セントラ(1)
本音を言えば、派遣されてきた英雄二人に王都の惨状を見られずに済んで、ほっとしていた。オルマはこのセントラという国を愛していた。観光客や留学生が絶えないこの魔導国家を誇りに思っている。美しい自然や美味しい湧水、優しく勤勉な国民たち、賢政を敷く王、歴史深き文化や芸術、その全てを愛おしく思っている。
太陽が空に固定されたまま没することがない。この異常事態を、当初は純粋な驚きと危機意識で受け止めたが、最近は畏怖を通り越して怒りを覚えるようになった。
どうしてこの豊かな国に、このような災厄が降りかかるのか。日々の慎ましやかな営みを黒く塗り潰すような無慈悲な天の仕打ちに、叫び出したい気分だった。
オルマが英雄たちと待ち合わせたのは既に滅びた農村だった。沈まぬ太陽の影響をもろに受けて水資源が枯渇したので、王都への避難指示が出されていたが、一部の村人がそれを拒否した。オルマが一度この村を視察し、村人たちを直接説得したことがあった。
そのときは、まだ異変の直後であったから、まさか半年間も状況が好転しないとは思っていなかった。宮廷魔術師の力を総動員して何とかする。大丈夫、数週間の内に帰れる。そのようなことを言った覚えがある。
だが実際はそうではなかった。太陽光の直射を浴び続けた家屋は跡形もなく焼失していた。山火事に巻き込まれて辺り一帯は荒野と化していた。風に吹かれて灰さえ残っていない。
ここに村があったことを示すのは煤けた石造の建造物と、農具や什器の残骸、それから墓石だけだった。オルマはしばらく滅び去った村を眺めていた。見れば見るほど陰鬱な気分になる。
しばらくして、遠くから馬の嘶きが聞こえた。オルマが振り返ると、丘陵から漆黒の輓馬が二頭、巨大な馬車を曳いてこちらに向かってくるのが見えた。
オルマは久しぶりに馬なんて見たので、呆気に取られていた。間もなく馬車が近くに停まり、御者台に立っていた女と、荷台で剣を抱えて蹲っていた男が、オルマに視線を向けた。
「あっ……。あなたがたが、派遣されてきた、英雄殿……!?」
「そういうことになるわね」
御者台に立っていた女が気怠そうに言う。歳のころは20前後、太陽の光を浴びた金髪は白く輝いていた。躰の輪郭にぴったりと張り付いた魔導衣を着込んでおり、そこには無数の呪文が刻み込まれている。蒼い瞳が清冽な川の流れを想起させる。
馬車から下りてきた女は欠伸を噛み殺すと、オルマとおざなりに握手を交わした。
「シエラよ。よろしく。じゃ、馬車に乗って」
「え? これにですか」
「これに乗って移動するからさ……。オルマさんも見たいでしょ? 自分の国をめちゃくちゃにした犯人」
「えっ……」
オルマはまだ事態を理解していなかった。しかしシエラの透き通った瞳が有無を言わせず、彼を荷台まで移動させた。
荷台で蹲っていた男性は、オルマに軽く会釈してきた。30歳前後と思われる特徴のない顔、黒い長髪、衣服の袖が捲り上がっており、そこから見えるのは少年のように白く細い腕。
「あなたがヒュードさんですか?」
オルマが訊ねると、男は頷いた。オルマはヒュードをまじまじと見つめる。この細身の男が、英雄派遣会社でたった6人しかいないというA級社員。とんでもない手練れのはずだが、そうは見えなかった。
「じゃ、出発するよ」
シエラが言うと、特に鞭を振るったわけでも手綱を操作したわけでもないのに、勝手に輓馬が動き始めた。山奥の悪路だというのに車輪の回転はいたってスムーズで、嘘みたいに軽やかに進んでいく。
オルマはしばらく大人しく荷台に収まっていたが、我慢しきれずにシエラに訊ねた。
「あの、どこに向かっているんです?」
「どこに? そりゃあ、あんたの国を滅茶苦茶にした犯人の場所よ」
「犯人……、ですか?」
オルマの態度に、シエラが眉を持ち上げる。
「なにか疑問でもあるの?」
「あ、いえ……。そもそもシエラ様たちは、我が国に起こった異変の原因を突き止められたのですか?」
「まあ、大体は」
シエラは平然と言う。
「オルマさんと合流する前に、ちょっとその辺を見回って分かったんだけど。あの空にひっついてる太陽ね、幻覚なんだわ」
「は?」
「幻覚。げんかく。ゲ・ン・カ・ク。紐付きだったんで術者の居場所も特定できたから、今からそこに向かってるとこ」
「ちょ、ちょっと待ってください。幻覚ですって? そんなはずはありません。実際に我がセントラは灼熱の太陽に炙られ、見るも無残な……」
シエラは肩を竦める。
「まあ、田舎の4流魔術師たちじゃあ、あの幻覚は見破れないだろうけどね。空にでっかい炎弾を撃ち上げて、それを幻術を使って遠近感覚を騙してるだけの代物なんだわ。規模が常軌を逸してるから、実際に大地に影響が出てるけど」
「そんな……」
俄かには信じられなかった。オルマは空を見上げる。そこにあるのは太陽の白熱する球体である。セントラの国土全域に影響を及ぼすこの灼熱が、空に打ち上げられた炎の玉に過ぎないとは。
「この半年間、宮廷魔術師たちが原因を突き止めようと躍起になっていたというのに、そんな……」
「いや、でも、仮に原因が分かったとしても、あなたたちじゃ、どうしようもなかったと思うけどね」
シエラは言う。オルマは首を傾げた。
「いったい、どういう意味です?」
