロビンはハリエットに説明できなかった。自分が絵本を読んでいたのは、自分が字を読めなかったからだと。待機中に待機部屋を出るわけにはいかないし、暇を潰すには絵本くらいしなかったのだと。大体、この女もロビンが字を読めないことくらい知っているはずだ。そのことでさんざんバカにされた覚えがある。
「いてて……。それより、仕事が入ったのならさっさと出発しようぜ、この部屋は辛気臭くて良くねえ」
「仕事熱心ね。確か、先日、返済額の1%を稼いだんだっけ?」
「0.1%だよバカヤロー。これまでもさんざん働いたのに、この千倍稼がないといけないなんて」
「文句あるの? 別に今から死刑を執行してもいいけれど……」
「じ、冗談はよせよ、ハリエット!」
ロビンは冗談だと分かっていても、恐ろしい。盗賊だった頃のロビンに対峙したハリエットの槍の技……。思い出しただけでも躰が震える。
「ふふ、可愛いわね、ロビン。びびってるの?」
「びびってねえし! ほら、ロビン様はもう身支度を終えたぞ、ハリエットはどうなんだ!」
「私もとっくに。じゃ、出発ね。目指すはエゼ=アロム。詳しい任務内容は歩きながら話すわ」
任務内容と言っても魔物退治。特に注意すべき点もなかった。しかも戦いの舞台が辺境ではなく都の中ということで、随分とくつろげそうだった。
「合宿とか言ってたけど、どういうことだよ」
「長期滞在するのよ。魔物がどこからともなくやってくるから、その都度英雄をレンタルするのが嫌になったんでしょ」
「ああ? どういうことだよ」
「エゼ=アロムは過去にも何度か英雄派遣会社に依頼を出しているのよ。魔物退治してくれってね。英雄に常駐してもらえばいちいち要請する手間が省けるでしょ?」
「常駐って……。どれくらい滞在する予定なんだよ」
「さあ……。あちらさんの気が済むまで」
ロビンはうんざりした。もしその都が気に喰わなかったら、ずっとそこで過ごさないといけないのか。
「魔物退治ねえ……。ま、遠慮なくぶち殺せるから、その辺は気楽かな」
人間相手だと、殺害することはあまりよろしくない。ハリエットがそういう信条だったから、彼女に合わせないと、説教と拳骨が飛んでくる。もちろんロビンには人殺しに抵抗など一切なかった。盗賊時代は相手が子供だろうと、病人だろうと、妊婦だろうと、殺してきた。ロビンはそういう凶悪犯罪者だった。
ロビンには自覚がある――自分が英雄としてどれだけ誉めそやされることがあっても、その資格がないこと。ロビンに絵本を渡してくれた子供がいたが、状況が違えば、彼女は容赦なくその子を殺していただろう。
狂っている、とロビンはよく思う。ハリエットがロビンに何を期待しているのか分からないが、こんな凶悪犯罪者を社会更生させようとするなんて間違っている。さっさと処刑すればいいのに、善行を積ませようとしている。そのこと自体が悪行なのではないか、と思えるほどだ。ロビンに殺された人間はけしてロビンを許すことはないだろう。その遺族も。
この居心地の悪さを感じ続けることも、罰の一部か。そう思うことでロビンは何とか精神的なバランスを保っていたが、ハリエットから「ありがたいお言葉」を頂戴するたびに、思う。
自分に何も期待しないで欲しい。きっとどこか任務地で殉死するのが、ロビンの最期にふさわしいのだろう。人助けなんて向いていない。だから今度の仕事先で、チャンスがあったら自ら死んでやる。
今度こそ死んでやる。これ以上罪を償ってたまるか。自分に英雄の資質なんて全くない。今更人助けなんてしても意味はない。悪人は悪人らしく死ぬべきだ。許しも罰も必要なく、ただ、死なせてくれ。ロビンはハリエットの剣に怯えながらも、そんなことを真剣に考えている。
本当に死にたいならハリエットの剣に怯える必要はないはずだ。だが、死を受け入れた人間の死ほど、無味なものはない。せいぜい怯えてやる、それで遺族の人間の溜飲が僅かでも下がるなら。それくらいの償いはしてやってもいい、ロビンはそう思っていた。




