オンバルル(1)
オージアスは数日前から吐き気に悩まされていた。越境門を潜り、仕事先の異星オンバルルに辿り着いたときも、それは治まっていなかった。
オージアスは魔術師である。猛者が集まる英雄派遣会社の中でも、こと魔術理論の習熟度で言えば、彼に敵う者はいない。だから彼がB級と査定されたときは反感を覚えたものだ。自分より優れた魔術師がいるものか。A級とやらにそれほどの凄腕の魔術師がいるというのか。
結論を言ってしまえば、彼以上の魔術師はいなかった。ただ、A級と査定された英雄は化け物揃いだった。自信家のオージアスであっても、彼らと肩を並べることは御免蒙りたかった。あのような人外どもと一緒にされては困る。
忘れもしない、A級英雄の最古参であるビビアナと初めて対峙したそのとき、オージアスはその膨大な魔力と邪悪な気配に、吐き気を催した。オージアスの天才的な魔術の才能と積み上げた研鑽も、ビビアナの前では塵芥も同然だった。
オージアスはビビアナと遭遇したあのときと似たような吐き気を覚えている。数日前からこの依頼には嫌な予感がしていた。だから、相棒がE級英雄と聞いて、冗談じゃないと怒鳴り散らしたい気分だった。
「あのー、よろしくお願いします……」
E級英雄と言えば、英雄派遣会社の入社規定をぎりぎりクリアするような弱い戦士がカテゴライズされているところである。危険な匂いが漂うこの任務においては、足手纏いと言わざるを得ない。
オージアスにおずおずと挨拶をしてきた小柄な少女は、ちっぽけな弓を抱え、矢筒を腰から下げていた。なるほど射手らしい。しかし彼女はどういうわけか大木の枝の上にいた。
越境門を潜り抜けた先の密林。オージアスは枯葉の絨毯が敷き詰められた森の中で立ち尽くしていた。枝の上で申し訳なさそうにしている少女が、頬を赤くしながら、
「ええっと、オージアス様ですよね? B級英雄の方と一緒にお仕事するのは初めてで、その……」
「きみの名はアミ。そう聞いているが」
「はっはい!」
「どうして枝の上なんかにいるのだ。さっさと下りて来い」
「もっ、申し訳ございません! そうですよね、失礼ですよね、こんな高い場所から」
しかしアミは枝の上から降りようとはしない。そのくせ顔を赤くし、今にも泣き出しそうになっているのだから不可解な態度だった。
「す、すみません。私、木の枝から降りないように師匠から言われていて……。そういう修行なんです」
「修行?」
「はい。修行です……。ですから、その」
「まあ、別にいいが」
オージアスは正直、アミの話に興味はなかった。それより、このオンバルルという名の星に充満する邪悪な気配に注意が向かった。
「アミ、きみは昨日こちらの星に降り立ったようだが、何か分かったかね?」
「へ? 何かって何です」
「巨人だよ。まさか依頼内容を把握していないということはあるまい?」
オンバルルの密林に点在する複数の村が、突如消滅した。オンバルルの魔術師がその命を懸けて英雄派遣会社に依頼を寄越した。その話によれば、オンバルルに異世界から巨人の軍団が押し寄せ、虐殺の限りを繰り返しているという。
アミは頷いた。森の中で丸一日過ごしていたとは思えないほど彼女は小奇麗な恰好だった。栗色の髪には埃一つついていない。木漏れ日の細い光条が彼女の全身をまだらに照らしている。
「もちろん依頼内容は何度も確認しましたっ。でも、妙なんですよね。巨人なんてどこにもいません」
「ふむ。きみの索敵がどれほど信頼できるか分からないが、一応、参考にしよう」
「あ、ありがとうございます」
どもりつつもアミは言った。オージアスは辺りを見渡す。何の変哲もない森林だった。背の高い広葉樹と、その間を縫うようにして生える低木には噎せ返るほどの生命の気配を感じる。朽ちた大木の幹が横たわって獣や虫の寝床となり、清潔な印象さえある幾枚もの枯葉が地面全体を覆っている。
オージアスは道衣の袖で口元を押さえる。どうも苦手な場所だ。気温が高く湿度もある。汗ばむような熱気ではないが、風の少ない森の中のこと、あまり気分良く歩ける場所ではなさそうだった。
「アミ、ここから最も近い村に案内したまえ。依頼人たる霊体からの話は不備が多く、現地で情報を収集することも任務に含まれることになったからな」
「分かりました。こちらですっ」