「これだけの大規模な術を完成させるには、相当な量の魔力が必要。もちろん、魔術的な技倆も必須。犯人は相当な手練れね。この国の魔術師じゃ、束になっても敵わないわよ」
「そんなことは」
オルマは反論しようとした。セントラは遠国にもその名が轟く魔導国家であり、魔術に関しては多くの優秀な人材が揃っているという自負があった。束になっても敵わないとは、侮辱である。
しかし、オルマはとうとう反論できなかった。シエラは傑出した魔術師であり、彼女の意見が恐らく正しいということは分かっていたからである。英雄派遣会社に在籍しているというのは、そういうことなのだ。この異常事態を収拾するには常識の埒外にいる天才の力が要る。
「それより、聞きたいのはさ、オルマさん」
シエラが輓馬の背を羽箒のような道具で撫でながら言う。しばらく言葉を失っていたオルマは、ここで居佇まいを正した。
「は、はい、何でしょう」
「心当たりはないの。これだけの大魔術を成立させる人間が、この国で全くの無名ってわけがないと思うんだけど」
「犯人の心当たりなどあったら、とっくにその者を追っていますよ」
「それはそうなんだけどさ。死人も含めて」
「死人も?」
シエラは頷く。オルマの脳裏には、歴史上優れた実績を残した魔術の偉人たちの名が浮かんだ。その中で最もきな臭い名が、つい口から零れる。
「キレス……」
「え?」
「あ、いえ、何でもありません」
シエラがその場で足を踏み鳴らし、苛立ちを見せる。
「いいから言ってよ。それが使える情報かどうかは、私が判断する」
「え、あ、はい。キレスという若き女魔術師が、一年ほど前に夭逝しているのですが、彼女は炎の魔女という異名を取っており、炎の魔術に関しては天才的との評判を得ていました」
「ふうん。なんでその魔女は死んだの」
「拷問死です。国家転覆を企んだとして逮捕され、そのまま獄中で死にました」
「穏やかな話じゃないね」
シエラが面白そうに笑む。オルマはそんな彼女の態度に動揺し、隣に座っているヒュードをちらりと確認したが、彼は瞑目しじっとしていた。話に入ってくる気配はない。
「で、ですが、キレスが今回の件に関わっているはずがありません。私もその死体は、遠目ですが確認しました。死した後もこの国を呪ったということですか?」
「死者の呪いじゃないね。少なくとも、犯人は生きていて、今も空の炎弾に魔力を供給し続けている。でも、そのキレスって魔女の話、気になるなー。詳しく聞かせてよ」
「は、はあ……」
オルマは自分の記憶を手繰り寄せながら、炎の魔女キレスの話を始めた。キレスはその実力を有望視されていた若手の魔術師だったが、度々奇妙なことを言い出しては、周囲の人間を困惑させていた変人でもあった。
「キレスは、じきにこの国に災厄が降りかかり、全ての人間が死に至ると吹聴して回っていたのです。助かりたかったら私に献金しろ。そうすれば私が救ってやる。そう言っていました」
「いかにも胡散臭いね」
「はい。誰にも相手をされていませんでした。他にも奇妙な言動が目立っていたのですが、その優れた実力もあって、大目に見られていたのです。しかし一年前、越えてはならぬ一線を越えてしまいました。王宮に爆弾を多数仕掛け、王族の暗殺を図ったとして、投獄されたのです」
シエラがぴくりと肩を震わせる。
「爆弾?」
「はい。魔術で発動するものだったのですが……。宮廷魔術師たちの鑑定では王宮を木端微塵に破壊することができるほどの強力なものだったらしいのです」
「ふうん……。その爆弾、ちょっと興味があるな」
シエラはしばらく黙り込んでいたが、やがて振り返りオルマを見つめた。
「で?」
「はい?」
「その後、シエラは拷問を受けて死んだんでしょ? どんな風に死んだの?」
「どんな風に……。とは?」
「まだ生きているかもしれないじゃない。というか、まだ生きている可能性が高い。てか絶対に生きてる。犯人はそのキレスね」
「い、いや、しかし……!」
「キレスはあなたたちが思っている以上に優れた魔術師で、爪を隠していた。太陽のカラクリも見破れない4流魔術師たちじゃあ、キレスの偽装も見破れなくても不思議じゃないわ」
「そ、そんなことを言っても……。荒唐無稽な」
シエラはふっと冷たく笑う。
「荒唐無稽? どこが? あなたは自分の国の魔術師が有能だと思ってるみたいだけど、あら不思議、セントラの魔術師が全員無能だと仮定してみると、私の説を否定する材料が一つもないことに気付くはずよ」
オルマは何も言えなかった。オルマは魔術師ではない。だから直接侮辱されたわけではない。しかしこの国で生まれ、この大地に育まれた一人の人間として、尊厳を踏みにじられた心地がした。
馬車は軽やかに進む。かつての森林は続発する山火事によって消え失せ、灼熱の大地は植物の生育に不適であり、見渡す限りの荒野と山脈が、オルマたちを包み込んでいた。
「――あの辺ね」
シエラが指差す。オルマは身を乗り出した。その指が示す先には小さな洞窟があった。
「あそこにキレスがいる。賭けてもいいわ」
シエラは何を賭けるか明言しなかったが、仮に命を賭けろと言われても平然と了承しただろう。それだけの自信を彼女から感じ、オルマは困惑していた。




