天使の庭(7)
「RA社が私たち黄金の臓器を生み出すに至ったのは、氷の産褥と呼ばれる研究施設での実験成果のおかげだと聞いています」
通路を歩きながらゾフィーが言う。エステル、アラディン、そしてゾフィーの三人は、見取図で削除された区画に入り込んでいた。臓器培養施設の中枢、天使の庭とはすなわち、臓器を無限に提供するゾフィーたち人工人間の居住区画であった。その更に奥にある氷の産褥――臓器不全に苦しむ患者たちにとってはまさに天使のような存在であるゾフィーたちが生まれいずる場所に、エステルたちは近づいている。
「氷の産褥、ですか」
「普通、ヒトは母親の熱い胎内から生まれ出るものでしょう。しかし私たちは違った。管理された温度の中の胎芽の揺り籠の中で発生し、保育され、この世に生まれ出た。そこは冷たい世界です」
「だから氷……」
「はい。そしてそこはRA社の汚点が凝集された場所でもあるのです。赤ん坊を保育するだけでなく、臓器摘出に堪えられるか、肉体の再生速度は十分か、組織の癌化確率が水準以下かどうか。そういった基準に満たない赤ん坊は容赦なく処分されたと聞きます」
ゾフィーは沈痛な表情で言う。
「私は、彼ら研究者からすれば、史上最高の『天使』なのだといいます。躰の再生速度、臓器の質、健常な肉体、その全てが理想的な値を示していたらしいですね」
ゾフィーは力なく笑ったが、全く嬉しそうではなかった。当然だ。エステルはあまりの惨さに口を押さえた。しばらく何も言えなかった。
アラディンが頭を掻きながら言う。
「それで、ゾフィーさん。今、僕たちはその氷の産褥に向かっているんだよね」
「はい」
「その施設に囚われている仲間を救い出したいということかな。それとも」
「破壊したいのです」
ゾフィーは決然と言う。
「私たちのような存在をこれ以上生み出したくはない。それが切実な願いなのです。しかし、氷の産褥はRA社にとって機密の塊。その防衛体制も並々ならぬものがあり、私たちはそこを突破しようと試みましたが、失敗しました」
「防衛体制ね……」
「私たちも魔物化して戦ったのですが、敵いませんでした。氷の産褥を守っているのは、戦闘用に特化した肉体を持つ亜人たちです。彼らも遺伝子をデザインされて生まれてきたという点では私たちと同じですが、そもそも私たちは臓器提供を第一の目的として生まれてきた存在。対して彼らは最初から戦闘用の個体として生み出されました。この差は埋めがたく、氷の産褥に侵入することは諦めたのです」
アラディンはふうむと顎を撫でた。
「なるほど……、RA社が英雄派遣会社に依頼を出してまできみたちを排除しようとしたのも、その辺が大きいのかもしれないねー。つまり氷の産褥はRA社にとって臓器売買システムの根幹であると同時にこの下劣な非人道的行為の証拠が一か所に集まった、企業全体にとっての急所でもある。もし臓器売買システムの全容を外部に告発されたら、証拠を隠滅する為には、ゾフィーさんたちはもちろん、氷の産褥での成果も全て投棄する必要がある。それをRA社ができるかどうか」
「はい。彼らは、私たちの反乱を鎮圧した後も、氷の産褥での研究結果を維持しようとしているはずです」
「本来なら自前の戦力で事態を収拾したかったはずだよね。だけどその自前の戦力というのが問題だった。ゾフィーさんたちにはドゥリトルという男がついている。これは僕の推測だが、氷の産褥を守っているとかいう戦闘用の亜人というのは、人間を襲えないようにプログラミングされているのではないのかな」
「おっしゃる通りです」
「RA社が最も注意しなければならないのはドゥリトルの行動だ。万が一これを取り逃すことになれば致命傷になりかねない。亜人だけではなく、ドゥリトルを狙い撃ちするような別部隊を編成する必要があった」
「そうなのかもしれません」
「RA社は、表向きは巨大複合企業で、軍事部門での実績は微小。氷の産褥で生み出した戦闘用の亜人を除けば、自前の戦力はあってないようなもの。半端な傭兵を雇って対ドゥリトル部隊を編成するより、実績十分な英雄派遣会社の精鋭に依頼を頼んだ。といったところかな……」
エステルは話を聞いているだけで気分が悪くなった。なんだここは。全世界に健全な臓器を供給し、多くの患者の命を救っている医療施設ではないのか。どうしてこんな異常なことが行われているのか……。
アラディンは見取図の空白部分を凝視しながら言う。
「その、氷の産褥に至る経路は、一つしかないのかな」
「はい。天使の庭を経由してその最奥まで進まなければ辿り着けません」
「厳重に管理したい気持ちは分かるが、彼らは失敗したね。別に出入り口を設けていれば、わざわざ天使の庭を突破しなくとも、一番機密を守りたい施設を押さえることができたのに」
アラディンの言葉にゾフィーは答えなかった。そして前方を指差す。
「……あそこです。あそこが氷の産褥に至る道……」
通路の奥まった位置に大きな扉があり、電子制御されていたようだが、その制御盤が壊されて半開きになっていた。ゾフィーたちが一度突入を試みた結果だろう。
そしてその扉の脇には数体の魔物の死骸があった。ゾフィーの味方の成れの果てだろう。エステルは息を呑んだ。
「これは……」
エステルの肩をぽんと叩いたアラディンが、ゾフィーに訊ねる。
「ゾフィーさん、あなたがたがこうして決起した最大の理由は、氷の産褥を突破できると確信したからだ。違う?」
「違いません。その通りです」
「でも突破するのに失敗した。その原因を教えてくれるかな」
「一つは、戦闘用の亜人が想定以上の強さだったこと。もう一つは……」
ゾフィーはかぶりを振った。
「……彼らは人質を盾にしています。氷の産褥で保育されている、10歳以下に相当する私たちの同胞を」
「えっ」
エステルは驚いた。アラディンは頷く。
「やっぱりそうかー。臓器というのは子供用の需要もかなりある。でも天使の庭に少年少女の姿がまるで見えなかったから、おかしいなとは思っていたんだよ」
「そんな……。人質なんて。どうすればいいのか」
エステルが狼狽えていると、アラディンが力強く頷いてみせた。
「僕たち二人でかかれば大丈夫さ。それに、ゾフィーさんも協力してくれる」
「アラディンさん……」
エステルは頷いた。そうだ。こんな悪行はやめさせなければならない。それに、ここでの任務は魔物の討伐。RA社が氷の産褥の防衛に魔物を使っているというのなら、そう、これは任務を逸脱するものではない。
堂々と戦って皆を助けてしまえばいい。エステルは鞘に収まっている剣の柄に掌を載せた。そしてアラディンやゾフィーがぎょっとするほどの殺気を纏い、その半開きの扉へと歩み寄っていった。