依頼人の霊体は、契約書にサインをした直後に跡形もなく消え去ってしまった。あまり魔術に長けた人間ではなかったらしく、満足に話をすることもできなかった。
会社には霊体と話をすることができる社員が何人かいる。彼らから話を聞き、一応準備をしてからここに乗り込んできたが、敵の正体や、被害の規模など、曖昧な部分も多く残っていた。
まずすべきことは、被害の実態を把握すること。それらしい敵を見つけて討伐したが、実は人違いでした、というのではあまりにお粗末過ぎる。何にも優先されるべきは情報収集だ。
「アミ、村人とは接触したのか? 情報は幾つか仕入れておいたのだろう?」
「あ、いえ……。村はもぬけの殻でした。ですからまだ」
「は?」
オージアスは立ち止まった。
「待て。きみは今から吾輩をどこに案内しようとしている?」
「ええっと、村まで案内せよと言われたので、そこへ」
「だがそこには誰もいないのだろう?」
「まあ……」
「この無能。ぼんくらが。最初からこうしていれば良かった」
オージアスは軽く指を鳴らして探知魔法を発動した。この森林に潜む生命の気配を感知する。広範囲に渡っての索敵なので精度は期待できないが、すぐに反応が見つかった。
「オージアス様?」
「……人間の気配が六つほどある。かなり離れた場所だがな」
「そっ、そんなことが分かるのですか!」
「まあな……。しかしここは生命の気配が多過ぎる。禽獣の反応ばかりで、少々神経を使うな」
オージアスは先ほどまでの道を戻り始めた。アミも慌ててついてくる。枝から枝へ、猿か何かのように身軽に移動している。それ自体見ごたえがあったが、撓る枝を宥めるようにふわりと体重移動させ、音もなく飛び移っていることに気付いてからは、なるほど、わけもなくここに派遣されてきたわけではないと悟った。密林での移動には慣れているらしい。
「オージアス様、このまままっすぐ行くと、滅びた村に出ますが」
アミが頭上から言う。オージアスは頷いた。
「ちょうどいい。見ていくか。敵の巨人とやらがどんな奴なのか、これで大体分かる」
アミの言った通り、しばらく行くと開けた場所に出た。そこは村と言ってもかなり控えめなものだった。せいぜい十数人が住んでいたといったところだろう。と言ってもそれは大雑把な推測に過ぎない。
全てが焼き払われ、家屋の残骸も見当たらなかった。白っぽい灰と僅かな風に吹かれて溶け去りつつある炭だけが、そこに村があったことを示していた。アミは木の枝から降りることができないので、村の外側からぼやいている。
「酷い……。全てを焼き払うなんて」
オージアスは瞼を閉じ、精神を集中させた。確かにこの地には数個の霊魂が未だ漂っていた。話を聞こうかと思ったが惨殺された恨みで理性など吹き飛び、話ができる状況ではなかった。
「……そろそろ行くぞ」
「えっ。もうですか」
「あまり留まっていると祟られる」
オージアスは何気なく言ったが、アミにとっては衝撃的だったようで、幽霊ですかっ、幽霊がいるんですかとしきりに喚いていた。
幽霊なんてどこにでもいる。漂っている人間の霊とは限らない。しかし、霊が人間に危害を加える場合は限られる。そう恐れることはないが、アミのような霊に無防備な人間は、確かに警戒したほうがいいかもしれない。
「アミ、きみは目がいいはずだが」
「確かに自信はありますけど……。どうして分かったんですか!」
目の悪い射手などいるのか。オージアスは思ったが、あえてそれには答えず、
「念の為、先行して前方の人間の様子を探っておいてくれ。こちらに敵対心を持っていないとも限らない」
「分かりました!」
敵対されたところで戦力的には問題ないが、情報収集に重きを置いているこの状況。直接会って話を聞くことができないようなら、遠巻きに状況を探るようなことになる可能性もある。オージアスはもう一度探知魔法を使った。そのとき、肌の表面に怖気が走った。
「……まずいな」
「え?」
早速移動しようとしていたアミがオージアスを見る。
「向こうの人間も、魔術や魔法を使うようだ。吾輩の探知魔法を感知された」
「えっと、つまり……?」
「交戦になるかもしれん。アミ、きみ、最低限戦えるんだろうな? 尻拭いは御免だぞ」
「だっ、大丈夫ですっ……、と、思います……」
アミは頼りなさげに頷いた。オージアスは肩を竦め、つい笑ってしまった。




